「世界のすみ分けが露骨にネット上で可視化されている」荻上チキ氏に聞く 分断するネット社会のいま - BLOGOS編集部

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※この記事は2018年08月28日にBLOGOSで公開されたものです

さまざまな政治問題がネット上で話題になるたびに、建設的な議論とはほど遠い「炎上」が生まれ、消えていく。「インターネットは人びとを分断しているのではないか」という懸念も聞かれる時代に、私たちはどのようにネットやSNSと付き合っていけばよいのだろうか。著書『日本の大問題 残酷な日本の未来を変える22の方法(ダイヤモンド社)』が発売中の荻上チキ氏に、ネット社会の現状を聞いた。【取材:村上隆則、撮影:弘田充】

コミュニタリアンとリベラリストの間に生まれた「ズレ」

―― ここ10年ほど、政治とネットの関係が積極的に論じられてきましたが、最近は、ネットを利用して政治的な議論を行うのは難しいのではないかという意見も見られるようになってきていますね

荻上チキ氏(以下、荻上):最近のネットでは、ある種の部分的熱狂とシニシズム(冷笑主義)が目立つ傾向にあるように思います。

近代では、自由民主主義の国家において、私たちは政治に対して個人のさまざまな権利をかなえるための異議申し立てをし、それに適うような政治を行ってくれと述べてきました。

それが後期近代と呼ばれる社会になっていく中で、リベラリストと呼ばれるような人たちは、社会参加というものを認めた上で、個人に対していろいろな権利を拡充していこうと主張し、コミュニタリアンと分類される人たちは、個人の権利を上回る、ある種の「善」というものが社会に存在すると主張するようになった。コミュニタリアンはそういった「善」をかき乱すような自由は認められないとして、リベラリズムの動きに対して牽制をします。

現在はこうした、「再配分や人権というものはすでに確保された」と考えるコミュニタリアンと、「いやいや、まだ不十分だよ」と考える現代的なリベラリストの間で、大きな意識のズレが生まれている状況です。

-- そのズレが様々な社会問題を通じてあらわれているわけですね

荻上:例えば、先日話題になった東京医科大学が女性受験者を差別していたという問題についても、「男性医師を確保する」「医療を安定させる」ためには、受験での排除も仕方がないんだと主張する人と、個人の権利が侵害されているし、そうしたことは「善」であるはずがないと唱える人との間で、意識の溝が生まれています。

最近のネットには、こうした意識の溝を対話で埋めていくというよりは、むしろ、相手の発言を部分的に引用しながら批判をしていく形を取る傾向がある。そのせいで、それぞれのクラスターの中ではコミュニケーションが成立していても、それぞれのクラスターを横断するコミュニケーションは実現されていない。

この状態を説明するために、私は「セレクティブ・エネミー」という言葉を使っています。

-- 「選択できる敵」という意味でしょうか

荻上:はい。Twitterでよく見ると思うんですが、例えば、政治議論の中で、対立している「A」と「B」という派閥があるとします。これはある種の政策に関する賛成派、反対派だったりします。

これらの派閥の人々は、それぞれのタイムライン上でお互いのツイートを共有していて、基本的にそこから出てこない。しかし、部分的にツイートが引用されるような形で、相手に言及するということがあるわけです。例えば、賛成派のリーダー的な人が、反対派の意見をみつけて批判する。もちろんその逆もある。

社会心理学にはもともと、セレクティブ・メモリーという言葉があります。それは、人は記憶を自分に都合のいいような形で収集することができ、評価するというような意味です。例えば、リベラルの人は、保守系の人たちの言説を見ても、自分たちの意見は揺るがない。むしろ、自分たちの側に都合のいい情報をどんどん集めていき、その結果、人々のクラスター化が起きる。

でもいまは、その中で相互に引用されるような人たちが出てきている。それが「選択できる敵」、セレクティブ・エネミーです。要は、対立する勢力の中から、とんでもない発言を部分的にシェアして論じている。そのようなことをおこなう論壇がそれぞれのクラスター単位でできていると。

だから、保守系の人たちは、反保守派の中でも過激な活動だけを取り上げますし、リベラル派も、保守の中で極端なことを言っている人を取り上げる。実際に検索してみると、極端なことを言ったりやったりする人は確かにいるんですが、少数派です。そうしたものをピックアップして攻撃し、それぞれのコミュニケーションを評価していくということがあるわけですね。

-- セレクティブ・エネミーによって、特定のクラスター内でのコミュニケーションが盛り上がっている。これが部分的熱狂ということですね。では、シニシズム(冷笑主義)はそこにどのように関わってくるのでしょうか

