「望んでいたのは当たり前の日常」だった いじめ自殺調査メンバーが語る、子ども達に寄り添うために必要なこと - 渋井哲也
※この記事は2018年08月15日にBLOGOSで公開されたものです
2013年6月、議員立法によって「いじめ防止対策推進法」が成立した。この法律により、いじめを法的に定義した上で、いじめによって自殺または自殺未遂、あるいは不登校などが生じた場合、調査委員会を設置することになった。
ところが現在、学校側が調査資料を隠蔽するなど、調査委のあり方に問題点が浮上している。法律では、施行後3年をめどに改正などを検討することになっているが、いまだ具体的な議論にはなっていない。
いじめに遭った子どもの心情にどう寄り添うべきか、またどのような調査報告がなされるべきか、NPOなどの市民団体でたびたび議論されている。8月4日、法成立以前に設置された中学生自殺の調査委メンバーが講演をした。
「いじめ防止対策推進法」成立以前の調査委
2010年6月7日午後2時ごろ、川崎市麻生区の中学3年生、篠原真矢さん(当時14)が自宅トイレで亡くなっていた。近くには遺書があった。
「俺は、『困っている人を助ける・人の役に立ち優しくする』。それだけを目標に生きてきました。でも、現実には人に迷惑ばかりかけ、F君(友達の実名)のことも護れなかった」などと書かれていた。
真矢さんは、友達のいじめを止めようとして、自分もいじめられるようになっていた。
真矢さんの自殺に関して、市教委は調査委員会を設置した。生徒や教職員の聞き取りをしたのが、当時、市教委学校教育部の職員だった渡邉信二さんだ。渡邉さんは現在、市内の小学校で教員をしている。
2013年以降になると、「いじめ対策防止推進法」に基づいて、以下のような場合は調査委が設置される。
一 いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき。
二 いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき。
この時は2010年。まだ法律ができる前だったが、調査委が設置された。この調査では、いじめの事実に加えて、エピソードや読み取れる人生観や思考などを反映させることで、真矢さんの人となりがイメージできる報告書ができあがった。遺族も報告書を納得して受け入れている。
真矢さんが亡くなったと連絡があったときのことを、渡邉さんは「もし、自分がその立場だったら、もし自分が両親だったらと考えた」と振り返った。渡邉さんは真矢さんに一度も会ったことはなかった。そのため、残された遺書や遺言を何十回も読み、「言葉の使い方が独特。引用が上手」との印象を持った。その上で、同級生に面接し、真矢さんらしいエピソードを聞き取ることもできた。
「真矢さんは歌詞などをたくさんメモしていた。私が担任なら、メモではなく、一冊にすべきだとアドバイスしたでしょう。そうすればあなたの言葉集ができると言ったでしょう。遭ったことがないが、遺書から、こういう人だろうな、と想像させる力があった。生徒たちと対話するときに、真矢さんらしいエピソード、真矢さんらしい言葉について聞けた」
聞き取りをおこなうことで、真矢さんの望んでいたものを知る
調査の過程では、ある生徒が「スピーチの時に、シノ(真矢さんのあだ名)が自分で作った物語を読んだ。そのメモをくれたんです」と言い、持ってきてくれたという。それが自作の「クリスマスの物語」だ。内容はこうだ。
クリスマスになると、両親を亡くした弟は子守唄を聞いたことがなく、オルゴールを欲しがっていた。兄は「今年こそ...」とは思っていたが、お金がない。
兄は「今年はお前がよく我慢して良い子にしていたから、サンタさんが来るんだよ」「信じて待っていれば必ず来るから」と言っていた。クリスマスの日、兄はオルゴールを買った。
翌朝、弟の目にはオルゴールが止まったが、兄は死んでいた。
「この物語を読んだとき、笑われたそうです。もし、自分がその教室にいたら、『その笑いは何?』と問い、僕がもう一度、朗読していたでしょう。(クラスの雰囲気に)慣れていくと、それが多数になり、人間の尊厳を傷つけるのかどうか判断が弱まる。物語の最後には、『当たり前の日常がどんなに心温まる事か。それを感じて下さい』とある。真矢さんが望んでいたのは当たり前の日常。誰かが誰かに脅かされたり、顔色をうかがって、自分の呼吸を乱す生活ではなかったはず」
渡邉さんは「真矢さんは話し言葉は不器用だが、書いたときには自分のことを見せる」と思うようになっていく。聞き取りから、人の見ていないところで、人助けをしているエピソードも知る。
「損得で言えば、損をすることをしていた」。ただし、生徒や教職員からの聞き取りだけでは足りないと思った。
「部屋に入り、そこにあるメモを読みたいと思ったが、ご両親になかなか言い出せないでいました。どんなことを書いていたのか、どんな音楽を聴いていたのか知りたい。僕は、真矢さんがどう生きていたのかを知りたい。自分の中では『生き方報告書を作る』というサブテーマを設けた。僕が知りたいのなら、もっと、もっと、もっと...両親は知りたいはずだとも思っていた。そんなときに『部屋を全て見て下さい』と言われました。僕はそのチャンスを待っていたんです」
真矢さんの好きな音楽や漫画などに触れ、人物像の見える報告書を目指した
愛読書の中には『鋼の錬金術師』があった。台詞の中には、「痛みを伴わない教訓には意味がない」「人は何かの犠牲なしに何も得ることができないのだから」というものがある。遺書には「F君をいじめた、B、C、D、E(加害生徒4人の実名)を決して許すつもりはありません」とも書かれていた。真矢さんの人物像からは、いわば、自分を犠牲にして、F君に対するいじめを止めさせるための自殺だったのではないかと想像させた。
「この漫画も兄弟を描いている。(真矢さんが自作した)クリスマスの物語との関係性も考えた。でも、もっと事例が欲しいとも思いました」
さらに、メモをしていた歌詞の曲を何度も聞き、朗読し、世界観に触れた。
「僕だからできることは何かを考えた。僕と真矢さんとの関係性、両親との関係性の中で、やりたいこと、できることは何か。僕のやりたいことは、真矢さんに逢いたい。だからこそ、誰よりも詳しくなりたいと思った」
調査報告書を読むと、亡くなった生徒に起きたこと、感じたことをイメージできないものがあったりする。一方、渡邉さんは亡くなった生徒の身になって調査し、考えた。こうした姿勢で取り組めたのは、渡邉さんのやり方を許容した教委と調査委があったからだろう。
調査委は「事実は何か?」に重点が置かれる。それは最低限必要なことだが、同時に、調査対象となる「生徒」がどんな人生観、どんな思考、どんな行動をしていたのかを調査することで、人物像を浮かびあがらせることも必要となる。こうした中で、自殺の一つの外的要因として、いじめが認定された。
母親「なぜ自殺した?を知ることは唯一無二の遺族の願い」
主催した一般社団法人「ここから未来」の理事で、真矢さんの母親でもある篠原真紀さんが続いた。「渡邉先生は私よりも真矢をわかっている。寄り添っているというよりは、真矢になりきったのだろう」と語った。
その上で、篠原さんは「(調査委では)いじめは“行為”ではなく、“状態”であると認められました。そして、いじめは自殺の外的要因の一部として認められました。(報告書で)なぜ自殺したのか?を知ることができた。それは唯一無二の遺族の願い」と話した。そして、「二度と、私たちのような辛い思いをする親が生まれないようにしてほしい」とも述べていた。