※この記事は2018年07月30日にBLOGOSで公開されたものです

土屋礼央の「じっくり聞くと」。今回は編集プロダクション風来堂の今田壮さんにインタビュー。

全国津々浦々、450本以上伸びている国道。今田さんはその国道が古ければ古いほど、細ければ細いほど、重複していればしているほど愛してしまい、途中で切れている道に歴史とロマンを感じる超国道マニア。

鉄道マニア・土屋礼央は、国道のどこにそんなに惹かれるのか、興味津々です。

そんな今田壮さんに、土屋礼央が今回も「じっくり」聞いています。

道の歴史は鉄道より遥かに古い

土屋:最近、福島から栃木に車でイチゴ狩りに行ったのですが、県が変わるとアスファルトが変わる。道は境目が面白いって気がついたんです。

今回、風来堂さん編集の本『国道の謎』を読ませて頂いて、僕たち鉄道ファンが秘境駅に興奮する感じに近いのかなと思いましたが、正直国道で興奮するという領域まで、まだ理解が及んでいません。最近では鉄道好きも認知されて人数も多い。でも国道好きとなると……。

今田:どうかしてますよね。

土屋:どうかしてるかもしれません(笑)。ですので、今日は国道の魅力を伺えるといいなと思っています。

今田:国道はどれもそんなに違わないと思っていました。でもガチッと取材してみると違いがたくさんあって、先入観とのギャップが面白い。

例えば国道は国が全部管理していると思いきや、県や政令指定都市が管理しているケースも多いんです。県境をまたぐと、いきなりボロボロの道になったりする。国道の看板、我々国道マニアは『おにぎり』と呼びますが、あの国道の看板が出ていないこともあります。

この間、福島県と新潟県を結ぶ国道252号線を通った時に、福島の只見線に田子倉という超秘境駅があるんですが、あの辺りは10キロ、20キロも国道のマークが出てきません。それが新潟に入った途端、『おにぎり』が出てくる。

看板って統一の設置基準があるような顔をしていますが、実は自由。そのギャップを探す楽しさがあります。それから国道の峠道には歴史があって、調べていくと面白いんです。

土屋:僕は鉄道ファンだし、鉄道は日本の血流だと思っていました。でも国道に比べると鉄道なんて赤ん坊。まず道ありき。道は鉄道の大先輩だったんですね。「国道好き」なんて新キャラが出てきたなと考えていましたが、今田さんの本を読んで反省しています。国道好きは、今どれくらいの人数がいるんでしょうか?

今田:鉄道に比べると数百分の一くらいの規模になると思いますが、道路好きは確かに存在します。道自体に関心がある場合や、地図・地形マニアも。「よぉここにトンネル通したなぁ」と、土木技術の凄さに感動しながら、景色を眺めるのが好きな人たちも多いです。

鉄道との比較でいうと、鉄道は勾配に限界がある。それに対して「この勾配は鉄道では登れんな」と、思う人もいるはず。僕もそのタイプです。

土屋:そういう視点かー!改めて鉄道は道の足元にも及びませんね。大変失礼しました! ちなみに今田さんは全国の国道を何割くらい走破しました?

今田:国道は459本ありますけど、そのうちの半分くらいでしょうか。地図の道を塗りつぶしていく感覚で楽しんでいますね。

土屋:『ブラタモリ』のブームから、いろいろな想像ができる道の魅力に注目が集まっていますよね。今田さんが国道の魅力に目覚めたのは、いつでしたか?

今田:きっかけは20年くらい前に国道が切れているのを地図で見つけた時です。峠の手前で道が切れて「これなんだ?」と。調べてみると事情があって作られていなかっただけでしたが、それならば別々の国道にすればいいのに、「同じ番号になっているのはなぜだろう?」と意識するようになりました。

土屋:はじめの一歩は、地図を眺める面白さから始まるんでしょうか?

今田:僕はそうでした。実物を見る面白さは、地図で確認する面白さの延長上にあるものです。国道を見るポイントは、地図や地形をまず頭に入れて現地に出かけ、実際に勾配を肌で感じられるところ。鉄道好きな人の場合だと、先ほどの勾配のように、鉄道と比べて道のこういうところに参った!と思うところを見つけられるかどうかじゃないでしょうか。

土屋:平地よりも山岳地帯の方が面白さを見つけやすいでしょうか?

今田:そうですね。加えて、土木目線で見ていくといいと思います。昔は長い距離を掘ることが出来なかったトンネルが、技術の進歩とともに長くなって、何年につながったのか。そういう知識があるのとないのとでは見えてくるものが全然違います。

土屋:運転しながら湧いてくる疑問をスマホで調べたいときに、一人だと車を止めなければいけないので、相方がいた方がよさそうですね。

今田:相方が国道好きならいいですけど(笑)。

土屋:その点、鉄道好きは乗りながら調べられる!この安心感。

今田:それは鉄の勝ちですね。

国道マニア・今田壮さんが選ぶ「国道の中の珍道・酷道ベスト3」

土屋:今日、今田さんには『国道の中の珍道・酷道ベスト3』を用意していただいています。まず第3位は?