荻上:攻撃する際に相手の理性に対して冷笑し、茶化すことによって、相手のコミュニケーションを意図的に断絶させているんですね。そうすることで、集団は分極化し、個人もそれに順応してしまう。このように、セレクティブ・エネミーの構図の中で、ピックアップされた「道化」(ピエロ)と比べて自分が賢いと思い込んでしまうことを、「道化効果」と呼んでいます。

例えば、政治コミュニケーションの中では、民主党政権的なものを嘲笑することで、疑惑の追及を無効化させようとする動きがあります。「モリ・カケばかり」とか、「野党は18連休」みたいなものですね。

こうした個別の追及の正当性はさておき、分化した中で相手を嘲笑することで、それ以上のコミュニケーションがなかなか進まないという分断状況が生まれています。しかし、これを是正するプラットフォームもあまりないので、すみ分けが加速しています。しかも、双方がそれぞれ、積極的に勉強して、自分の側こそリテラシーがあると思い込む。

この間、ネットで民主主義を成熟させようと話を進めてきたわけですが、今の段階ではむしろ、世界のすみ分けが露骨にネット上で可視化されて、それぞれのクラスターの中でコミュニケーションが完結してしまっている。そうした状況下では、双方向性や対話のためのプラットフォームをどう確保するのかが課題になってくると思います。

-- これは、敵対する派閥を攻撃したいがために極端な例をピックアップして嘲笑したり、仲間内だけで叩いたりしている状況とは違うのでしょうか

荻上:それもあるとは思いますが、わかりやすく叩けるものは、ゲームとして選ばれやすいんですね。叩きたいからというよりは、「あ、これなら叩ける」とより多くの人が思うことによって、炎上が拡大していく。

政治的なコミュニケーションも、わかりやすいフレーズだとか、勢いの強いフレーズになびく傾向があります。一部の政治家が朝日新聞とかを大きく批判すると、それが一気に広がっていくことがある。あるいは一部の政治家が安倍政権を批判すると、それはそれで広がっていく。

やはり、「水道法のコンセッション方式」などについて丁寧に説明するよりも、誰かの発言がどうとか、ある問題にすぐ声明を出さないのはどうなのかみたいなことに言及するほうが簡単なんですよね。

本人たちが悪意をもって抽出しているかどうかは別として、結果として選択されやすい。そして「選択された敵」が、それぞれのクラスターの敵という格好になり、それに対する批判で言説が紡がれていく。

批判から言説を紡ぐというのは、社会運動や政治思想の一つの原則ではあるので、それ自体は非常に正当な手続きです。そういったこと抜きには、ルソーをはじめとしたいろいろな思想は、生まれることはなかったわけですから。

しかしながら、特に相手の議論を無効化するような動きばかりが顕著になっていくと、具体的なプラットフォームの上での応酬というのが成立しなくなってしまうのではないか--。これがいま多くの人たちが抱えている懸念なのだと思います。

ネットは無法地帯や放置状態でいいという状況ではない

―― 現状、こういったことが頻繁に起きているプラットフォームというと、やはりTwitterになってきますよね

荻上:Twitterは構造上こうした問題が起きやすいのと同時に、RTなどの仕組みによって拡散性も高く、日本人の利用者が多いので可視化されやすいんですね。Facebookは、それぞれのクラスターの内部では起きているものの、セミクローズド環境なので、それが可視化されることは少ない。とはいえ、クラスター化が進むことは変わりません。

Yahoo!ニュースのコメント欄などでは、基本的には反リベラル的な、反朝日的な価値観の人たちが集まってしまっていますね。ニコニコユーザーも、長年の世論調査を見てみると、保守寄りのユーザーが多い。YouTubeで動画に対してコメントする人たちも、動画と親和性のある人たちなので、ここでもすみ分けが起きていたりするわけですよね。

―― この状況を前提として、今後、SNS上でのコミュニケーションをどのように進めていけばよいと思いますか

荻上:自由な言論と最適化されたルールの下でコミュニケーションを継続することは、これからも重要になってきます。ただ、その先の話ですよね。政治家が具体的にネットのそういった運動に対してどう向き合っていくのか。

一つの考えとして、政治コミュニケーションをより速やかに、情報社会に最適化させることによって、政治へのチェックの力が働くようにするというのはあります。政治がポピュリズム的に人々をネットで煽るのではなく、ネット上で政治コミュニケーションをしっかりと回していく。

ミニマムなところでいうと、国会の文字起こしをTwitterですぐツイートしていくというやり方もあるのではないでしょうか。そういった形で政治への回路を適切に開いていくことは重要だと思います。

一方、ネットはネットでヘイトやリベンジポルノなどを防ぐためにさまざまなルールを整理していかなくてはいけない。以前は、カリフォルニアン・イデオロギー(編集部注:自由と反権威的な考え方を重要視したハッカー的思想)的なネット観を持っていたこともあって、ネットに規制をおこなうことに根強い違和感があったりしたわけですね。でも、もはやネットが、無法地帯や放置状態でいいという状況ではない。無秩序と自治は異なるのです。

