※この記事は2018年10月07日にBLOGOSで公開されたものです

NHKがノーベル賞の紹介記事で、バーチャルYouTuberの草分けとして知られる「キズナアイ」を進行役として採用した。(*1)

それに対して弁護士の太田啓子氏がTwitterで「女性の体が性的に描写されアイキャッチの具にされている」との趣旨のツイートをして炎上(*2)。そこに武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏が「ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中」という記事をYahoo!ニュースに投稿し、その炎は広がっている。(*3)

まず、これは明確に述べておく必要があるが、今回、炎上を仕掛けた結果、批判されて炎上しているのは太田啓子弁護士であり、キズナアイは炎上していない。キズナアイにとっては今回の騒ぎはとばっちりでしか無い。

にもかかわらず、タイトルで印象操作をして、キズナアイに火をつけようとしている千田教授は不誠実というしかない。

その上で千田教授の御意見(*3)を拝聴してみる。

まず最初に、「乳袋がある」「へそが出ている」と言うことが性的として問題視されているというが、これが描かれているのは扉絵だけである。映像の方ではへその部分はそもそもモニターの外であり、乳袋らしきものも確認できない。

そしてこの扉絵。この右手を開いて立っている構図は、キズナアイの基本的な宣材写真であり、他の媒体でも盛んに使われている。最近のもので言えば青土社の「ユリイカ」のバーチャルYouTuberを特集した号(*4)の表紙でも使われていることが確認できる。別にNHKだからとわざわざ指摘して問題視する必要がある部分だろうか?

ところで「へそが出ている」というのは見てわかるとして「乳袋がある」の「乳袋」とはなんだろうか?

まず、表現上の「乳袋」とは、さも胸が服の下に張り付いているかのように描く技法のことである。基本的には胸のサイズを強調するために使われることが多い。故に、性的強調の技法であるとして叩かれがちな技法でもある。

しかし、それは包丁で殺人が起きたことを指して「包丁は殺人のための道具」と決めつけるような話である。

技法上の「乳袋」とは、女性キャラクターを描く際の「省略の技法」である。

胸の大きなキャラと小さなキャラに同じ図柄のシャツを着せたとして、胸の大きなキャラだけ図柄を横に伸ばして描くとか、もしくは胸に合う大きなシャツを買ったということにして、そのままにすれば腰まで寸胴で太って見えるし、それを避けるために服を腰で絞れば、その分のシワを描き、シャツの図柄を複雑に変形させる必要が産まれる。

そうした面倒な部分を基本的に省略して「胸があっても無くても服のデザインに響かない描き方」が、胸の部分だけさも服の生地が伸縮自在になっているかのような「乳袋」なのである。

そして実際キズナアイの絵では、性的強調のためではなく、服中央のピンク地部分を真っすぐにキレイに描くために、この乳袋の技法が使われていることがわかるだろう。

次にキズナアイが聞き役に徹しているという点。

これは単にキズナアイが聞き手役だと言うだけのことである。

そして重要なのは、NHKのサイト(*1)では二人のやり取りが文章となって書かれているという点である。

何かの解説を文章に書く場合、どうしても1つ1つの文が長くなるために、ある程度で区切りを入れなければ、冗長になってしまう。キズナアイの相づちは、その区切りとして利用されている。それは女性キャラクターだからではなく、単に聞き役としての役割である。

そもそもキズナアイは、すでにそのキャラクター性がファンによって認知されている存在である。

キズナアイに食いつくようなファン、すなわちアニメオタクではなく、10代や20代の男女という、今回のNHKサイトがターゲットにした層の人達は、キズナアイの「ポンコツ」さに共感を覚えていたりする。キズナアイが聞き役なのは、そのキャラクター性を十分に活かすためでもあり、決して女性は理系が苦手というステレオタイプということではない。

実際、「武装した物騒な細胞でやっつけるんですねっ」なるダジャレ発言で、先生役を引かせるなど、ポンコツばりの大活躍(?)を見せている。こうしたキャラクター性、すなわちキズナアイが持つ固有のアイデンティティをサイトの要素に入れ込むことで、少しでもノーベル賞に興味を持ってもらおうとするのがキズナアイの役割である。そこに対して女性性がどうのこうの言い出すこと自体が筋違いだし、キズナアイ個人への侮辱と言ってもいいだろう。

乳袋のこともそうだが、千田教授は「表現上必要な機能性の問題」をすぐにジェンダーで括ってしまっている。こういうことを社会では「いちゃもん」と呼ぶので、覚えていてほしい。

そして最後に。

一番ぼくが「千田教授は問題の本質を何も分かっていない」と思ったのは、以下の一文である。

「このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。」(*3)

かつて、「きちんと受け答えをする研究者」のブームを日本に作ろうとして、大失敗したという事があった。

1917年以来、日本の自然科学研究の中心としてリードしてきた理化学研究所(以下、理研)は、理系の女性を増やそうと、ある一人の若い女性研究者を理系女子、略してリケジョのイメージキャラクターとして世に押し出そうとした。

そのイメージを形作るために、理研は女性研究員の制服として、いかにもな研究者の記号となる白衣ではなく、女性らしい母親らしい優しさを表現するための割烹着を着せた。そして部屋をこれまた女性らしいピンクに染めた。