今田:国道157号線です。ここは黄色い看板に赤い字で『落ちたら死ぬ!!』って書いてある道なんです。岐阜と福井を結ぶ国道で、岐阜の大垣から北上して、看板があるのは福井県との境目あたりなんですが、見晴らしのいいところに出ると、路肩にガードレールの類が一切ない。僕はこの道を『キング・オブ・過酷道』だと思っています。

土屋:県境は標高1020メートル。ずいぶん高いところを通る道ですね。 高いところを登る場合、道はウネウネするものじゃないですか。この国道157号線は地図で確認すると割とまっすぐです。

今田:スッと一気に登れます。それから157号線のすぐ隣の西側にある国道417号線。この道は岐阜と福井の県境にある冠山というところで道が切れているんです。僕は157号線も好きなんですけど、417号線も好き。地図上で見ると冠山の南側に水が溜まっている所が徳山ダムで、ここで国道が切れていました。

元々は徳山村という村が丸ごとダムに沈んだことで有名な場所なんです。僕が見に行った時にはダムにしている最中で、小学校の建物がまだ見えて、その光景の最果て感、秘境感にハマって車中泊で2日ほど滞在しました。

土屋:じゃあ417号線はもともと道があったのに、ダムが出来たためにそこで終わっているということですか?

今田:国道としては、ダムが出来る以前から断念していましたね。

土屋:こういう断念した線のことを何というんです?電車の場合、盲腸線って言いますが。

今田:道路の場合は点線国道と言います。国道はリアルに繋がっていなくても、なんらかの移動手段で繋がっていれば、地図の上では点線で表して、理論上、繋がっていることになっているんです。

土屋:157号線は「落ちたら死ぬ」みたいなところと言いますが、この記事を読んだ人がフラッと行ってもいいレベルの道ですか?危険度を5つ星でいうと?

今田:5です!全国でも過酷な道ベスト3に入ると思います。

土屋:ここはチョモランマ、いつかは走りたいという『酷道』なんですね。じゃあ国道の中の珍道・酷道の第2位は?

今田:国道121号線です。ここはやたら重複している国道です。

地図上で121号線は日光から会津若松に向かって南北に伸びています。地図上の表示では121号線としか書いていませんが、よく見ると東から400号線が入ってきたり、289号線、118号線も入ってきて道がランデブーするんです。そしてまた分かれていく。重なったり逃げたりが続くのが面白いんです。

国道を示す逆三角形の青い看板『おにぎり』が2つになったり、3つ並ぶこともあるんです。その変化を見ているだけでもめちゃくちゃ楽しい。

土屋:今、このビルから見下ろす新宿駅もそうですね。いろんな線が集まって、また離れていく。同じ線路を使ってんの!?って。そういうの、僕も大好物です。121号線は最大何個くらい重複してます?

今田:8個だったと思います。ただ表示が必ず出ているものではないので、意外に埋もれていたりします。

土屋:原理的には8つだけど、標識が表示されているのは少ない。

今田:国道121号線絡みだと、確認できている範囲では3つです。全部重なっているのは福島と栃木の県境に近い、南会津辺りの区間です。

土屋:121号線と重なる352号線はどこに抜けていますか?

今田:国道352号線は新潟の柏崎が起点です。地図上は国道400号線しか表示されていませんが、352号線は福島県内で121号線と合流して南下したあと、400号線に重なるんです。

そのあと352号線は、また121号線に乗り移って日光の南、栃木県の鹿沼まで行くと、今度は293号線に乗り移って終点の上三川町まで行くんです。もう、あっちこっちで乗っ取りまくっているんです!

土屋:寄生虫みたい。

今田:よく言えば隠れキャラみたいなものですね。「お前、いたんだー」という感じです。

土屋:そういうことがわかってから現地を走るのが醍醐味。国道にキャラ付けしていくんですね。「お前はおてんばだなー」「尻軽ですぐ乗っかりやがって」と。擬人化していくと楽しいかもしれない。国道121号線は危険度でいうと?

今田:2くらい。ちょっとロングドライブになってしまいますが。

土屋:では国道の中の珍道・酷道の第1位は?