この社会でも最初は自由権が主張されて、その後、参政権や社会権が保障されたのと同じように、ネット社会においても社会権的なものが必要となってくるフェーズが、もうそこまで来ていると思うんですね。

個人の言論について、例えば、中国のような形で言論統制するようなことはあってはならない。じゃあ、ネット上で個人が回復できないような被害が発生したりするような場合においてどうするのか。それはやっぱり、司法や警察といったものの出番でもあるわけですね。そうした救済的な措置も含めてネットの状況をどのように考えていくのかということは、今、真剣に議論している段階だったりしますね。

ネット全体のための「インターネット憲章」を

―― そうした流れのなかで「SNSを免許制に」という意見もあったりします。たとえばTwitterが具体的に利用制限をかけることも考えられるんでしょうか

荻上:それはTwitter社の方針次第だと思いますが、一つの策ではありますね。よりクローズドにすることによって質を担保できる可能性もありますし、あるいは、より登録情報を増やすことによって何か問題があったときのトラブル対応を加速するということだって当然あるわけです。

ただ僕は、もともとブログをやっていたときから、2ちゃんねるだろうが、Twitterだろうが、炎上は起きると言っています。そうした炎上やサイバーカスケード(編集部注:ネット上で起きる集団分極化現象の一種)が起きる際に、カスケードのパッションを否定することはできないし、そのカスケードを起こしている人たちのイデオロギー的なスタンスを大きく変えることは困難であると。ただ、カスケードの舞台となっている、一つのアジェンダを変えることは少なくともできると考えています。

また、ネット上では、最近は特に一つの振舞いや行為といったレベルで人々がいろいろなものを感染させていく状況があるわけですね。最近はTwitterで「ん?」というような絵文字がよく使われているのをご存じですか。

―― 「🤔」ですね。

荻上:はい。このような形で、「この態度をとることが、今は正解なんだ」みたいなものが瞬間的に流行ったりするわけです。ひとつの流行です。流行はその都度起こる。フェミニストの間で広がった、エビのマークもそうですね。

ネットワーク理論では、特定のふるまいが広がることを「感染」と呼びます。思想だけでなく、ふるまいも感染する。それをどう捉えるか。ヘイトに対してヘイトスピーチという名前が与えられて、それに対するカウンターという言葉も与えられてみたいなやり方で、色んな応答の仕方が可能になってくるわけですね。

対等な権利が発揮されるような言論状況だからこそ、スルーや放置ではなく、応答するであるとか、まとめるであるとか、あるいは分析するといったことは、これからも変わらず必要なのかなと思っています。

なので、Twitterはだめだとは、僕はあまり思わないんです。それは人と人とのコミュニケーションがだめだと言っているに等しいですから。一方で、ヘイトなどの明らかにガイドラインで禁止されているものに対しては、社会的責任として対応することが必要だとは思っています。

―― Twitterなどは海外のサービスですし、日本と法律が違うことによって規制や批判がうまく働かないという部分もあります。こうした状況を考えると、インターネット全体で、共通のガイドラインを作ることも必要になってくるのでしょうか

荻上:一度立ち消えになってしまっていますが、やはりネット全体のためのインターネット憲章のようなものは必要だと思います。

リベラリズムというのは、これまでそれぞれのコミュニティやナショナルな単位で議論されてきました。しかし近年、タックス・ヘイブン対策などで、グローバルな民主主義のあり方や、ガバナンスを議論しようとする流れが出てきています。同じように、ネット上の書き込みについても、海外のサーバーでやられているせいでうまく対処できないよねという困難を様々な国が感じているわけです。いずれ、ネットに関しても、横断的に対処する方法は求められてくるはずです。

社会が前に進むためには、理不尽をどう越えようかというパッションが重要になってくるのですが、「なんだよ、海外なのか」「自分はやられ損か」と泣き寝入りせざるをえない人がどんどん増えていくと、それについて対処してくれという声も高まってきます。そうした意味で、これからよりグローバルな、あるいは企業を越えたようなやり方で、一つの総合的なガイドラインをつくる気運は高まると思いますし、高まってほしいと思いますね。

プロフィール
荻上チキ(おぎうえ・ちき):1981年、兵庫県生まれ。評論家。ニュースサイト「シノドス」元編集長。著書に『日本の大問題 残酷な日本の未来を変える22の方法(ダイヤモンド社)』『すべての新聞は「偏って」いる ホンネと数字のメディア論(扶桑社)』など。ラジオ番組『荻上チキ・Session-22(TBSラジオ)』ではメインパーソナリティを務める。

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