※この記事は2018年09月13日にBLOGOSで公開されたものです

岡山や広島、愛媛を中心に甚大な被害をもたらした異常な豪雨。そして25年ぶりに非常に強い勢力を維持したまま西日本を縦断した台風21号。さらには内陸では初めての震度7を観測した北海道胆振(いぶり)東部地震。

8月から9月にかけて日本列島は未曾有の自然災害に混乱している。まさに天変地異を垣間見るような光景である。

台風21号の被害では関西国際空港が麻痺状態に陥り、北海道胆振東部地震では北海道全域295万戸が一斉に停電を起こすという、世界でも例を見ない〝ブラックアウト〟を巻き起こした。

さらに、7年前の「東日本大震災」の際の津波や福島第一原子力発電所事故での教訓もあったはずだが、今回の地震では運転を停止していたというものの泊原発の外部電源が一時的に失われたことも判明。

北海道電力最大の火力発電所・苫東厚真発電所が緊急停止したことの影響だというが、いくら原子力発電所の施設には問題がなくても、一歩間違えたら7年前のような事故が起こりかねないことを意味している。

もはや自然災害を前に〝想定外〟という言葉はないと認識すべきだろう。これに加えて人的災害も起こり得ることは言うまでもない。

自然災害の報道姿勢に疑問

そんな中、論議になるのが自然災害における報道姿勢である。特に、今回のように西日本の豪雨、台風被害、そして地震と災害が続くと、どうしても被災地で、その惨状を伝える各テレビ局の中継や取材方法などに批判が出てくる。

局によっては暴風の中で懸命に状況をレポートする女性アナを映し出していた。確かに暴風の凄さを映し出しているのだが、視聴者からは暴風よりも悲鳴を上げる女子アナの姿しか印象に残らなかったりする。当然、視聴者からは「危険過ぎる」「公開パワハラじゃないか」と批判が相次ぐが、それでも現場の臨場感を出したいのか、中継ばかりではなく録画した映像を編集して放送する…。

今回は高波による被害が多かったが、海岸付近で、その光景をレポートをする男性アナもいた。もっとも、ここ1~2年は視聴者からの「批判」も意識してなのか「安全な場所」であることをアピールしながらの中継となっているようだが、とはいっても、視聴者によっては「何もそこまで…」と思うようである。

しかし、現場からの中継に際して男性アナも女性アナも「報道」という使命感を持って取り組んでいる。今の時代、さすがに行きたくなければ断ることもできるわけだし、そういった意味で「やらされている」という意識は低いはず。これは警察や自衛隊、消防隊員…災害現場では活躍する多くの人たちにも言えることだと思う。

多くの犠牲を生んだ雲仙普賢岳での災害報道

自然災害の現場に危険はつきものである。当然、〝想定外〟の出来事も起こることを覚悟しておかなければならない。 報道の一つの教訓となってきたのが1991年6月に長崎・島原市の雲仙・普賢岳で起こった大火砕流事故だろう。この大火砕流では報道関係者16人を含め、警戒に当たっていた消防団員ら43人が犠牲になった。

改めて振り返ると、この事故は取材競争が過熱した結果、自然災害に対して知識が不十分だった報道陣によって引き起こされたものである。当時、取材で現地に入っていた記者は言う。

「火砕流の様子を撮ろうと、規制を無視して取材を強行していた新聞社やテレビ局。その取材陣の警戒に当たっていた消防団員、チャーターしていたタクシーの運転手らが火砕サージの襲撃を受けたのです。当然、その取材方法が大きな問題になりました」。

被害に遭った報道陣は気持ちの中では危険を感じながらも、状況を甘く見てしまった。結果的には記者としての功名心からくる〝人災〟だったことは明らかだ。

その事故から27年が経ち、果たして取材現場でこの時の教訓が生かされているのかといったら、正直、「?」と思うことも多々ある。

さらにここ数年は、被災地取材の〝一極集中〟も問題となっている。災害が大きかっただろう地域で、比較的に取材のしやすい地域ばかりに報道陣が集まることだ。これでは、どうしても偏った報道になりかねない。

確かに、惨状を伝えることは災害に対しての注目度を高めることになるし、その後のボランティアや支援の輪も広がりやすいが、報道陣が殺到する地域の被災者は、ストレスも溜まっているし、マスコミ取材を煩わしく思うようになる。

中継や取材から漏れた被災地は置き去りになってしまい、支援の度合いにも格差が出てくる。「バランスのある報道」が必要だと言ってしまえば簡単だが、実に悩ましい事態である。

スマホの普及で「一億総カメラマン」時代に

その上で今後、大きな問題になるのではないかと思うのは、視聴者による「動画撮影」だ。スマホの普及と、動画用カメラの高性能化で、今や〝一億総カメラマン〟である。

テレビのニュース、報道番組でも「視聴者提供」の映像が溢れているし、最近は視聴者からの投稿映像ばかりを集めて通常の番組まで作ってしまっている。記者の現場取材でも〝映像集め〟に必死だと言われるようになった。

テレビ局も、刺激的、衝撃的な映像を求めるようになるし、その要望を忖度して視聴者も映像を撮ろうとする…。しかも、これは当然の心理だろうが、自分の撮ったベストショットを「1人でも多くの人に見てもらいたい」とSNSやYouTubeにアップするようになってくる。今や〝ユーチューバー〟は人気の職業になっているほどだ。

動画撮影がエスカレートすると、自然災害に限らず、日常生活も映し出すようになり、場合によってはプライバシーも脅かす可能性が出てくる。災害時に一般人がスマホなどで撮影することに気を取られ、不慮の事故が起きることもあるだろう。

もちろん、視聴者からの映像投稿が悪いという訳ではない。ただ、単に「報酬狙い」の投稿となったら、方向は変わっていくことは明白だ。映像に限らず、かつては「市民参加型メディア」が注目された時もあった。

今後、ネットテレビなどの普及に合わせ、ニュースや報道番組のあり方も、もしかしたら〝想定外〟の方向に変貌していく可能性は十分にありそうだ。