※この記事は2018年11月27日にBLOGOSで公開されたものです

2016年11月21日、新潟県立新潟工業高校の1年、拓海(仮名、当時15)が新潟市内のJR越後線内で電車にひかれて亡くなった。自殺だった。自室の机の上に置かれていた遺書には「本当はもっと生きたかったけど、生きていける気がしない」などと書かれていた。

遺族は、拓海が担任に3回もいじめ相談していたことを知り、「伝えてほしかった」と残念がる。2018年9月には、県教委を事務局とする常設の「いじめ防止対策等に関する委員会」(会長、梅野正信・上越教育大学理事兼副学長)がいじめの事実と、「必要かつ適切な措置を実施するこができなかった」として、学校の対応が自殺に影響したことを認めた。

父親の佐々木正さん(46)が取材に応じた。

報告書や遺族によると、拓海は小学校4年のときに新潟市内に引越しをした。中学まではいじめをうけることはなく、登校を渋ることはなかった。学校は早く行くところというイメージがあったようで、早くに登校した。起床は早く、朝に勉強をしたり、ラジオ講座も聴いていた。拓海は2016年4月、新潟工業高校に入学した。

加害生徒が「ウケ狙い」で「不愉快なあだ名」を思いつき、グループLINEに投稿

夏休み明けの9月ごろ、工場見学のバス内で、加害生徒の一人が、拓海にとって「不愉快なあだ名」(以下、「あだ名」)をつけた。その後、拓海にわからないように一部のグループがその「あだ名」を使っていた。10月になると、加害者を含むグループLINEに、「あだ名」に関連した合成写真が投稿された。ウケ狙いで授業中にも言われるようになる。

「加害生徒は嫌がらせで言っているだけ。自分たちが笑いを取るためだけで、相手の気持ちを考えていない。私は息子が亡くなるまで知らなかったが、知っていたら、怒鳴り込んでいた」(父親)

10月、席替えのときに椅子を蹴られた。27日の放課後、拓海は担任に初めて相談した。また、30日午前5時ごろ、いじめを訴える手紙を書いた。不愉快な「あだ名」をつけられ、他のクラスにも知れわたっていること、いじめ抑止標語の無力さなどを訴える内容で、「軽い指導だけでは解決するとは思えない」「どうか罰などを与えて何とかしてほしい」とあった。書き終えた時間だろうか、「5:46」とも記されていた。

取材に応じる父親の佐々木正さん

手紙を担任に渡したのは11月1日午前8時ごろ。相談としては2度目。昼休みに生徒指導部教諭から聞き取りをされ、加害生徒に対して指導がおこなわれた。しかし、拓海はその後も「あだ名」で呼ばれ、悪口を言われ続けた。

「担任からは連絡も相談も報告もない。手紙をもらったとき、担任は『親に知らせていいか?』と聞いたが、息子は『家には知らせないでほしい。親に知られたくない』と言っていたそうだ。3回も相談をしているのだから、『様子がおかしい』とか『悩みがあるようだ』とか言えると思う。その辺の配慮が足りない。息子は解決したいから相談したはず。相談の重みをわかってない。息子はよほどなんとかしたかったんだろう」(同)

担任に3度のいじめ相談。しかし確認や対応は不十分なままだった

11日には、担任に3度目の相談をする。悪口を言われたことを口頭で伝えた。しかし、加害生徒は、拓海への悪口とは認めなかったため、担任は一般的な指導をしただけだ。

「生徒2人の間に息子がいた。精神的に参っていたので机に伏せていた。そのときに2人が『死ね』などと言っていたというが、息子は自分が言われたと思っていた。加害生徒は指導後に謝罪しているが、息子に対してではなく、言い合いになっていたというのが生徒2人の言い分。しかも、息子はそのヒアリング結果を知らない」(同)

2日後の13日、拓海は、通知端末で自殺に関連する情報を検索した。15日の保健体育の授業では「ストレス」に関する授業があり、副読本にある「日常的なストレス」を書く欄に、拓海は「クラスで嫌われていると感じる」などと書いた。しかし、気づかれることがなかった。

そして21日早朝、線路に向かって、電車にひかれる。机の上には破かれたノートを両親が見つけた。「9月中旬から今に至るまでの平日は生き地獄のような毎日でした」と書かれていた。

「遺書は当日の朝に書いたのだろう。携帯端末のアラームが午前3時30分にセットされていた。列車にひかれるまで2時間ある。そのときに遺書を書き、親友へのLINEを打っていたのだろう。私たちに知られないため、音がしないように、くつを履かないで外に出た」(同)

