※この記事は2020年09月28日にBLOGOSで公開されたものです

第99代の総理大臣に菅義偉氏が就任した。これまで安倍内閣の官房長官として政府見解を代弁してきたが、これからは自らが首相として重要な政策の決断を下していくことになる。菅新首相はどのように日本を率いていくのか。田原総一朗さんに聞いた。【田野幸伸・亀松太郎】

派閥の力学に縛られず、自由に政治ができる

菅新首相の特徴の一つは「エリートではない」ということだ。自民党の国会議員は世襲が多いが、彼は世襲ではない。秋田の田舎から出てきて、働きながら大学へ通ったという経歴をもつ「非エリート」だ。

エリートでない人はコンプレックスを抱いて、他人の足を引っ張ったり、変な野心を持ったりしがちだが、菅氏はそうではない。だから、安倍前首相は官房長官として菅氏を使い続けた。つまり、信用できる人物と見られている。

さらに菅氏は無派閥であるにもかかわらず、自民党総裁選で多くの派閥が支持した。それだけ党内でも信用されているということだ。派閥を持つという野心を持たなかったことが、かえって首相への道を開いた。

世論調査を見ると、このような菅新首相への期待の大きさが感じられる。しかし、マスコミの評価は厳しいものが目立つ。

朝日新聞は社説で「菅新総裁選出 総括なき圧勝の危うさ」として、次のように書いている。

「自らへの支持を過信して、安倍政権の行き詰まりを直視できなければ、継承の先の前進は難しかろう。圧勝の内実の危うさを自覚すべきだ」

菅首相が、史上最長政権となった安倍内閣の路線を「継承する」と表明したことに対する批判も多い。「菅新首相が何をしたいのか、国家像が見えない」という指摘もある。

さらに、自民党の総裁選で党員投票が実施されなかったことから、「派閥が作った内閣だ」という批判もある。

だが、いまの自民党の派閥は全く力を持っていない。

かつて自民党で派閥が力を振るっていたのは、中選挙区制のもとで派閥に「金を集める機能」が期待されていたからだ。金を集める力を持つ派閥の領袖のもとに、人が集まった。最大は田中角栄元首相が率いた田中派だ。

しかし、いまは選挙制度が小選挙区制に代わり、政党交付金も入ってくるようになった。その結果、派閥は金を集める必要がなくなり、派閥の力も失われた。いまや、派閥が力を行使できるのは、総裁選のときだけだ。

だから、菅氏は首相になってしまえば、派閥の力学を考慮しないで、自由に政治を行うことができる。実際、安倍前首相がそうだった。

最大の課題は「新型コロナウイルス対策」

では、菅首相の課題は何か? それは、なんと言っても、新型コロナウイルス対策だ。

安倍前内閣の新型コロナウイルス対策は成功していたとは言えない。緊急事態宣言の発令が後手に回るなど、政治がうまく機能していなかった。

4月に緊急事態宣言が出た直後、僕は安倍前首相に面会した。そのとき、「なぜ日本は、ヨーロッパやアメリカに比べて、緊急事態宣言が遅れたのか」と聞いた。

安倍氏は「ほとんどの閣僚が緊急事態宣言に反対したからだ」と答えた。なぜ、閣僚たちは反対したのか。安倍氏は、新聞やテレビなどほとんどのマスコミが緊急事態宣言に反対しているからだと言った。

日本の財政事情は先進国の中で最悪で、政府債務が1200兆円もあり、GDP比で200%以上にのぼる。このままいくと10年で財政が破綻すると指摘する声もある。そんな中で、緊急事態宣言を発すると、100兆、200兆の金が必要となり、財政破綻のリスクを高めることになるというのだ。

しかしヨーロッパやアメリカを見ると、財政事情が悪い国はたくさんある。そういう国がみな、緊急事態宣言を打ち出している。

なぜ、他の国と日本で大きな違いがあるのか。それは、日本の戦後の歩みと関係している。日本は戦後、憲法で「戦争しない国」ということになった。だから、「戦時はない」「有事はない」と考えてきた。

ところが、いまは新型コロナウイルスに対する戦争状態と言ってよい。いまは「有事」なのだ。そして、有事になれば、財政悪化は関係ない。現に第二次大戦のときは、ヨーロッパもアメリカも財務省は発言権をもたなかった。