ピンクの研究室で働く割烹着姿のリケジョ。こうした男性的なイメージとは異なる、女性的な新しいスタイルの研究者は、メディアの目を引くはずだった。そしてその目論見通り、女性研究員はリケジョとしてメディアに大々的に取り上げられた。

しかし、その成功は長くは続かなかった。彼女の研究を見た人たちが、彼女の研究に用いられていた写真が、他の研究に用いられた写真の使いまわしであることを発見したのである。

それから、研究には様々な問題があることが発覚した。女性研究者の評判は地に落ち、彼女の研究指導をしていた男性研究者は自殺に追い込まれた。

その女性研究者の名前は小保方晴子さんという。

もし仮に、千田教授の言うような「女子学生の希望となるような白衣の女性」の役割を、本来であれば請け負っていたのは小保方さん、もしくは小保方さん路線を継いだ女性研究者であったのだろう。

それはとりもなおさず、千田教授自身も「女性の研究者を呼び込むようなキャラクター」を必要と認識していることを意味する。

STAP細胞騒動において、理研はさも小保方さんに騙された被害者であるかのように立ち回った。実際それは成功したと見え、今では大半の人が小保方さんという研究者が不正をした問題としてのみ、この問題を覚えているのだろう。

千田教授の文章にも小保方さんの名前が出てくるが、やはり小保方さん個人の問題としてしか認識していないようだ。

しかし僕は、小保方さんという未熟な研究者を、理研の権力をもってリケジョブームの広告塔に押し出そうとして、大々的に世間に晒してしまった理研こそ、あの問題における最大の加害者であると考えている。

何に対する加害であるかといえば、それはジェンダーに対する加害である。女性研究者を一人の研究者としてではなく「親しみを持ちやすい女性」として、割烹着やピンクの研究室で飾りたてて、男性研究者とは違う存在として扱おうとしたことは、女性差別そのものであった。

しかしなぜかこの件は女性差別の例としては扱われていない。なぜならそこには「強者男性が持つ権力の分前」があったからだ。

理研という男性社会の権力は、女性を呼び込むために女性性を利用した。このことだけなら性差別であると騒がれたはずだ。しかしここで重要なのは、こうした扱いをもって理研は男性社会の権力を女性にも分け与えると考えられていたことである。

つまり、小保方さんが立派な研究者と認められ、社会的権威を得る上においては、このような女性性の宣伝材料としての利用も、ジェンダーの問題にはならなかったのである。小保方さんの本意はわからないが、少なくとも彼女は研究者としての地位を確立するために、割烹着やピンクの研究室を受け入れたのである。

とりもなおさず、千田教授の「このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。」という発言も、まさに「白衣の持つ権威性」を女性が持てば、女性がたとえ話の受け手役でも構わなかったという意味を含むのである。千田教授がそれを認識していないとすれば、うかつとしか言いようがない。

結局、今回のことでキズナアイを燃やそうとしている人たちは、「本来は男性社会の加護を受けた女性がいるべき場所に、オタクが好きそうなキャラクターが居るのが気に入らない」程度の認識で口を開いているとしか、僕には思えない。

一応、千田教授の新しいエントリー(*5)も見たが、まぁ相変わらず筋違いのことを主張するばかりで、批評に値しない。

千田教授はツイートで「市民的公共性は対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います」(*6)というが、そもそも対話をするなら「最終的にどうしたいのか」をはっきりしてほしい。

そもそも「胸の小さなキャラクターにすればよかった」のだろうか?

仮に今回のNHKが使用したキズナアイに、乳袋がなく、へそが出ていなかったとしても、それはそれで「このキャラクターは女性の幼児性を強調しており、性的搾取と言える」と主張してきただろう。

漫画やアニメの女性キャラクターを批判する人たちはこれまでも、常に手を変え品を変え、前後の脈略関係なく実にラディカルに、というか好き勝手に批判してきたのである。

さらに言えば、彼女たちは「NHKからキズナアイを引きずり降ろせば問題解決」などとは考えていない。仮にキズナアイがNHKから削除されたとしても、すべての漫画やアニメのキャラクターをあらゆるメディアから殲滅させるまで、好き放題自由気ままに騒ぎ続けることだろう。

少なくとも僕はそのくらいに、太田弁護士や千田教授のような人たち、すなわち女性の人権というお題目で漫画やアニメのキャラクターを攻撃してくる人たちを信頼していない。

信頼していない相手とは対話などできないのだ。対話を望むなら、まずはその天まで伸び切った鼻を、自ら適切に切り落とすことから始めてほしい。

*1:ノーベル医学・生理学賞に注目!|まるわかりノーベル賞2018(NHK NEWS WEB)https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2018/maruwakari01.html
*2:"NHKノーベル賞解説サイトでこのイラストを使う感覚を疑う。女性の体はしばしばこの社会では性的に強調した描写されアイキャッチの具にされるがよりによってNHKのサイトでやめて。このサイトで女性受賞者は少ないの?とか書いてるけどこれじゃ理由わかんないんだろう"(太田啓子 Twitter)https://twitter.com/katepanda2/status/1046917020279693312
*3:ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中(千田有紀 Yahoo!ニュース)https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
*4:ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber(青土社)http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3182
*5:「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて(千田有紀 Yahoo!ニュース)https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/
*6:"市民的公共性は対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います。 いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?… "(千田有紀 Twitter)https://twitter.com/chitaponta/status/1047810081515954176