今田:国道152号線です。ここは長野と静岡との県境にある難所・青崩峠で一旦切れている道で、僕が最初に国道を意識した道です。また古くから青崩峠を境にして『秋葉街道』とも呼ばれていて、長野から天竜川に沿って南に下って行くと浜松に出るルート、塩の道として古代から使われてきた道です。

この街道は歴史好きにとっては心ときめく道で、武田信玄が死ぬ直前に通った峠だと言われています。信玄は三河の徳川家康を攻めるために出陣して青崩峠を通り、戦地で体調を崩して撤退する道中で亡くなります。

黒澤明監督の映画『影武者』で描かれた世界ですが、死んだことは伏せたまま、武田軍は再びこの青崩峠を通って本拠地の甲府に戻っていく。そんな舞台となった峠です。

さらにこの国道は、国道の土木技術と中央構造線の破砕帯という大自然との戦いもわかる、そういう魅力のある国道でもあります。

土屋:道の切れ目、終点というのは何か哀愁を感じますよね。僕の好きな京急電鉄の場合でも「おい、本当にここまでだったのか、三崎口?本当は油壺まで行きたかったんじゃないのか?」「いや、これでいいんだ」「意地張ってんじゃないよ」って。

今田:擬人化して「わかるよ」って言ってあげたくなる気持ちは分かります。

土屋:152号線の危険度は?

今田:3くらい。ただ青崩峠付近までたどり着くのが大変です。飯田線は土屋さんもご存知の通り、電車でも相当なところです。車で行く場合はなおさらです。

土屋:やっぱり県境で工事が止まるんですね。国道でも長かったり短かったり、個性があるようですけど、最も長い国道は東京から青森県まで続く4号線、奥州街道とのことですが、一番短いのは?

日本で一番短い国道は187.1メートル

今田:かわいそうな国道がいるんです。三宮から神戸港までの174号線。それまで三宮寄りを通っていた国道2号線が神戸港寄りにバイパスができて掛け替えになった時に、もともと900メートルだった道が、700メートルも短縮されて「お前の財産、こんだけね」と187.1メートルだけ残されたんです。

土屋:これだけ短いと舗装は違いますか?工事の管轄はどうなるんでしょうか?

今田:神戸は政令指定都市なので、国道の管理は神戸市が引き受けているはずです。単純に法律上の区分が変わっただけで、道が変わったわけではありません。

土屋:200メートル足らずということは、将来的になくなるということは?

今田:港に通じる重要な道ですから、なくなることはないと思います。付け替えとか、番号が変わったりするのは、よくあることなんです。一旦国道に指定された場合、廃止されることはないです。数本が合体して新たな番号の国道になったりする場合もあります。

三桁でも偉い246号線

土屋:昔は一桁、二桁の数字が「1級国道」、三桁の数字が「2級国道」と分けていたんでしたっけ?

今田:今はその区分は廃止されましたが、一応指定区間というのがあって、三桁国道でも一桁、二桁並みに整備をしなければいけない区間もあります。例えば青山通り、246号線は一桁、二桁レベルの扱いなんです。

土屋:そうだー、三桁でも246号線はお洒落で立派。デートで行くなら国道何号線がいいですか?

今田:景色が綺麗な北海道はいいですよー。

土屋:苫小牧から海岸線を東に走ったことがあります。馬が放牧されていて、とってもよかったです。

今田:襟裳岬を通る336号線ですね。馬の放牧は浦河、競走馬を育てているところです。北海道でいうと国道231号線もオススメ。札幌から留萌まで山が迫っている海岸線を北上する。西側なので夕日も綺麗です。

土屋:歴史好きな人が訪ねるなら?

今田:ひとつは信玄が通った青崩峠の152号線。もうひとつは少し時代が下って、幕末の頃に活躍した越後長岡藩家老の河井継之助ゆかりの289号線。

幕末の戊辰戦争の時に、長岡藩は旧幕府側でした。長岡藩は劣勢になったので会津に落ち延びようと、継之助らは新潟の長岡から「八十里越え」という峠道を越え山道を下りたのですが、そこで力尽き会津にはたどり着けなかったのです。この道も途中で切れていて国道は繋がっていない。河井継之助は命を縮め、国道は峠を越えられなかった!

土屋:話を聞くと、車が通れなくなるところに歴史がありますよね。国道初心者におすすめな道は?

今田:長崎の国道324号線。ここは商店街のアーケードの中を国道が走っています。

本州と九州を結ぶ関門海底トンネルも実は国道2号線で、福岡と山口の県境まで歩いていくことができます。それから国道308号線、大阪から生駒山を超える暗峠(くらがりとうげ)は、江戸時代に敷設された石畳で古道の雰囲気もあります。

土屋:ではこの記事を読んでいる人に、国道に誘う殺し文句を。

今田:国道沿いには歴史が埋まっている!

土屋:鉄オタもそういうところからだと入りやすいかも。

今田:鉄道ファンに向けて言うなら、すごい勾配を越えられるのは、国道だけ(笑)

土屋:確かにそうだ(笑)。

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プロフィール

土屋礼央
1976年生まれ、東京都国分寺市出身。RAG FAIR として2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。ニッポン放送「土屋礼央 レオなるど」、FM NACK5「カメレオンパーティ」などに出演中。
・ TTREアルバム「ブラーリ」
・土屋礼央 オフィシャルブログ
・Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya