※この記事は2020年09月30日にBLOGOSで公開されたものです

数ある映画賞の中でも圧倒的な影響力を持ち、毎年の受賞作品が世界中の注目を集めるアカデミー賞。次回開催される第93回授賞式は、コロナウイルスの影響で2021年4月25日へと延期が決まっているが、その選考を行う映画芸術科学アカデミー(以下、アカデミー)が、現地時間の9月8日、最高賞である作品賞のノミネート資格について新しい条件を発表し、賛否両論を巻き起こしている。

具体的な条件の前に、その経緯について少し説明したい。アカデミーは、アカデミー賞候補作品への投票権をもつ会員の多くが白人男性で占められてきたことなど、その保守的な体制が知られており、2015年と2016年には2年連続でアカデミー賞の俳優部門で、有色人種が一人もノミネートされないという事態に「OscarsSoWhite」(白人だらけのオスカー)と揶揄され、大きな批判を浴びた。

キャストの3割がマイノリティに?作品賞ノミネートの新しい条件

その後MeTooムーブメントも含め、アメリカ社会全体で多様性を求める声が広く上がる中、オークワフィナやゼンデイヤなどの女優たちも会員に招き、アカデミー内部からも2020年までに女性、有色人種、および外国人の会員を倍にしようというイニシアティブが提唱された。

結果的に2015年当時、会員の92%を白人が、75%を男性が占めていたのが、2020年には白人会員が81%に、男性会員は67%へとそれぞれ減ったものの、完全に問題が解消されたとはまだ言えず、次にアカデミーが打ち出したのが「Aperture 2025」というさらなる多様性実現のためのイニシアティブで、その一環として上記の発表が行われた。会員の割合だけでなく、そもそも作品賞候補になるためには多様性をもった作品でないとダメ、という抜本的な縛りを作ったわけである。

発表されるや否や賛否両論を巻き起こしたこの条件であるが、ここで条件の具体的な内容を見てみたい。

A.主役、あるいは重要な役柄に少なくとも一人のアジア系、ヒスパニック系、アフリカ系、ネイティブアメリカン、中東系、ハワイ系もしくは太平洋諸島にルーツを持つ人々、またはその他人種的マイノリティを起用すること。もしくは女性、LGBTQ、人種的マイノリティ、または身体的障がいのある俳優を、メインではない役柄の少なくとも30%以上で起用すること。もしくは、上記マイノリティの人々をめぐるストーリーライン、主題を映画の中に含めること。
B.上記マイノリティをクリエイティブの責任者または部門長(制作、脚本、カメラ、照明、メイクアップ、衣装、VFXなど)として、一定数以上起用すること。
C.上記マイノリティに当てはまる人たちを、制作に関係する部署の有給インターンシップやトレイニーとして雇用すること。
D.あるいは上記マイノリティを配給・マーケティング部門の責任者として一定数以上起用すること。

ざっくりとまとめたが、おおよそこれら4つのカテゴリーのうち2つ以上を満たすことが、アカデミー作品賞にノミネートされるための条件となる。適用は2024年に開催される第96回授賞式の作品賞からだ。まだあと数年の猶予があるものの、ハリウッドのメジャースタジオによる映画は企画から公開までに数年かかることも珍しくないし、制作だけではなく配給・マーケティング担当の人事にまで条件が及んでいるのだから、これくらいの時間的猶予がないと2024年からの実施は難しいのだろう。

日本映画へはどういった影響が?

主役級の俳優、すなわち映画の顔とも言える要素に対して条件が課されていることに、困惑した人たちも多いことと思う。過去には『おくりびと』『千と千尋の神隠し』といった作品がアカデミー賞を受賞し、近年では特に長編アニメーション賞でノミネートされることも多い日本の作品であるが、上記の条件が日本映画へ影響を与えることはあるのだろうか?結論から言ってしまうと、現時点でこれまでのような映画を作っていく分には直接的な影響はない、というのが妥当だろう。

まず今回設定されたのは、作品賞ノミネートに必要な条件であって、日本作品が最も馴染み深い長編アニメーション賞や国際長編映画賞(2020年に外国語映画賞から変更)はこれまで通りのノミネート条件で据え置かれる予定で、「インディワイア」をはじめとしたハリウッドの情報サイトや業界紙でも、これらの条件がすぐに他部門へのノミネート資格にも適用されることはないだろう、と伝えている。

