石原裕次郎のファンだった?麻原彰晃のエピソード - 渡邉裕二
※この記事は2018年07月11日にBLOGOSで公開されたものです
死刑執行を受けマスコミは自らの報道姿勢を検証すべき
オウム真理教の教祖だった麻原彰晃元死刑囚以下6人の死刑執行は、その人数の多さもあって賛否両論の論争が巻き起こった。 もっとも、「死刑」が確定されている以上は、その執行については法的な問題はない。だが、テレビをはじめとするメディアの報じ方にはいささか疑問が残った。
特に目立ったのは、今回の死刑執行についての時期や7人と言う人数などについては疑問を呈する意見だった。それだけではない。オウム真理教について、この犯罪について「検証が不十分だったのではないか」とも訴えていた。それはそれで当然の意見だろう。確かに、オウム真理教、麻原彰晃、幹部…その検証も重要だろうが、それを言うなら、まずメディアも事件の取り組みに対しての検証が必要だろう。
だいたい、オウム真理教に関しては、事件当時、誰もが「怪しい」「危ない」「如何わしい」と思っていたはずだ。ところが、そういった疑問を感じながらもバラエティー番組に出したり、対談させたりで面白おかしく扱っていたことは今更ながら感じる。
そのうち、事件が起こると、今度は南青山7丁目にあった教団の東京総本部には連日、マスコミが押し寄せ24時間態勢で張り込み、外報部長で緊急対策本部長なんて役職がついていた上祐史浩氏(現ひかりの輪代表)は記者会見も開いていた。いま、思えば、そんなことでも教団を有頂天にさせ、犯罪を助長させるキッカケになっていたことも確かだだろう。そういった中、幹部だった村井秀夫がメディアの目の前で刺殺されると言う衝撃的な事件まで起こった。
とにかく、世の中全体が正常な判断を失っていたように思う。
過去の失態を検証しないTBSは無責任
そういったことをメディアに限って言うなら、最も問題視されただろう出来事はTBSのビデオ問題だったように思う。
1989年10月26日。TBSのワイドショーが、オウム真理教の被害者支援活動を行なっていた坂本堤弁護士のインタビュー映像を、教団幹部からの要求に屈して放送前に見せてしまったことだった。その結果、同年11月4日に坂本弁護士はオウム真理教によって殺害されてしまった。まさにメディアが起こした前代未聞とも言うべき殺人事件だったといっても過言ではない。
だが、TBSは、そういった事実を否定し続けていた。それが一転、見せたことを認めたのは1996年になってからだった。報道機関としての責任の放棄に、当時、「NEWS23」のキャスターを務めていた筑紫哲也氏(故人)は、その放送の中で「TBSは死んだに等しい」と言い切った。
だが、今回の死刑執行の報道の際は、そういった自局の失態や責任ついては一切、触れることもなく、反省や検証すらしていなかった。このことはメディアとして実に不誠実であり、無責任としか言いようがない。死刑執行に際してTBSは日曜日の「報道特集」で、教団の特集をしていたが、ここはまず自らの報道姿勢を検証すべきだったろう。
裕次郎ファンの麻原を喜ばせるための「尊師マーチ」収録
それにしても、このオウム真理教という集団は一体、何だったのだろうか?
「信者はマインドコントロールされていた」
というが、信者は「尊師・麻原彰晃」に帰依し、単に麻原を喜ばすだけのために動いていたとしか思えない。修行とか何とか言っているが、そこには思想とか信念なんてものはない。しかし、そういった生き方が彼らたちにとっては一番楽だったのかもしれない。
当時、取材している中で、こんな〝笑い話〟のようなエピソードがあった。
オウム真理教といえば、必ず耳にする〝オウムソング〟があった。最もポピュラーなのが「尊師マーチ」だろうが、実は、この作品のレコーディングは杉並・堀ノ内にあったテイチクの杉並スタジオ(グリーンバード杉並)で行われたと言う。
「麻原は音楽が好きで、教団のアピールには、さまざまな歌や音楽が使われてきたんです。中心に動いていたのは幹部の石井伸一郎氏だったのですが、レコーディングにテイチクの杉並スタジオが使われたのは、麻原が石原裕次郎の大ファンだったからなんです」(当時を知る音楽関係者)。
目の見えない麻原が「太陽にほえろ!」とか「大都会」、あるいは「西部警察」を観ていたとは思えないが、石原裕次郎の歌はお気に入りだったという。
「言うまでもなく裕次郎さんはテイチクの専属歌手で、そのレコーディングでは、この杉並スタジオを利用していたんです。教団の信者は、そう言った情報を、どこかで聞きつけてきたんでしょうね。で、レコーディング先として杉並のスタジオを麻原に提案したようなんです。レコーディングは裕次郎さんも使っていた第一スタジオで行ったようですが、テーブルやソファーに触れながら『ここが、あの…』なんて言いながら麻原は大感激だったといいます」。
しかも、この話には後日談があって「石原裕次郎と同じスタジオでレコーディングする」ことだけが目的だっただけに、楽曲のマスターテープは「カセットテープにダビングしたのでいらない」と言ってスタジオを出ていたという。
たわいもない話、くだらない話と言われるかもしれないが、一事が万事である。実は動機などは単純で、オウム真理教というのは麻原が喜ぶことをする、喜んでもらうため何かをする、それで結果オーライという程度だったのかもしれない。ところが、メディアに踊らされ、利用され、そして利用した挙句、気づいたら取り返しのつかない反社会的な行動を起こすようになっていったように思えてならない。