※この記事は2018年10月20日にBLOGOSで公開されたものです

1968年に発生した「3億円事件」の犯人を名乗る人物を語り手とする文章が小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿され、大きな注目を集めた(現在は削除)。果たしてこの文章の語り手は本当に三億円事件の犯人なのか、白田と名乗る作者にメールインタビューを行った。【取材:BLOGOS編集部 島村優】

小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿された「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」では、白田という人物の一人称で三億円事件の真相や、今まで語られることのなかった背景がつづられている。

今回、作者を名乗る「白田」という人物とコンタクトを取ることに成功。事件当時20歳前後だった白田は現在、体調が思わしくないとのことでメールでのインタビューを行うことになった。果たしてこの人物は三億円事件の犯人なのか、信じるか信じないかはあなた次第…。

※メールでの取材は10月上旬に実施。諸般の事情により一度は記事公開を見合わせたが、その後、作者の白田氏から連絡があり公開できることになった。

三億円事件:東京都府中市で1968年12月10日に発生した窃盗事件。日本信託銀行の現金輸送車が運んでいた東京芝浦電気(現・東芝)従業員のボーナス約3億円(2億9430万7500円)が、偽物の白バイ隊員に奪われた。現金には損害保険がかけられ、その保険にも再保険が結ばれていたため国内には金銭的な被害者がいなかった。

メカに弱いので息子の助けを借りている

--「府中三億円事件を計画・実行したのは私です。」を執筆するにあたり、名乗り出ることに不安はなかったのでしょうか?

息子から自白を勧められた日から迷いはありませんでした。強いてあるとすれば、自分の命が発表まで持つかという不安です。

--なりすましだと思われる可能性については考えましたか?

そもそも、全ての方に信じてもらえるとは思っていません。ただ、私なりの義理は通したかったのです。 

--なるほど。作品についてユーザーからの反応はありましたか?

1日に少しずつ発表している間は、読者の方々から多くの質問をいただきました。誹謗中傷が後を絶たず、今は受けておりませんが……

ただ、今でも直接メール機能を用いて感想を送ってくださる方もおります。事件自体を知らない若い方が、私の独白をきっかけに興味を持ったという感想もいただきました。

--作品がインターネットで話題になっていることは知っていましたか?

はい。息子に教えられました。ですが実感は全く無い、というのが正直なところです。私はインターネットやメカにはめっぽう疎いので……。

テレビや新聞に出ていれば多少は違うのでしょうが、少なくとも今は「公表した」という実感さえ朧げだというのが本音です。

--メカに弱いと言いつつ、メールの返信がとても早いですよね。こちらはご自分で?

いえ、息子にしてもらっております。

--発表した媒体は「小説家になろう」でしたが、読者層に合わせた書き方には工夫されましたか?

発表の仕方や書き方は全て息子に一任しておりました。私がメカに疎く、文字を入力するのが苦手だからです。私の手書きの文章を読み、それを息子が読みやすいように改編して発表しております。

そのままの文面だと読者の方に分かりづらいと思ったのでしょう。私も息子の判断には賛成です。

--息子さん大活躍ですね。

気づけばバイクの運転は得意だった

--作品の中の記述についても質問させてください。白田がバイクや車の運転技術に優れているとする箇所がありますが、その腕はどこで磨いたのでしょうか?自動二輪の免許を持っていましたか?

私は持っていませんでした。根気を入れて練習した記憶もありません。ただ、同じ型式に乗っていても一番速かったのは自分でした。

例えば曲がるときには、「どうやって曲がるか」ではなく「どうやって直線のように走れるか」を意識していました。体の傾きよりも、曲がり角の中で直線部分を頭の中で繋ぐのです。こういった自分なりの理論は持っていました。練習して習得したのではなく、走りながら考え続けていた、という感覚に近いです。

--感覚ですか。過去に暴走族だったことは作中で触れられていますね。

独白文の方では暴走族と表記しましたが正しくはカミナリ族です(息子による変更が入っているようです)。

--逃走には車を使ったようですが、自動車の運転免許はどこでいつごろ取得しましたか?

この質問はお答えできかねます。申し訳ありません。

--当時、どういった文学を読んでいましたか?すぐに思い出される作品などがあれば教えてください。

文学でいえば、どちらかというと推理物を読んでいました。土屋隆夫という作家はご存知でしょうか?よく読んでいました。

話は少しそれますが、音楽はロカビリーを好んで聞いていました。若い方はご存知ないかもしれません。あの頃ちょうどロカビリーブームというものがあったのです。

--ロカビリーは1960年代前半にブームが下火になったのではないですか?​

いえいえ、私の若い頃は流行っていましたよ。下火の実感はありませんでしたが…。音楽の歴史から言えばそう表現されるかもしれませんね。

恋人は吉永小百合に似ていた?

--作品では、盗んだ現金をあらかじめ準備しておいた車に移し替え米軍基地に隠す計画が上がっています。当時は米軍基地に自由に出入りすることができたのでしょうか?

