※この記事は2018年09月11日にBLOGOSで公開されたものです

圧倒的な才能を前にしたとき、私たちは何を思い、何が変わるのかー。実写映画『君の膵臓をたべたい』で監督を務め、次代の青春映画の名手として注目を浴びる月川翔監督。新作『響-HIBIKI-』が今月14日に公開されるのに先駆け、今作に込めた思いを聞いた。【取材:石川奈津美、撮影:島田健次】

――ひとりの圧倒的な才能を持つ少女を前に、周囲の人たちが自らの生き方を考え直していくというストーリーになっています。今回、映画化を引き受けることになったきっかけを教えてください

実は、監督のオファーをいただいた時には原作をまだ読んでおらず、「15歳の女の子が芥川賞と直木賞にノミネートされるという話です」というあらすじだけを聞いて、「それって面白くなるんだろうか?」と思ったんです。

でも原作を読み始めたら、主人公の響が学校の上級生や大人たちと対峙・対決して自分の主義主張を貫くやり方の一つひとつが想像を超えていて、どんどん引き込まれていきました。

例えば、主人公は「殺すぞ」と胸ぐらをつかんできた上級生の指を折ったり、一冊の本を本棚のどこに並べるかで揉めて最終的には棚そのものを倒したりと、主張を通すために時に暴力的な行動に出ます。

そのやり方は一見、突拍子もなく思えるのですが、「自分が信じる生き方を曲げない」という一本の筋が通っています。主人公のそんな行動をみて、「世の中と折り合いをつけて生きてきているけれども本当は彼女のように生きてみたかった」という思いが自分の中にあるような気がしました。そして、こうした生き方を映像作品として形にできたらおもしろいものになるなと思いました。

「何で世の中に謝らないといけないの?」

――天才をどのように描いていったのでしょうか

脚本を作る段階で、原作者の柳本光晴さんから「主人公の響は『対社会』という戦い方はしません。あくまで相手と『1対1』で向き合います」と伝えられ、そこに着想を得て演出の方向を決めていきました。

たとえば、暴力行為について主人公が記者会見で問いただされる場面が映画の中で出てきます。主人公は質問をした記者に対して、「私は、あなたの意見を聞いているの」とあくまで本人の意見を聞こうとします。また、暴力を謝罪するよう要求されたときには、「殴った本人にはもう謝ったのに、何で世の中にしなきゃいけないの」と反発します。

最近、芸能人などの不倫問題などで謝罪会見を行うニュースを見ていて、責め立てている人たちは「一体どういった立場なんだろう」と、見ていて少しモヤモヤしたことを感じるときがあります。当人同士で解決したものを、なぜ世の中に対して謝ったりしなきゃいけないんだっけ…と。だからこそ、『1対1』の関係を大切にし、疑問に思ったことがあれば正面切って本人に言っていくという、主人公の生き様を見て僕自身もはっとさせられましたし、痛快に感じました。

ただ、暴力行為そのものは許されるものではありません。主人公の真っ直ぐさを応援しつつも、「天才だったら何をしても許される」という表現にならないよう、例えば音楽でも主人公をヒーローかのように煽らないようにしたくて、ミニマル・ミュージック(同じパターンやリズムを繰り返す音楽)を使うなど、バランスを保つように工夫しました。

天才と同じ土俵に上がる必要はない

――次代の「青春映画の名手」として、月川監督も天才と呼ばれることがあると思います

いえ、僕は、自分のことをごく普通の人間だと思っていて、圧倒的な才能の差を前にして、「絶対にかなわない」という感覚はとてもよくわかるんです。

今から約10年前、東京藝術大学大学院を卒業してから1年が経った25歳のとき、後輩で濱口竜介さんという監督の卒業制作を観ました。その才能を前にしたときの衝撃は今でも覚えています。映画を作ろうと社会に出て意気込んでいたタイミングで「絶対に勝てない」存在を目の当たりにした。本当に参りましたね。

ただ、彼と僕の両方を知る恩師に「彼のような人が映画を撮ればよくて、自分は撮る必要のない人間だ」と伝えたところ、「同じ土俵に上がる必要はない。君はエンターテイメントを作っていけば良いじゃないか」と言われ、はっとしたんです。僕が徹底的にエンターテイメントを作るという方向に舵を切ることになった大きなきっかけになりました。

濱口さんの作品は今年、世界3大映画祭のひとつである「カンヌ国際映画祭」で是枝裕和監督の作品とともにノミネートされました。「やはり彼は芸術性の高い方向に進むべき人だな」と思う一方で、当時感じたような「勝てない」という感情はなく、「自分はエンターテイメントに進んで正解だった」と自然に思うことができました。どちらが優れた表現だという比較ではなく、「自分の持ち場はこちら」という思いに至ることができたなと感じました。

平手友梨奈に、ものづくりに対する姿勢を正された

――主人公を演じたのは、映画初出演となった欅坂46の平手友梨奈さん。監督は当初、平手さんの名前が挙がったときに「リスクの大きい選択だと思いました。現場が止まるかもしれないし、大変そうだ、と正直思いました」と明かしていらっしゃいます

撮影前、「映画が途中で頓挫するかもな」と思うくらいヒリヒリした時間をずっと過ごしていました。彼女からは「演技をすることが、嘘をつくことにならないかが不安。今まで平手友梨奈として嘘をつかずにやってきたことが台無しになってしまうのではないか」と言われたので、僕からは「主人公の人生を想像して表現することを僕らは『演技』と呼ぶけれど、それがあなたにとって嘘になるのであれば、今回はできないと思う」とあえて突き放すような言い方をして賭けに出ました。

彼女なりに考え、飲み込んで引き受けてくれたので撮影が始まってからはとてもスムーズでしたが、つい最近、彼女から「長い期間悩んで決断できないでいました」と言われて、「本当に頓挫していたかもしれないぎりぎりのところで進んだのだな」と改めて感じました。

――実際に撮影を終えてみていかがでしたか

曲げない、という主人公の生き様もそうですが、平手さんの作品との真っ直ぐな向き合い方に触れたことで、ものづくりに対する姿勢を正されたような思いがします。

学生の頃、誰に頼まれるでもなく、ただただ純粋に映画を作っていた時期の感情が呼び覚まされて、ひとつひとつのシーンに対して、夢中で突き詰めていきました。そのため、「1本の映画としてまとまっているのかな」とか「散漫な作品になっているかもしれないな」という不安もありました。ただ、撮影を終えて、編集者が全シーンを繋いでくれたものを初めて観終えたとき、確かな手ごたえを感じました。

――どのような手ごたえですか?

多くの青春映画では、主人公は成長をしたり、恋愛をしたりと変化がありますが、今回の主人公は真逆で、最初から最後まで一貫しています。主人公の生き様そのものを見せながら、周囲の友人や大人たちの変化をひとりずつ描いています。そのため、実は作品の「どこが一番の見どころか」ということを一言で説明するのがとても難しいんです。つまり、観た人の年齢や立場によって、最も心に残ったシーンや受け止め方が変わってきます。

そのため、今回は「こんなメッセージを受け取って欲しい」という思いよりも、むしろ「観た人がどんな言葉で、どのようにこの作品を語ってくれるのかを聞いてみたい」という思いが強い作品になりました。嫌いという人が出てくるかもしれませんが、それも含めて、一個一個飲み込みながら感想を読んでみるのが本当に楽しみです。

『響 -HIBIKI-』9月14日(金)全国東宝系にて公開