※この記事は2018年09月25日にBLOGOSで公開されたものです

少女は何度も殺される――。

スマートフォンやSNSが普及し、動画や画像を使ったコミュニケーションが一般的になった。殺人事件の名前を検索すると、さまざまなニュースとともに被害者の実名やプライベート写真が今もネット上にあふれている。性的な動画流出のデマが拡散されたことを苦に自殺する女子高生と、死後も拡散され続けるフェイクニュースを描いた映画『飢えたライオン』に込めた思いを監督の緒方貴臣氏が語った。【取材:石川奈津美】

フェイクニュースが拡散し少女が自殺

映画の舞台はとある高校のクラス。ホームルームの朝、主人公・瞳のクラス担任の男性教師が未成年への淫行容疑で警察に連行される。その後、男性教師が女性と性的な行為をしている動画がSNS上に流出し、その相手が瞳ではないかというデマ情報が広まった。デマ情報はすぐに忘れ去られると思っていた瞳だったが、友人や恋人、家族からも疑われ、さらに周囲の男性からは性的なまなざしを向けられていく。追い込まれた末、瞳は自ら命を絶つが、彼女の死後もなお、テレビでは連日、顔写真とともに家族構成や友人関係といったプライベートが流され、ネット上では性的なデマ動画が彼女のものとして拡散され続けていく――。

――フェイクニュースを苦に少女が自殺を遂げるストーリーを選んだ理由は何でしょうか?

前作の『子宮に沈める』(2013年)では、2010年に大阪市のマンションで3歳と1歳の子どもが母親の育児放棄で衰弱死した実際の事件を題材にして作りました。脚本も僕が手がけ、創作の部分も数多くあったのですが、実際に起きた事件をもとにしていることを大々的に打ち出していたので、この映画を観て「あの事件はこういう内容なんだ」と勘違いしてしまう方がいました。

社会問題化している児童虐待や育児放棄に真正面から切り込むことができた作品になったとともに、意図したものとまったく違う方向に受け止められてしまったことに関して批判も数多く受け、僕自身、「間違った事件の姿を世の中に広げてしまっているのではないか」という罪悪感がありました。

こうした僕自身の経験などをきっかけに、社会課題を映画として表現したいと思い、今回の作品を手がけることにしました。

「のぞき見は快感」人の本質は変わらない

――フェイクニュースが広がっていく原因はなんだとお考えでしょうか?

今回のような人の性的な部分など普段見えないところや人の不幸を「のぞき見る」ことへの人々の快感や関心の高さから広がっていきます。そしてこれは、今に始まったことではなく、本質的には昔からまったく変わってないと思っています。

例えば、中世ヨーロッパでは公開処刑が大衆娯楽のひとつとして人気を集めていました。これは、罪を犯した人を見せしめとして罰することによって、「悪いことをしたらこうなりますよ」という一種の正義を見せる場でもあります。

この「皆で囲んで誰かを叩いて、その苦しみを鑑賞する」という構造を僕は「社会的リンチ」と呼んでいるのですが、芸能人の不倫報道や企業の不祥事などに対する報道やネットの反応など、いま起きていることとまったく同じだと思っています。ガス抜きじゃないですが、一種のエンターテイメントになっているのではないかと思っています。

ただ、当時と圧倒的に異なっているのは、スマホの普及で写真や映像を誰でも撮れるようになったこと、そしてSNSの発達で情報の拡散能力やスピードが格段に上がったことです。この2つの変化で、これまで一部の人だけが巻き込まれていたものが、誰でも巻き込まれる、そして誰でも加害者になりうるという環境が整ったと思っています。

私たちの内側にある「加虐性」に気づいてほしい

――作品ではシーンとシーンの間に、しばらく黒い画面が映ります。これにはどのような意図があるのでしょうか?

作中ではできるだけ主人公に感情移入させないようにしたいと思いました。シーンごとに区切り、その間にしばらく黒味(黒い画面)を入れることで、観客の意識が毎回途切れ感情が続かない効果があります。また、ほかにも、彼女が苦しむ表情を基本的に見せず、代わりに後姿を撮影したり、なるべく近づいて撮らず距離がある位置から撮影したりするなど主人公と観客の間に距離感が出るように演出しました。

主人公が被害者で、「いじめられて自殺する」というストーリーでは、観客は主人公の立場に立ってしまい、結局「自分は悪い人ではない」という感覚で終わってしまいますが、感情移入しないことで冷静に作品を見ることができます。主人公の周りにいる人たちのせりふや態度を目にすることで、これまでの自分の経験の中でつい言ってしまったことや態度を見つけてもらえたらと思っています。

――無意識な部分に気づいてほしいということでしょうか?

そうですね。人は「自分は正義」「自分は大丈夫」という感覚からものごとを見ていると思っています。ネット上には批判などがたくさん上がると思いますが、それも「正義」だと信じるがゆえの行動です。僕自身も例外ではなく、前作(『子宮に沈める』)を作っているときに、自分は正義だと思って作っていました。

でも、だからこそ、自分の知らないどこかで人を傷つけているかもしれないということは自覚しづらい。今回、そうした私たちの内側にある「加虐性」に気付くきっかけにしてもらえたらと思っています。

『飢えたライオン』
9.15(土)より、テアトル新宿(東京)にてレイトショー!
10.13(土)より、シネ・リーブル梅田(大阪)、元町映画館(兵庫)
10.27(土)より、名古屋シネマスコーレ(愛知)
11.24(土)より、小山シネマロブレ(栃木)
ほか全国順次公開