作中にも書いてありますが、実際は基地には隠しておりません。元々の案ではそうでしたが。誰でも簡単に、とまでは言いませんが今よりもずっと敷居は低いはずです。

--当時は、基地に出入りできたのでしょうか。

基地に関しては、全て省吾(※)が仕事を通じて得た結びつきを頼りにしていました。ですので、私は向こう方と直接かかわってはいないのです。

※当時、犯人だと疑われていた、少年Sとされる人物。立川市で車両窃盗を繰り返した非行少年グループの一人。事件5日後に青酸カリで自殺。作品の中では、事件の準備には関与するも、途中で白田と離れ犯行には関わっていない様子が描かれている。

--長年連れ添った奥様とは、作中の京子なのでしょうか。

その後につきましては、後日談として発表することを考えております。京子は吉永小百合さんによく似ていました。

--作品に書かれていないその後についてですが、奪ったお金はどのように使いましたか?時効成立前にも使ったのでしょうか?

その後につきましては、後日談として発表することを考えております。

「犯人」が語る三億円事件の裏話

--今、手元に当時のお金はまだ少しでも残っていますか?

当時の紙幣、という意味では手元にはありません。

--紙幣番号が記録されていた二種類の紙幣(※)についてはどのような処理をされたのでしょうか。

※紙幣番号が登録されていたのは五百円札の新券2000枚のみ。二種類は誤り。

これは次作に記す予定なので詳しくは述べませんが…、得た紙幣が私の手から世に流れた、というものは一枚もありません。

これには理由があります。事件後に一部の紙幣番号が発表されました。「控えているものはこれだけだ」という内容のものです。ですが私はそれでも現金を使おうとは思いませんでした。警察の発表を信用できなかったのです。

--作中で、白田が「現金輸送車を襲う」と決めた決定的なタイミングはいつでしょうか。作品を読むと1968年1月に喫茶店で暴力を受けた時のようですが、1967年12月に犯人グループによって盗難されたスカイライン(※)はあなた方の手によるものではないのでしょうか。

※1967年12月13日に保谷市ひばりヶ丘で盗難されたプリンス・スカイライン2000GT

計画前から盗んでいた車両はありました。省吾がグループで悪だくみをする際に使用する予定だったものです。「私の計画のために準備したわけではなく、もともと手元にあったものを使用した」という備品は車に限らず複数あります。

-作中で「ちょうど十一月の最後の日で、計画に必要な車を揃えた段階です」という記述があります。犯人グループの手によるとされる5台の乗用車のうち、犯行に使ったカローラは、12月7日に国立市矢口の都営住宅で盗んだ(※)のではないでしょうか。

※正しくは日野市多摩平の都営住宅

私の言葉が足りていないようでした。申し訳ありません。正しくは「当初予定していた車を揃えた」です。

--同じように「十二月七日--決行まであと三日」には準備が整ったとされていますが、偽装白バイ=ホンダドリーム(※)の塗装を完了したのは12月8日ではないでしょうか。

※正しくはヤマハスポーツ350R1。ホンダ・ドリームは準備していたものの故障していたとされる。当時、ヤマハの白バイは存在しなかった

塗装についてなのですが、一日ですべて済ませたわけではないのです。あなたのおっしゃる12月8日を裏付ける答えになるかは分かりませんが、少なくとも塗装に限って言えば前日まで細かい部分に修正などをしていました。

原因は私の技量不足です。省吾と違って、私は改造や塗装の技術に長けてはいませんでしたので…。

--あれ、犯行に使った白バイはホンダドリームではなく、ヤマハスポーツですよね?当時はヤマハの白バイはなかったはずですが、ホンダのバイクは手配できなかったのですか?

準備していたのですが、単車のエンジンに不具合があったのです。そこから更にもう一台同じものを、とはいきませんでした型式違いは苦肉の策です。

今年中には続編を発表予定

--続編の執筆はもう始めているのでしょうか?公開時期の予定はありますか?

息子には大方話しました。今までは私の自筆で書いたものを息子が修正して入力、という形をとっていましたが、書く体力はもうありませんでしたので口頭にて伝えました。今年中には、とは思っております。

--最後に質問させてください。あなたは三億円事件の犯人なのでしょうか?

はい。作中の白田は私自身です。

これが筆者と「三億円事件の犯人」白田とのメールのやり取りだ。最後のメールを白田は次のように締めくくっていた。

「最後に一言だけよろしいでしょうか。

私はこの独白文発表を通じて強く感じたことがあります。
それは、「全ての人を信用させることは絶対に不可能だ」ということです。

あなたがどういった記事を書こうとしているか、その心中は測りかねます。
ですが、感じるまま、思うままに書いていただけないでしょうか?

(中略)

分かっていただきたい。
私が不快に感じるのは否定的な意見を目にすることではありません。
私が不快に感じること……。
それは、あなたが私に対していらぬ配慮するあまり、ご自身の心の声を黙殺することなのです。

なぜなら、私は今回の独白を生半可な気持ちで発表したわけではないから。
あの文書こそ、私の人生そのものだからです。」

一体、白田は本物の「三億円事件の犯人」なのだろうか。お金を奪った後の人生を振り返るという次回作に期待したい。近く、12月10日にポプラ社より小説として書籍が発売されることも発表されるようだ。