生きづらさを感じる人々19 「死にたい」というよりは「生きられない」と思い、自殺未遂を経験した若きお坊さん~倫大の場合 - 渋井哲也
※この記事は2018年09月03日にBLOGOSで公開されたものです
仏門に入った男性は、修行前に自殺未遂を経験していた。仏教は自殺について善悪を判断してないと言われている。果たして、この男性はなぜ自殺未遂をし、なぜ仏門を選択をしたのだろうか。
「生きられない」深夜、交差点に寝そべって、自殺を試みた
2016年1月某日の深夜、岡田倫大(21)が首都圏の自宅から徒歩3、4分の交差点で、寝そべった。自殺しようと思ったためだ。しばらくして、倫大に軽自動車が近づいて来た。しかし、車は直前で止まり、運転手の男性が車を降りて、倫大を怒鳴った。
「本当に死ぬこと以外に何も考えられなくなったんです。何も言わずに夜中に家を出た。(寝そべると)頭の方から車が来たんです。でも、運転手にすごく怒られました。聞こえないふりをして、その場から立ち去りました」
このときの心境にについて、倫大は「どうなってもいい、という感じです。ただ、『死にたい』とは思っていないかな。どちらかというと、『生きられない』という感覚でした」と振り返った。
「覚えているのは、解離とまではいかないまでも、自分が自分でなくなるような感覚があった。自分じゃなくなっていく…」
過去の逮捕歴「自分では嫌だったので、『勝手にやれば』と思っていた」
実は、倫大は高校時代、警察に逮捕されたことがある。どんな事件だったのか。
「友達が野球チームを作ったんです。でも、お金がなかったので、道具がたりませんでした。そのため、いろんな学校を回って、部室から野球道具を盗んだんです」
住居侵入と窃盗の容疑だ。しかし、関与の度合いが低いため、逮捕から3日で釈放されたという。
「何もしてないというと嘘になりますが、僕は一緒にいただけ。野球道具を盗んでいません。友達の家にいて、野球道具を盗もうという話になったんですが、止めませんでした。ただ、自分では嫌だったので、『勝手にやれば』と思っていたんです」
揃ってない道具を盗んだほか、他の道具は売ってお金にすることになった。倫大はそのとき、「売るのは足がつくんじゃないか」と言ったが、結局、そこから犯行が明るみになった。半年後のある日、早朝に警察官がやって来て逮捕された。
「知らなかったのですが、友達から借りていたグローブが盗難品だったんです。だから、共犯が疑われました。警察としては『お前は一緒にいたんだろう?』『やったんだろう』ということになりますよね」
友人に簡単に売られ、犯行を主導していたと疑われる
倫大が主導したと警察が考えた理由は、中学時代に非行歴、補導歴があったためだ。警察は「お前が命令したんじゃないか」と追い詰める。その上、友人たちも簡単に倫大の名前をあげていた。その後、親からも「絶縁してくれ」との誓約書を書かされることになった。
「大事な仲間から売られたんです。自分でも、そいつらの犯行を止められなかったということは、『あいつらはどうなってもいい』という考えが頭にあったからじゃないと思ったんです」
倫大が逮捕されるのはこのときが2度目だった。1度目は傷害の容疑だった。このときは家裁に送られ、鑑別所に送られることになったのだ。
「鑑別所から2ヶ月で出て、『2度と、こんなところには来ない』と決意していたときだったんです。逮捕はその3、4ヶ月後の出来事でした。『また、捕まるんじゃないか』という夢も見たことがあったんですが、すぐに警察が来ました」
事件に関与したことをSNSで晒され、人を信じられなくなった
この事件で逮捕されること自体でも、相当なストレスを抱えることになるが、自殺未遂は、逮捕に起因していたわけではない。この事件と自殺未遂を結びつけたのは、SNSの書き込みだった。
「隣人からも、警察に逮捕されるなんて、何をしたんだ、という噂にもなっていました。そんな中で、SNSで、友達とも言えないくらいの知り合いが、この事件のことを呟いたんです。しかも、実名で。僕の名前は珍しいので、すぐに本人特定されてしまうんです。それが耐えられなくなったんです」