前日は、拓海が好きなカードゲームの大会があった。夜は父親とカードゲームをしている。

「いつも2勝したら終わりにしているが、その時は私が勝った。その後、布団に入って寝るが、いつもなら、息子はふすまを閉める。そのときは開けていた。今から考えれば、まだ一緒の空間にいたかったんだろうと思うが、いじめられているという目で息子を見てないので気がつかない。せめて、担任に相談をしているという情報があれば...」(同)
拓海が好きそうなグッズを正さんが購入。実家に置いてある。

他に気が付いた点はなかったのか。

「悩んだときには連絡する相談窓口が書かれているカードをもらってきていた。何かあったらと、近くに置いていたが、使った様子はなかった」(同)

2017年1月15日、加害生徒とその保護者が、拓海の遺族と面会した。校長と教頭が同席した。拓海が名指しした加害生徒3人との面会では、不愉快なあだ名で呼んだこと、LINEで中傷する合成画像を拡散したことを認めた。「気持ちが想像できなかった」などと話したという。

「いじめの精神的な負担は、期間の長さではない。感情はいっきに変わることがある」(同)

学校側は「県の基本方針」などに示された対応をせず

「いじめ防止対策等に関する委員会」は2016年12月から調査を始め、2018年9月11日に調査報告書が完成した。それによると、

1)9月、「あだ名」は継続的に言われていた。体操着をあげすぎているなどをみんなで笑われていた。
2)10月、「あだ名」に関連する合成写真がLINEに投稿された。一部生徒からは直接、からかわれていた。
3)11月、授業中や休み時間にも「あだ名」で言われていた。

これらを「いじめ行為」とした上で、3回目の相談後である11月13日には「心理的視野狭窄」で、「この時点では明確な希死念慮を持っていたと推察される」とした。

同委員会によると、学校は「いじめ認知時の対応に係る委員会」を開かないなど、「県いじめ防止基本方針」や「実践のための行動計画」に示された対応をしなかったという。またこの他に、保護者との情報共有の場を設けなかったこと、管理職による担任への支援やサポートがなかったことも問題だったとまとめている。

遺族への対応については「遺族の要望への対応、遺族対応への報告、遺族以外の第三者が関与することへの対応等、遺族との関係について、県教委によって、汎用的な対応例示の策定が必要」「相談窓口の紹介等遺族へのサポート態勢の整備を検討する必要がある」と書かれている。

今回の場合、委員会のメンバーに遺族推薦は入らなかった。NPOや教育関係者が同席する場面が一度あったが、その後は許可されていない。

「調査は常設の委員会が行った。他の県では、常設委員会で調査をするとうまく回らないことがあったそうだが、今回は会長がきちんと話を聞いてくれた。メールアドレスを教えていただくなど、いつでも言える安心感があった。報告書が出るまでは不安だったが、案を見て、まともな報告書ができてたので、びっくりした。内容に不満はない」(同)

遺族「懲戒処分の内容が甘い」

2018年10月8日、当時の校長が県教委幹部とともに遺族宅を訪れた。マスコミの取材も入った。そのカメラの前で、当時の校長は「命を守れず、申し訳ない」「家族のみなさまに大変な思いをさせてしまった」と謝罪したという。

「表面上は謝罪していた。しかし、私が『学校の調査では、対策をきちんとやるように言っていたとある。本当か?』と問いただしたが、返事はなかった。『なんで謝罪にきたのか?』と聞くと、『報告書が出たので』と言うだけだった」(同)

報告書の概要版は現在、ホームページに上がっているが、報告書全体にマスキングをしたバージョンを公開することも検討している。ただ、現場の学校にはマスキングバージョンが届けられるために、詳細が現場には伝わりにくい。そのため、現場の学校には、マスキングを外した報告書を届けたいともしているが、現在、交渉中だ。

報告書ができたことを受けて、遺族は県知事との面会を要望。10月30日、県庁内で花角英世知事と面会をしている。

その後、県教委が、担任と教頭、生徒指導副部長(いずれも当時)を「信用失墜行為」による懲戒処分を行った。担任は、継続的な支援を行わず、その後の訴えも調査が不十分で、管理職への報告を怠ったとして、減給3ヶ月。教頭は「行動計画」に基づく行動を取らなかったとして、生徒指導副部長は「不適切な方法により聞き取りと指導を行った」として、ともに減給1ヶ月。校長(当時)は退職済みのため、減給3ヶ月分相当とした。

「元校長は今では大学で教員を養成している。減給相当など、処分内容が甘い。どういう判断なのだろうか。処分も第三者委員会が決めて、履行したほうがいいのではないか」(同)

新潟工業高校は2年後の2018年11月21日、全校集会を開いた。