ロバートキャンベル氏が結婚相手の男性と相談して踏み切った同性婚公表への想い - BLOGOS編集部

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※この記事は2018年08月23日にBLOGOSで公開されたものです

日本文学研究者で米国出身のロバートキャンベル氏(61)が同性愛者であることを明かし、性的少数者への差別発言をした自民党・杉田水脈衆院議員を批判した手記が大きな反響を呼んでいる。手記の発表から1週間が経ち、キャンベル氏が公表するに至った経緯や心境の変化を東京都内の自宅で語った。

はじめは「反論するのは僕じゃない」と思っていた

――自民党・杉田水脈衆院議員の発言を受け、党が「配慮欠く」として同氏を指導する異例の事態になりました

寄稿が掲載されている『新潮45』が発売(7月18日)された後、すぐに購入して読みました。自身の経験や、自分の身近なところで起きたできごとを書くことは良いことだと思います。しかしそこから「こういう特徴を持っている人たちは、すべてそうである」と結論付ける、同氏の主張というのは、反論するに値しないくらい事実に基づいておらず、論理的に破綻しているものでした。それに反論する必要はあると感じましたが、はじめは「それは僕じゃないな」と思っていました。そこに正面から発言をする衝動というか、体温が上がらなかったのです。

ただ、その寄稿が取り上げられていく中で、もうひとりの議員(自民党・谷川とむ衆院議員)が「(同性愛は)趣味みたいなもの」と発言しました。それが「議員が言っているからこのままでいいんだ」「会社の中のセクシャリティに関わることを話し合う必要はない」といった考えに対する「裏づけ」となっていく風潮を見ていて、8月頭にもう一度、雑誌を読み直しました。

――もう一度読んで印象は変わりましたか

メディアでは、特に彼女の「生産性がない」という発言が取り上げられており、それは論外です。ただ、もっと根深く侵食していて当事者を苦しめかねないことがふたつ、書かれているなと感じました。まずひとつは

LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか
出典:月刊誌「新潮45」2018年8月号での杉田水脈氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」

という部分です。アメリカでも日本でも、これまで知り合ってきた当事者と話をしていると、親は打ち明けるのに最も高いハードルがある。一番打ち明けることができない存在なのです。

色々な家庭があると思いますが、親の期待に応えたいと子供は思うものです。でも、今回のような場合、親の期待というのは、おおよそ「自分と同じように異性者と結婚して子供をつくる」というものです。それは親が、社会の中で子供たちに元気に生きてほしいと思っているからこその思いでもあります。それなのに、子供である自分にはその選択はない、あるいは子供をもうけたいけれども、愛する人が女性ではない、男性ではないという現実があるのです。

親に事実を伝えたとき、「その瞬間に自分の存在まで否定されかねない」ということへの恐怖は、上司や同級生に対するものよりも、はるかに大きいものです。それを「自己責任で、家族のなかで解決すれば問題ない」とすることに、残酷さを感じました。

もうひとつは、自身が女子校出身という経験に基づき、

女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
出典:月刊誌「新潮45」2018年8月号での杉田水脈氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」

という発言。つまり、異性と結婚しなければ不幸だということです。「不幸」「幸せ」の価値判断を勝手におこなっている、これは言うまでもなく、事実に基づいていません。

そうした著しい事実誤認を政策の形成に関わる政治家が発言することは、短絡的なだけではなく、非常に重いものでした。そして、いまこの瞬間にも、自分の皮膚感や周りの空気を見ていて「自分はやっぱり人とはちがうんだ、どうしよう」と考えている10代、20代の若者たちがいます。彼らが読んだとしたら、きっとすごくげんなりするだろうなと思ったのです。その思いが僕の中に訪れたときに、やはり「間違っている」と伝えないといけないと思いました。

反論するために自分の立場を明らかにした

――最終的に公表をするまでに不安はありましたか?