だから、財政状態が悪くても、有事であれば緊急事態宣言が必要だ。そこで、安倍前首相も緊急事態宣言を出した。

中小企業を徹底支援するか、再編成を促すか

だが、緊急事態宣言を出したといっても、欧米諸国と同じになったわけではない。欧米各国は移動や外出を厳しく規制し、違反したら罰則を科した。しかし、日本はそうではない。「自粛要請」というゆるやかな形だ。

安倍前首相に「なぜ、日本では罰則を科さないのか」と質問したら、逆に「田原さんは罰則規定を作るのに賛成ですか?」と尋ねられた。僕は「戦争体験があるから、罰則規定には反対だ。日本人の多くも反対だと思う」と答えた。

実際のところ、罰則規定を設けると、基本的人権を大きく制限することになるという副作用がある。一方で、日本の国民は政府の要請をわりと素直に受け入れる傾向がある。だから、日本は罰則規定を設けなくてもいいとも言える。

そういうこともあって、日本では新型コロナウイルスへの対策がやや甘くなったきらいがある。その結果、緊急事態宣言が解除されたあと、感染者数が再び増加し、第2波に対応しなくてはいけなくなった。

第2波はひとまず落ち着き、9月の4連休では観光地に多くの人出が見られた。今後の問題は、コロナ対策を十分に行いつつ、いかに経済を活性化していくかだ。

新型コロナウイルスの影響で、中小企業を始めとする多くの企業が倒産に追い込まれた。その余波で、職を失った人も多数いる。そこで、政府は倒産に追い込まれそうな企業を徹底的に援助しようとしている。補助金や融資によって中小企業の倒産を防ごうということだ。

一方で、「日本の生産性が低いのは中小企業が多すぎるから。政策によって中小企業の再編成を促すべきだ」というデービッド・アトキンソン氏のような論者もいる。本来ならば、倒産して当然の企業までが「ゾンビ企業」として生き延びているというのだ。

このように新型コロナウイルス対策の中で、「中小企業を支援すべきだ」という説と「むしろこの機会に再編成すべきだ」という説が対立している。はたして、菅新首相はどちらの道を選ぶのだろうか。

安倍内閣の「負の遺産」を受け継ぐな

菅氏は「安倍内閣の路線の継承」を掲げているが、安倍内閣の遺産には、良いものと悪いものがある。

たとえば、米国や中国との外交関係の改善は「正の遺産」といってよいだろう。特に、米国のトランプ大統領とは蜜月の関係を築くことに成功した。

一般的には評判が悪いが、安保法改正も見方を変えれば、日米関係の強化に寄与したと考えることができる。もしもあのとき、安保法を改正し、集団的自衛権を認めていなければ、日米同盟が終わっていた可能性がある。

一方で「負の遺産」もある。安倍内閣の後半には、政治をめぐるスキャンダルが続出した。森友・加計問題、桜を見る会の私物化、河井元法相夫妻の買収事件、そして、黒川元検事長の定年延長問題だ。

自民党の幹部に「なぜ、こんなことになったのか」と聞いたことがある。かつての自民党ならば、このようなスキャンダルが起きれば、党内の反主流派・非主流派から批判の声が上がり、「首相は辞任すべきだ」と倒閣運動が起きた。

しかし、いまの自民党では、誰も首相のことを批判しない。批判しないどころか、むしろ自分たちの後援会の会員を「桜を見る会」へ招待することに躍起になっている。

なぜ、こうなったのか。安倍内閣が長く続きすぎた結果、政権の神経がたるんでしまったからだ。

選挙制度が小選挙区制に変わり、権力が自民党の派閥から党執行部に集中するようになった結果、自民党の国会議員のほとんどが首相のイエスマンになった。モリカケ、桜を見る会、元法相事件と、とんでもないことが起きているのに、「安倍、やめろ」と言う声が自民党の内部から起きてこない。

僕は2年前、森友・加計問題で、内閣支持率が下落していたころ、安倍前首相に会ったことがある。そのとき、こう質問した。

「誰かひとりでも、あなたのところへ『問題だ』と言ってきた議員はいるか」

安倍氏はしばらく考えて、「誰もいない」と答えた。

僕が「自民党の国会議員はあなたにゴマをすることばかり考えている。この国をどうしたらいいか、何をすべきかを真剣に考えていない」と言うと、安倍氏はこう口にした。

「田原さん、本当は困っているんですよ。いまの日本の政治に一番欠けているのは、緊張感がないこと。これが最大の問題です」

このとき、安倍前首相が言ったことはある意味、正しい。緊張感がない政治は劣化するのだ。

菅首相は、どのようにして、いまの日本の政治に緊張感を作っていくのか。難しい課題だが、果敢に挑んでほしい。