X JAPAN・YOSHIKIが北海道地震の被災地支援で1000万円寄付 「寄付文化を日本にも広めたい」 - BLOGOS編集部

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※この記事は2018年09月14日にBLOGOSで公開されたものです

ロックバンド「X JAPAN」のリーダー・YOSHIKIが13日、都内の日本外国特派員協会で記者会見を開き、10年がかりで手がけていた新アルバムが完成したことを明らかにした。また、前日の12日には北海道胆振東部地震の被災地支援として、日本赤十字社の義援金窓口に1000万円の寄付を行っており、「日本の他のエンターテイナーの方々にインスピレーションを与えて、寄付が日本文化の一環になれば」と日本における寄付文化の広がりに期待を寄せた。【取材・文:石川奈津美、撮影:田野幸伸】

飛行機で大坂なおみと偶然にも同乗

当初、日本への帰国は12日を予定していたというYOSHIKIだが、アルバムのレコーディングが終わらず、生活の拠点としている米国・ロサンゼルスで2日間徹夜していたという。パジャマのような服装にジャケットを羽織ったままというラフな格好で東京行きの便に飛び乗ったところ、偶然にも全米オープンで日本人勢初のシングルス優勝を遂げたプロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手と同じ飛行機だったそうだ。

そのことを知らされないまま到着したため、羽田空港で多くの報道陣が待ち構えていたことに「夢かと思いました」と振り返り、「(ラフな格好をしていたため)『YOSHIKIのスイッチ』を必死で切って隠れようとしました」とジョークを交えながら語った。新アルバムについては「完成しました」と明言するもリリース日は未定とし、「マネジメントやエージェントと共に考えていきます」と話した。

また、X JAPANの過去に迫ったドキュメンタリー映画『WE ARE X』(2016)についての質問が飛ぶと、「制作はX JAPANの歴史の中でも最も難しい作業でした」と当時の気持ちを吐露。

約10年前、アメリカのエージェントからドキュメンタリー制作の打診を受けた際には、「自らの命を絶つという形で僕は父を亡くしましたし、メンバーのHIDEやTAIJIも亡くしました。そして、Toshlが洗脳されるということもあり、過去の扉を開けるのはとてもためらわれました」と話す。

だが周囲に説得される中で、「このドキュメンタリーができることによって、僕たちが人の命を救えるかもしれない、落ち込んでいる方の助けになれるかもしれない。僕たちも戻ってこれたんだから」と感じるようになっていったといい、制作することを決意したという。

西日本・北海道の被災地へそれぞれ1000万円の寄付

YOSHIKIは会見前日の12日、最大震度7の地震が襲った「北海道胆振東部地震」の被災地に自身が運営する慈善団体「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通して1000万円の寄付を行った。今年7月にも、西日本を中心に甚大な被害をもたらした豪雨災害に対し1000万円の寄付を行っており、国内における自然災害の被災地へ相次いで支援を行っている。

こうした積極的な支援活動に対する理由をたずねられると、YOSHIKIはアメリカの芸能界では多くの人がチャリティを行い日常的なことになっていることを紹介。その上で、「日本人は控えめなのか、ひっそりと寄付する人が多い」と日本の寄付文化に対する印象を語り、

「被災した方の支援になっているのであれば、もっと堂々としていて良いと思います。僕としてはこうした活動を日本でも広めて、同時に日本のエンターテイナーの方々にもインスピレーションを与えて、寄付をすることが日本文化の一環になっていけばいいと思っています」と国内での寄付の広がりに期待を寄せた。

さらに、先月放送された日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ」で10歳の目の不自由な少年とコラボレーションし、演奏をしたことを紹介。「自分としては『彼のためになれば』と思ったけれども、逆に彼の音楽に対するひたむきなピュアな部分に自分も救われた気がしました」と振り返り、支援をすることで自分自身が支えられたという経験を振り返った。

また、今年の正月に放送されたテレビ番組でYOSHIKIが食べていたお菓子の「おかき」が話題になり、商品が一時店頭からなくなるほどの人気を集めたことに関しては、「収録が帰国したばかりのタイミングで6時間という長丁場だったため、あまりにもお腹がすいていて、カメラの前だということも忘れて食べてしまいました」と裏話を明かし、会場から大きな笑いが起こった。

アーティストが引退するのは「死ぬとき」

今年1月、音楽プロデューサーの小室哲哉氏が不倫報道を受け引退したことに対する質問も上がった。

YOSHIKIは同氏の引退会見翌日、電話をかけて「何で引退するの?アーティストが引退するのは、死ぬときだよ」と伝えたことを明らかにした。その上で、「人によっては、『これ以上やっているのが辛いからどこかで線引きしないと』という人もいると思います。でも、どんな人生でも、どんな仕事でも辛いんです」と話す。

一方で、アメリカに拠点を移し現地で音楽活動を続けていることに対し「僕ももうだめだなと思ったら日本に戻って来ようと思っていました。でも、まだ頑張っていますし、前進し、戦い続けている」と人生観を語り、「自分だけのためにやっているのではなく、みんなのために戦っている。それが人生だと思いますし、辞めるのは死ぬときだと思います」と断言した。

音楽活動をしている若い世代へのアドバイスを求められると、「20、30年前に僕たちがデビューしようとしたときは、アルバム1枚を作るのも大変だったけれど、今では音楽を作るのは非常に簡単になったと思います」と音楽業界の変化を語る。

一方で、その分、競争が激しくなり自身が作った音楽を多くの人に聴いてもらうことが難しくなっているとし、「重要なのは、『意味のあるもの』をつくること。自分のやっていることを信じていれば道が開けると思っています」とエールを送った。

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