娘がコンビニで遭遇した事件から考えた、困難を抱えた人と生きていくこと - 紫原 明子
※この記事は2018年09月29日にBLOGOSで公開されたものです
この前、出先にいる私に、中1の娘が泣きながら電話してきたのです。
驚いて、一体何があったのかと聞くと、「最寄りのコンビニに行ったら、レジにいた店員さんにいきなり“忙しいんだから、ふさけないでください”と言われた」と。
ふざけてたの? と聞くと「そんなことはない」と娘は言います。どんなやりとりがあったのか詳細を尋ねてみると、レジを打っていた店員さんの質問(後々考えれば“温かいものと冷たいものの袋を分けますか?”ということだったのだろう、ということでした)が小声で聞き取れず、「え?」と一度聞き返すと、そこで“忙しいんだから、ふざけないでください”と突然店員さんに怒られた、と。
驚いて何も言い返せずに店を出たものの、家に着いて冷静になると、なんでそんなことを言われなきゃいけないのかと、どう考えても腑に落ちず、悔しくて涙が出てきたと語る娘。
そもそも私がどう考えても、娘はレジでふざけるようなタイプには見えず、大体レジでふざけるとはどういうことかというのもまるで想像がつかず、そんな中、考えられることといえば、娘が子どもだから馬鹿にされたのだろうか、ということくらいでした。
そう思うと私もふざけるなよ、とドロドロ腹立たしい気持ちになってきたのですが、そうはいっても、娘の話ばかりを一方的に鵜呑みにするわけにもいきません。私が知らないところで実はふざけたり、失礼な態度を取っていたりしたら、それは謝罪しなければならないので、とにかく店に電話をしました。
電話口では店長さんがとても親切に対応してくださり、娘の買ったものや店を訪れた時間、娘の覚えていた特徴(女性、おそらく40代前後)から、応対されたレジの方をすぐに特定し、電話をつないでもらうことができました。店長さんは、本人から謝罪をさせますので、と仰ったけれども、私はまず、どういう状況で発せられた“ふざけないでください”だったのかを知りたいと思いました。
それで、電話口で「娘がなにかふざけた態度を取ったのでしょうか?」と尋ねました。すると電話口の店員さんは、「このたびは大変申し訳ございませんでした」と仰って、沈黙。私が再び「娘が、何か失礼なことを申し上げたのでしょうか?」と尋ねるも、「このたびは大変申し訳ございませんでした」と、先程とまったく同じ抑揚で機械のように仰って、やはり沈黙。
「…上の方に、とにかく謝罪しなさいと言われているんですか?」と尋ねるも、やっぱり「このたびは大変申し訳ございませんでした」と謝罪、そして沈黙。とにかく、ぜんぜん言葉のキャッチボールが成立しないのです。
どうすれば、より建設的な話ができるようになるのか。その糸口が全く見えないまま、同じようなやりとりを5分ほど続けた頃。「子どもには、特に理由もなくそういう態度を取っていいと思われたんですか?」という質問に対して、先方の反応に変化がありました。
「…そういうわけじゃないです」
「ということは、やはり娘が何か失礼なことをしたということですか?」
「まあ、そうですね」
「それなら具体的に教えてください」
「娘さんが、お友達の方と、私のことをSNSで特定してからかってくるんです」
思わぬお返事に唖然としました。娘が友達と一緒になって店員さんをSNSで特定して、からかっている…そんなことがあるのだろうか?そもそも娘は、その店員さんを、初めて見た人だと話していました。また、友達と訪れたのではなく、一人で買い物に行って帰ってきたのです。
そのことを先方に伝えると先方は「最近、私のLINEを盗み見て、集団でいやがらせをする人達がいるんです。私が、今日の午前中に買ったものと同じものを娘さんが買われました。娘さんも、私のLINEを盗み見て、買ったものを調べて、嫌がらせをされているんです」と。
ここまで伺ってようやく、そういうことだったのか、と腑に落ちました。子どもがどんなに親の知らない面を持っていたとしても、LINEを盗み見たり、同じものを買っていやがらせしたり、というようなことはまず考えられません。専門家ではないので断定はできないけれど、恐らくこの方は、なにかしら病的な妄想にとらわれていらっしゃるのだろうと思いました。
電話にもすぐに再び店長さんが代わられて、この店員さんがその日初めて派遣でやってきた方だということ、レジでの応対は何ら問題ないように見えたので、一連のやり取りに驚いていることなどを話され、私の方も了承して電話を切りました。
娘にも、一連の流れを説明して「そんなわけで、あなたには全く、一切何の落ち度もないことが分かったから、少しも落ち込まなくていい」と伝えました。
親子ともに一安心しましたが、そうはいっても、子どもが一人、通い慣れた近所のコンビニで、完全に無防備な状態で、大人からくらう理不尽な攻撃には、結構な威力があっただろうと思います。
悪意なくとも、事故で受けた傷はやっぱり痛いし、傷以上に、ぶつけられた瞬間に受けたショックの方はまた、理屈でないところで長く残るものでもあります。
親としては、“可愛いうちの子に何してくれとんじゃ~”と息巻きたいところですが、一方でレジの女性にとっても、彼女に見えている、彼女をからかってくる人達の存在は、非常に切実な悩みの種だろうと思います。彼女に近い人がどうか、彼女の異変に気付いて、適切な対処をしてくれる専門機関に相談してくれるといいなと思います。
多様な人を受け入れるためには「強さ」が必要
今回のできごとは、娘にとっても、私にとっても、あらためて考えさせられることが多くありました。同じ社会に生きている人全員に、同じ世界が見えているとは限りません。共通のルールを有する同じ社会に生きていたって、中には今回のように悪意なく、また何かしらの事情によって、出会い頭にこちらの平穏が乱されることもあります。
そういう人達が迷惑だからと、そうでない人の力で社会から排斥するのは簡単です。でも、それは同時に、ほんの少し逸脱すれば自分もまた、社会から簡単に排斥されてしまうリスクを負う、ということでもあります。
多様な人を受け入れられる社会というのは、自分もまた排斥されない安心感とともに生きていける社会でもあります。もちろん程度問題ではありますが、このメリットを享受することと引き換えに、私たちは全員が少しずつ他者に配慮する、と同時に、ちょっとした不測の事態に直面したとしても、なんとか自分で自分の心を守り抜く、そのための強さを育てていく必要があるのだろうと思います。
“自分に非がないことでは、絶対に傷つかなくていい”
今回のことで娘に伝えたことです。もちろん、これをあまりに強引に強いて、本当はある傷まで表に出せなくしてしまってもいけないのでしょうが、せめてこの言葉が重荷と感じないうちは、心に留めていてほしいなと思います。