今回、手記を書いたときはお盆休みで都外にいました。日常から少し離れていたということもあったのかもしれません。しばらく抱えていた、もやもやした思いをどこかで発言をしたほうがいいかなと思うようになりました。そして反論としての僕の考えを届けるためには、自分の立場を明らかにした上で、「だからここが間違っている」と書かざるを得ないと思いました。

僕には20年近く共に人生を歩み、昨年アメリカで結婚をしたパートナーがいます。僕ひとりのことではないため、パートナーにも手記を書くことを相談をしたところ「いいじゃない」と受け入れてもらうことができました。反論する内容はまとまっていたので、具体的に僕の背景や経験として何を載せるのかということを二人で話し合うことにしました。

僕は一度大きな病気をして入院したことがあります。その際、パートナーとの関係を医師や看護師さんら病院の方々に説明し、ありがたいことに非常に良くしていただきました。一方で、病院で知り合った人たちからは「家族が付き添いにきているが、パートナーとの関係を伝えていないため相手を呼ぶことができずさびしい。会えていいね」ということを聞いていたため、そのことを伝えることにしました。

また、パートナーとは、どちらかが先にこの世を去ったときに何か不自由が残らないかということを時折話し合っていたので、そのことも付け加えることにしました。完成したころには夜12時を回っていたでしょうか。ホームページをちょっとクリックして手記を投稿しました。

――寝つきが悪くなりませんでしたか

いえ、まったく。けろりと寝てしまいました。ただ、これは笑い話なのですが、翌日どんな反応があるかなとパートナーとパソコンを開いてチェックしてみたところ、実は反応はゼロだったのです。ブログの更新も滞っており前回の投稿が今年の4月だったので、「まるで墓場のようだから誰も見てないのかもね」とジョークを言ったり、ふたりで自分の投稿にいいねを押して「いいね2」にしたりして、くすくすと笑っていたのです。

ただ、その翌朝にもう一度フェイスブックとツイッターで発信をしたら、たちどころにたくさんの方が気づいてくれて。その後も次々とメッセージが届き、メディアからも問い合わせを受けることとなり、瞬く間に全国へ拡散されていきました。

僕の中で「でこぼこ」がなくなった

――多くの人に公表した後、心境に変化はありましたか

いえ、何も変わらなかったんですね。でもその、「何も変わっていない」ということに気づいたというのが、僕にとって大発見だったのです。

公表してから3日後の朝、生ごみを出す日で、自宅の隣に住んでいる方と会いました。その方はニュースをよくご覧になる方ですし、付き合いも長いので何新聞を購読しているのかということもわかります。その方が購読している新聞のちょうどその日の朝刊に、僕が同性愛を公表したという記事が載っていることも知っていました。でも、その方はいつもと変わらず「おはようございます」と声を僕にかけ、たわいのない話をした後、自宅前の落ち葉を掃いていらっしゃいました。

それからいつものようにジムに行き、トレーニングをしたり、ランニングマシンで30分くらい走ったりと軽く汗を流しましたが、そこでも何も変わりませんでした。僕のトレーナーも、お店のスタッフも、そしてジム後に買い物に行く中で会った顔見知りの近所の人たちも。皆さんいつもと同じトーンで「昨日番組みましたよ」「新聞読みましたよ」とひとこと声をかけてくれて、僕が「ありがとうございます」とお礼を言う。もちろん、素通りする人は素通りする。

今回の報道は、「ゲイ公表」とか「同性愛公表」とか見出しが躍っているのでいつもとは違うのかな、と思っていたのですが、まったく変わりませんでした。そのとき、僕の中で「でこぼこ」がなくなる感覚があったのです。

――でこぼことは?

僕のセクシャリティは、家族や同僚、学生たちなど周りの人たちには伝えていました。ただ、メディアに出演させていただく機会があるので、「僕の名前や顔を知っているけれど、セクシャリティは知らないという方がいる」という前提で外を歩いていました。それは、僕のセクシャリティを知っている・知らないで「でこぼこ」が存在しているという感覚でした。

隠していたわけではもちろんありませんが、今回公表したことで、「これから意識をしないといけないのかな」と思っていました。それが、今回まったく変わらないという発見を経て、間違いなく「でこぼこ」がなくなりバリアフリーになったのです。僕が歩いている空間がフラットになりました。

僕の前提は少し特殊かもしれません。それでも、多くの人が短期間で「僕のセクシャリティを知っているだろうな」と思う環境の中で、こうした経験をすることで、自分の気持ちが、何だろう、とても軽くなりました。