倫大は誰も信用ができなくなってきていた。
「孤独感ではなく、本当に孤独なんですよ。会ったこともない人さえ、僕を否定しているのではないかと思っていた。どんな人も、僕を否定する存在でしかない、と思っていました」
小学生時代の友人宅へ、「こいつ、やっぱ、考えてくれている」
寝そべっていた現場を立ち去った倫大はその後、1時間半ほどのあいだ、一駅分程度の距離を歩いていった。小学校のときから付き合いのある友達の家の方向だった。
「勝手に足が向いたんです。そして、この日のことを友人に話をしました。『どうしていいかわからない』『消えてなくなりたい』と言ったんです。すると、殴られました。それまで何をしていても、生きている実感がなかったんですが、殴られたことで興奮したんです。『こいつ、やっぱ、考えてくれている』。そういう感覚になっていったんです」
倫大は、その友人が小学校のころから必死に生きていたと感じていた。喧嘩をしたことはなく、このとき初めて殴られた。そのことで本気さが伝わったという。その反面、こうも思った。
「僕は、(盗みをした友人を)殴ってでも止めようとしなかった。本当の意味で、その友人たちと繋がろうとしていなかったんだと思ったんです」
孤独を感じていたときに、この友人は本気で怒ってくれた。
「怒りなのかどうかはわからないんですが、結果的に、僕を鼓舞してくれました」
小学校のとき、倫大は勉強も運動もでき、自らを「スクールカーストの最上位にいる」と考えていたという。しかし、5年生のとき、この友人と出会った。そのとき、勉強や運動だけで人の価値は決められない、「こいつが上だ」と初めて思えた。そんな友人が真剣に怒ってくれた意味は大きかった。
「こんな俺でも修行はできるんでしょうか?」寺で修行することに
その後、倫大は真剣に悩み、浄土真宗の寺で修行をすることにした。その面接で過去の補導歴、逮捕歴について話をした。
「こんな俺でも修行はできるんでしょうか?」
すると、面接官はこう答えた。
「むしろ、君みたいな人間を待っていた」
修行に入ってから、寝そべって死のうとしたことも話した。すると、指導者は「これまでのことがこれからを決めるのではない。これからやっていくことがこれまでを決めるんだ」と言ったという。
「それを聞いて、『これからなんだ、やった事実は変わらなくても、価値を変えていくことができる』と思ったんです。そのために生きようと思ったんです」
「きっかけさえあれば、誰だって、何者にもなれる」
今後も修行を続ける倫大。今はひたすら仏教を勉強している。前歴があるために、教誨師にも興味が出ている。
「(刑務所の外に)行き場がなくて、再犯する人がいます。そんな人の行き場も作ってあげたいと思っています。きっかけさえあれば、誰だって、何者にもなれると思います」
宗教によって「生きづらさ」を植え付けられる人たちも多く取材してきたが、一方で、宗教によって「生きづらさ」を解消する人たちも知っている。倫大は、それまでの生きづらさを仏教で解消した一人だ。一人前の住職になるのはまだまだ先だが、すでに、悩める若者の相談にのっている。
「ある若者と知り合い、話を聞いてほしいと言われて以来、ずっと話を聞いています。いろんな問題を抱えているので、すぐに解決できるわけではありません。でも、その子にとっては、何を話してもいい相手になりました。何かあるたびに連絡があります」
門徒の前で話をすることもあるという。
「仏教的な話もしますが、実体験を入れてほしいというので、自殺をしようとしたときの話もしています。衣を身につけていないと、こういう話はなかなかできませんが、涙を流す人もいて、『あなたの話を聞いて、生きようと思いました』と言ってくれる人もいます。今は、お坊さん以外に、やりたい仕事はありません」
仏教関係には、自殺に関連した話を受け止めるネットワークがある。そんな中に、倫大のような未遂経験者もいるのだ。
*記事の感想や生きづらさに関する情報をお待ちしています。取材してほしいという当事者の方や、こんな話も取材してほしいというリクエストがあれば、Twitterの@shibutetu