また非英語作品として初めて作品賞を受賞した韓国の『パラサイト 半地下の家族』のように作品賞を狙うとしても、そもそもこの条件はマジョリティ、すなわち異性愛者の白人男性のみによって作られたマジョリティのための映画にもっと多様性を与えよ、という意図で作られたものであり、我々日本人はマイノリティに含まれる側なのである。

また忘れてはならないのは、この条件がただ闇雲にヒスパニック系やアフリカ系俳優などのマイノリティ役を一定数登場させることを課すような性質のものではないということだ。例えばヨーロッパを舞台にした歴史物で、ストーリーの文脈からどう考えてもマイノリティのキャラクターが登場することが不自然と思われる場合は、クルーや配給・マーケティングで条件を満たすという方法も用意されている。

賛否を呼ぶアメリカ本国での反応

さて、アメリカで立て続けに起こるBLMやMeTooムーブメントの後を追うように発表された今回の条件であるが、本国アメリカではどのように受け入れられているのだろうか?アカデミーがこれを発表したツイートには、これを書いている9月24日現在で3000件以上のコメントが、そしてこれを報じたハリウッドの業界紙「Deadline」の記事にも300件以上のコメントが寄せられているが、筆者が目を通した限りでは、マイノリティ自身からの反応も含め、否定的なものが多数存在していたのは非常に興味深い。「インディワイア」では、メキシコ人でありながら『ROMA/ローマ』や『ゼロ・グラビティ』など、作品賞ノミネートを複数回果たしているアルフォンソ・キュアロン監督からの「多様性をルールや規則で縛りによって実現させなければならないのは残念だ」というコメントも紹介している。

筆者はインクルージョンの実現に向けて進むこの動き自体は賛成である。人種やジェンダー、セクシャリティといった理由で、マイノリティたちが自分の声を社会に届かせる機会を奪われることはあってはならない。この条件を素直に受け入れられないと感じているのはおそらく「映画の中でマイノリティたちを見たくない」という差別感情などではなく、映画というアートに、人工的な縛りを設けることへの違和感ではないだろうか。その違和感は、上のキュアロン監督のコメントが意味するところと通じるものだと思う。

条件の設定に踏み切ったアカデミーの思惑

しかしアカデミーもそんな批判が出ることは百も承知だったはずだ。最後にここで少しアカデミーのイニシアティブに対する向き合い方を見てみたい。

発表の後、業界紙やハリウッドの膝元ロサンゼルスの大手紙「LAタイムズ」が、アカデミーの理事たちに対してインタビューを行っているが、注目すべきは、まずこの条件が2016年からBFI(英国映画協会)が使用している多様性の基準を参考にしており、これがまだ完成形ではないことを認めている点である。

理事の一人で、パラマウント映画のCEOも務めるジャノプロス氏は「批判が出ることは予測していた」とコメントをし、同時にこの条件が「アカデミーが、その会員や映画製作のプロセスに対して働きかけることのできる立場をもって、(業界が)より良い方向へ進むためにできる具体的な努力の形である」と話している。これを敲きとして2024年の適用までの間に、映画製作者、スタジオや配給会社などと実務的なプロセスについて話し合っていくという。

一本の映画を作るにあたり、キャストや監督、脚本家の選定のプロセスにおいては「ある特定の人種やセクシャリティだから」選ばれたのではなく、「それがベストの選択だったから」起用されるべきであることは言わずもがなである。だが現在、アメリカ社会のあらゆる人たちが等しく、自分たちの才能を思う存分に活かし、なおかつそれを然るべき人たちに見てもらうための機会を得ることができる状況にはまだない。改善の傾向が見られるとはいえ、足踏み状態が続くハリウッドで、それを是正するためにアカデミーが批判覚悟でイニシアティブを取ったというのは、意味のある一歩と言えるだろう。

参照
https://www.oscars.org/news/academy-establishes-representation-and-inclusion-standards-oscarsr-eligibility#:~:text=Today%2C%20the%20Academy%20of%20Motion,its%20Academy%20Aperture%202025%20initiative.
https://www.nytimes.com/2020/09/08/movies/oscars-diversity-rules-best-picture.html
https://variety.com/2020/film/news/oscars-inclusion-standards-best-picture-diversity-1234762727/
https://www.indiewire.com/2020/09/the-academy-new-best-picture-inclusion-standards-1234585344/
https://www.indiewire.com/2020/09/alfonso-cuaron-oscar-inclusion-rules-1234586264/
https://twitter.com/TheAcademy/status/1303490909565140992
https://deadline.com/2020/09/academy-shakes-oscar-best-picture-eligibility-1234573172/comment-page-8/#comments
https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2020-09-09/film-academy-inclusion-standards-diversity