「私は香港国家安全維持法の標的にされた最初の外国人」バイデン大統領になったらアメリカの対中政策はどう変わる - 木村正人
※この記事は2020年08月07日にBLOGOSで公開されたものです
香港警察に指名手配されたアメリカ人
[ロンドン発]今年11月に迫る米大統領選で、民主党候補ジョー・バイデン前副大統領の圧倒的な優勢が伝えられています。現・ドナルド・トランプ大統領のもとで「関与」政策から「封じ込め」政策に大転換したアメリカの対中政策が今後どう変わるのか、大きな関心を集めています。
香港の民主化運動を抑え込むため6月30日に施行された香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で指名手配された6人のうちの1人で、米ワシントンを拠点にNGO(非政府組織)香港民主会議を運営するアメリカ人の朱牧民(サミュエル・チュー)氏(42)にインタビューしました。
チュー氏は、2014年に香港で起きた大規模デモ「雨傘運動」の提唱者でキリスト教バプテスト派牧師、朱耀明(ユミン・チュー)氏の息子です。1989年の天安門事件がきっかけとなり、朱耀明氏は翌90年にチュー氏をアメリカに移住させました。アメリカ国籍を取得したのは96年のことです。
木村:国安法で指名されたと中国中央電視台(CCTV)が7月31日に報じた6人の中にあなたの名前が含まれていましたね。
チュー氏:アメリカで暮らし働くアメリカ国民の私を狙い撃ちできると中国共産党が考えたのは常軌を逸していると思います。
しかし、同時に中国共産党と中国政府が常に市民とその家族、そして、つながりを持つ人々を脅して黙らせるためにやってきたことなので驚きませんでした。私たちがどこにいても脅してコントロールできると圧力をかけているのです。
木村:あなたは香港生まれですが、今はアメリカ国民です。国安法が中国の司法管轄権を越えてアメリカ国民のあなたに適用されると考えるのはおかしくないですか。
チュー氏:国安法が6月末に施行された時に司法管轄権を越えて適用されると定められていることに関心が集まりました。中国政府は当初、国安法が適用されるのは香港のごく限られた範囲だから心配する必要はないと説明していました。しかし、それは本当ではなかったのです。
私は国安法のターゲットにされた最初の外国人ですが、私が最後ではないのは明らかです。中国共産党はどんなことがあっても追いかけてやるという脅しのメッセージを送ろうとしているのです。しかし私には無意味です。そんなことをしても何も変えることはできません。
北京五輪を境に見捨てられたチベット
筆者が香港問題をウォッチしていて気になるのはチベット問題と同じように次第に西側が中国の弾圧に目をつぶるようになるのではないかということです。チベット問題の場合、大きな転換点は2008年の北京五輪・パラリンピックでした。
08年3月、中国チベット自治区で暴動が起き、世界5大陸をまたいで行われた聖火リレーで激しい抗議活動が行われました。しかし北京五輪の開催を境にチベットの人権問題は国際社会でほとんど取り上げられなくなっていきます。
07年にドイツのアンゲラ・メルケル首相がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談。続いて08年、ニコラ・サルコジ仏大統領(当時)もダライ・ラマと会談したため、中国・欧州連合(EU)首脳会議はキャンセルされました。
00年にハンガリーを訪問したダライ・ラマはオルバン・ビクトル首相と会談。しかし10年の訪問時にはオルバン首相との会談は実現しませんでした。当時、ダライ・ラマと政治指導者が会談すると対中輸出は2年間で平均8.1%もダウンするという大学の研究が発表されました。
10年、ノルウェー・ノーベル委員会は中国の民主活動家、劉暁波氏にノーベル平和賞を授与しました。これに対して中国はノルウェーからの鮭の輸入を制限するなど、6年間にわたって報復しました。
11年にダライ・ラマはデンマーク、エストニア、フィンランド、フランス、アイルランド、スウェーデンを歴訪しましたが、国家元首が会談したのはエストニアだけ。中国は即座にエストニアとの公式閣僚会議をキャンセルしました。
12年、ダライ・ラマはデービッド・キャメロン英首相(当時)やオーストリアの首相、外相らと会談しました。しかしキャメロン首相はその後、中国との経済を優先するようになり、ダライ・ラマと距離を置き、15年の習近平国家主席の訪中時には「英中黄金時代」をぶち上げます。
バラク・オバマ米大統領は4度にわたってダライ・ラマと会談していますが、欧米の政治指導者がダライ・ラマと会談する機会は激減しています。
購買力で見た中国経済はアメリカの1.4倍超
欧米がチベット問題に目を閉ざす背景には中国の経済力があります。今は対中強硬路線を突っ走るトランプ大統領ですが、「ダライ・ラマ」というリトマス試験紙で見た場合、間違いなく「媚中派」です。トランプ大統領の最大の政治目標は対中貿易赤字の解消です。
ジョン・ボルトン前米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)の回顧録『それが起きた部屋(筆者仮訳、The Room Where It Happened)』でトランプ大統領の“デタラメ外交”ぶりが告発されています。
昨年6月、20カ国・地域首脳会議(G20大阪サミット)に合わせた米中首脳会談で「農民票は重要」と強調した上で、中国が大豆や小麦を購入すれば今年11月の米大統領選での再選が確実になると習主席に「嘆願」していたそうです。
国際通貨基金(IMF)によると、購買力で見た名目国内総生産(GDP)では08年、中国は約10兆国際ドル、アメリカは約14兆7000国際ドルでしたが、14年に逆転。来年には中国約30兆9600億国際ドル、アメリカ約21兆6700億国際ドルと1.4倍超の差が開くと予測されています。
英誌エコノミストの予測では11月の米大統領選で民主党のバイデン氏が勝つ確率は91%。トランプ大統領が再選する確率はわずか9%です。新型コロナウイルス対策の遅れで被害を拡大させ失業者が激増、白人警官による黒人男性暴行死事件で人種間の緊張を高めたのが原因です。
「バイデン大統領」が誕生した暁には、トランプ大統領が、ニクソン訪中から半世紀近く続いた「関与」政策から「封じ込め」政策に大転換したアメリカの対中政策が再びオバマ前大統領時代のような「対話」路線に逆戻りするのではという懸念が日本では膨らんでいます。
チュー氏に尋ねてみました。チュー氏は「香港民主会議を通じて米議会に制裁を働きかけたのが標的にされた理由の一つです。国安法で外国人を指名手配したことに対して国際社会がどう出るか、反応を確かめる狙いもあったのでしょう」と言う通り議会へのロビー活動をしています。
木村:トランプ大統領は最初、中国との貿易交渉を重視していましたが、暗礁に乗り上げると次第に対中強硬路線に舵を切っていきました。理由は何でしょうか。
チュー氏:この2~3年、いろいろ異なるピースがありました。トランプ大統領は初め、対中貿易交渉で有利な合意を得るためにタフな姿勢を取りました。しかし交渉は難航。昨年、香港で逃亡犯条例改正案を巡る大規模デモが起き、米議会から大きな支援を受けました。
米議会の超党派の動きが「何かしないといけない」とトランプ大統領を突き動かしたのです。新型コロナウイルスの流行がさらに状況を前に進めました。中国政府はコロナがどのような状況をもたらし、どんな影響を持つのか透明性を欠いたのは明らかです。
この1年間に起きたアメリカの香港政策や中国政策の変化をひっくり返すのは容易ではないと思います。アメリカの中国観や中国が何をしているかについて米社会の見方が変わってしまったのです。私の指名手配も誰の身に起きてもおかしくないと国民に受け止められたと思います。
木村:トランプ大統領が再選を果たす可能性は今や10%を割っています。バイデン大統領が誕生した場合、アメリカの対中政策はソフトに逆戻りしてしまうのではないでしょうか。
チュー氏:今起きている変化はトランプ政権だけでなく、長期的な、もっと永続的な傾向だと思います。問題は香港に留まりません。新疆ウイグル自治区のイスラム教徒ウイグル族弾圧や他の問題もあります。米議会の超党派の動きは政権が変わっても大きな圧力になります。
バイデン政権になったらプラス面もあります。中国に圧力をかけるためには連帯の輪を広げ、多国間の連携を強めていくことが不可欠です。トランプ政権の対中姿勢は強硬ですが、多国間協力を欠いています。バイデン政権になればこの点は大きく改善される可能性があります。
米議会は対中強硬姿勢でほぼ全会一致
米議会での香港人権・民主主義法などの採決を見ると、上下両院ともほぼ全会一致。この傾向はチュー氏が言う通り、11月の大統領選でトランプ大統領が敗れても変わることはないでしょう。アメリカの対中強硬政策は大統領や共和党主導と言うより超党派の議会主導とみるべきです。
【2019年香港人権・民主主義法】
上院全会一致、下院賛成417票vs反対1票
【香港への催涙ガス輸出と群衆管理技術の制限法】
下院全会一致
【香港自治法】
上院全会一致、下院全会一致
【2020年ウイグル人権政策法】
上院全会一致、下院賛成413票vs反対1票