――一方で「公表せず静かに暮らしたい」という人もいます

もちろん私の親しい人の中にも「そっとしておいてほしい」と望む人もいますし、僕のようにセクシャリティを公表するすることだけが正しいとは思っていません。ましてや他者によるアウティング(本人の意思に反して公表すること)はあってはならないことです。ただ、当事者が公表したいと望んだとき、僕が経験したような「何も変わらない」ということを共有できる環境を作っていきたい。そのための地ならしをしていきたいと感じました。

LGBT当事者以外の人たちからも届く共感の声

――この約1週間で、どんな反響が寄せられましたか

たくさんのメッセージをもらっているのですが、LGBTの当事者たちだけではなく、身体的、精神的、発達障害など障害を持っている当事者や、あるいはそういった子供がおられるという方たちからも、数多くいただいて驚いています。みなさん、「すごく響く、共振する」と言ってくださいます。

僕も頭の中でわかったつもりだったのですが、この一連の騒動はLGBTだけではなく男女の性差や、高齢者の権利、定年退職の年齢をどうするかということも含めた社会におけるアクセシビリティの問題でもあります。つまり「当事者として様々なことに参画できるかどうか」ということが金太郎飴のように全部つながっているのです。

――日本国内でも、LGBTに限らず多様性のある社会を目指し少しずつ制度整備や議論の広まりも見せてきています

日本のコミュニティはよく排他的であるとか、いわゆる単一民族で島国だからしょうがないねとネガティブな捉えられ方がされます。一方で、日本文学の研究者として僕は実は蘇生力、弾力が非常に強い、大きな側面があると思っています。

たとえば俳諧、俳句という文学は、元々ひとりで作るものではなく、みんなで集まって作るものです。遠方から客が来れば、まず、その人が招いてくれた人たちに対する挨拶をし、周りはその人を迎え入れる。そこから一句ずつ歌を作っていきます。その際、「付け合い」といって、前の人の句のある部分を捉え、それをベースとして自分のオリジナリティをつくっていきます。こうした世界の中でもすばらしい文学が、精神の生活の証として息づいています。

こういった文学がなぜヨーロッパで生まれなかったかというと、ひとつにはやはり「個」の強さだと思っています。もちろん日本にも個はありますが、みんなで一緒に暮らしているからこそ、今そこにある社会が生きづらければ互いに支え、新たなものを生み出し、後世に継いでいくということが強い。そういうポジティブな面があるのです。

いま欧米の状況はこれまであった「受け入れる」「受け入れない」という線引きが少し変わっているのかもしれないと感じています。実際、母国であるアメリカに住む友人たちとも交流は続いていますが、2017年の1月にトランプ大統領が誕生して以降、食事のときに政治の話をすることはタブーになっており、まさに分断を感じています。

ただ、幸い日本では、そこまでアイデンティティと政治が結びつき、にらみ合ったり会話が不可能になったりということにはなっていません。だからこそ、話し合うタイミングが、いま、来ていると感じています。5年先だったらどうなるのか…わかりません。

――具体的にはどのように話し合っていけばよいでしょうか

まず、今あふれている誤解を解いていくことが必要だと思います。誤解していることが悪いということでは決してありません。事実に基づいている・いない情報は何か。各々がそれを知識として蓄える必要があります。

たとえば、「LGBTは生産性がない」という発言もそうです。生産性というのはふつう労働のことを指しますが、経済損失があるかというとまったく逆。経済的な促進力と大きな市場を持つといわれています。海外のデータも含め、日本のデータを客観的に積み上げていき、冷静に議論していく必要があります。

これは変えたほうが気持ちがいい、こうしたほうが風通しが良いーー。日々の生活を営む国民の一つひとつの声が面になって、そこで初めて政治の土俵に上り、政治家たちは堂々と、政治の場で扱えるようになります。そのためにも今回、ひとりでも多くの方に今回の言葉に触れていただきたいということもありますが、異なる持ち場を持っている、違う人生のステージに立っている方に目を向けていただけたらと思っています。それをバスの中のちょっとした会話とか、家庭の話の種にしてもらうことができたら、「やった」と思いますね。

【ロバート キャンベル Robert Campbell】 国文学研究資料館長、東京大学名誉教授。米国・ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業、ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了。文学博士(近世・近代日本文学)。編著に「ロバートキャンベルの小説家神髄」(NHK出版、2012)、「読むことの力-東大駒場連続講義」(講談社、2004)など。


【BLOGOS編集部 石川奈津美】