「家族とは、努力して少しずつ家族になっていくもの」細田守監督が映画『未来のミライ』で描いたこれからの家族像 - BLOGOS編集部

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※この記事は2018年07月11日にBLOGOSで公開されたものです

『サマーウォーズ』『バケモノの子』など、数々のヒット作を手がける映画監督・細田守。同氏が新作『未来のミライ』で描こうとした、これからの家族のあり方とは--。7月20日の公開を前に、本作に込めた思いを聞いた。【取材:田野幸伸、村上隆則・撮影:弘田充】

映画を作ることで「きょうだい」を理解したかった

-- 新作『未来のミライ』は4歳の男の子「くんちゃん」と、生まれたばかりの妹「未来ちゃん」が少しずつ兄妹としての関係を築いていくというストーリーになっています。監督が今回、「きょうだい」という関係性をテーマに選んだ理由はなんだったのでしょうか。

細田守監督(以下、細田):これは完全に自分のことになってしまうんですが、うちの上の子が産まれたときは一人っ子だったのに、下の子が産まれた瞬間に一人っ子じゃなくなるというのを目の当たりしにして、これは面白いと思ったんです。

僕は一人っ子できょうだいってことがよく分からないんですよね。人生の中で経験してないから。上の子がまだ1人のときは自分も同じ一人っ子だから、上の子のことがすごくよく分かっていた。

ところが、下の子が産まれた瞬間に、上の子は一人っ子じゃなくなった。この子は僕の知らない人生をこれから歩もうとしているのがすごくうらやましくなっちゃって。

そういう経験もあって、僕はきょうだいがいないから、きょうだいの映画を作りたいなと思ったというか、映画をつくることによってきょうだいってものを理解したいな思ったんですよね。

今はみんなが自分なりの家族というものを見つける時代

-- 監督の作品は『サマーウォーズ』から今作まで、4作連続で家族がテーマとなっていますね。

細田:特別「家族」ってものに対して強い思いがあるわけじゃなかったんです。小さい頃から映画監督を志してはいましたけど、まさかこんなに家族について描くことになるとは思っていませんでした。

でも今になってみると、家族という題材に興味を惹かれるんですよね。それは、家族の形自体がすごく変化している最中だからなんじゃないかと思っていて。

昔は「こういうものが家族である」という形がもっとがっちりしていたと思うんです。誰もが結婚して、誰もが子どもを2人以上つくって、2人以上つくらないと変な家だと思われるみたいな考えってありましたよね。

-- たしかに、「平均的な家族像」みたいなものは現在よりも強くあったと思います。

細田:でも今って、そういうことを家族に関して言う人っていなくなったじゃないですか。つまり、そのぐらい昔と今とは変わってるわけですよ。

そもそも昔の家族像というのは、日本の近代が勝手につくった家族像であって、別に日本の大昔からあった家族像じゃないですよね。にもかかわらず、小さな頃の僕らはそれに縛られてたという。

家族像って本当にどんどん変わっていて、少し前、『おおかみこども(おおかみこどもの雨と雪)』くらいの時って「イクメン」って言葉がすごく持てはやされてましたよね?でもその言葉も、いつの間にかなくなりました。つまり、そのぐらいのスピードで変化しているってことです。

どれが正解とか、みんなこうしましょうというんじゃなくて、今はみんなが自分なりの家族というものを見つける時代。その真っただ中なので、本当は家族を描かなくて何を描くのかと言いたいぐらいなんですよ。

新たな家族像を描くのにぴったりだった「磯子」という舞台

-- 作中、くんちゃんたち家族の住む街は横浜の磯子でした。あの場所を選んだ理由はなんだったのでしょうか。

細田:磯子という土地は、近代を象徴するような場所だなと思ったんですよ。そもそも横浜というものが、西洋文化が入ってきて、体制の変更を迫られた歴史的な場所です。そして戦後、磯子、根岸湾という場所が埋め立て地になって重工業地帯がつくられ、そこに勤めている人たちが住むための住宅、つまり住宅開発が日本で一番最初に行われたのが、南平台という宅地だった。戦後、大きく変わっていった磯子のような街で新しい家族を描くというのは、歴史を踏まえた上でもぴったりだと思ったんです。

普通、横浜っていうと、みなとみらいとか、関内、元町とか、そういう所を舞台にしがちですが、もっと近代を背負った土地は根岸の山のこちら側にあったという。あと、本編にも出てきましたけど、自転車を練習する根岸競馬場に何か塔みたいなのが建ってたじゃないですか。

-- ありました。

細田:あれは根岸競馬場の跡の観客席が廃墟になった建物なんですよね。根岸競馬場は日本で最初につくられた本格的な競馬場で、戦後、米軍に接収されていたんですが、戦後日本に返還されたあとも取り壊されず、廃墟になってしまった。そのような建物が戦前戦後を通じて同じ場所にあり続けているというのも、まさに近代を象徴しているなと思いました。

家族とは、努力して少しずつ家族になっていくもの

-- 今作は子ども達の両親の描写も非常にリアルでした。なかでも星野源さんが演じる「おとうさん」は、悪戦苦闘しながらも父親としての役割を担おうとしているキャラクターで、とても共感できました。

細田:お父さんって、どこか「お父さん」という役割を演じるみたいなところがありますよね。例えば、ある分野の役者さんに、「お父さんを演じてください」と言うと、いかにも「お父さん」な声を出したりするわけです。「おまえそれはどうなんだ?(低い声で)」みたいな。それこそ近代的なお父さんですよ。でも、そんなお父さんいないって思うんです。

現実のお父さんというのは、お父さんであると同時に、仕事もして、もちろん個の自分としての存在もあり、子どもにとっては父親の側面もあるという、色んなものの中で引き裂かれている個人なんですよ。もちろんこれは別にお父さんに限らず、お母さんだって、じいじだって、ばあばだって、先生だってみんなそうです。

でもそれを、みんなお父さんってこういうものでしょ、お母さんってそういうものでしょって、役割として見ようとしてしまう。でも、そうじゃなくてやっぱり個々の人間なんだっていうのが、正確な見方だと思うんですよね。

今作の「おとうさん」のような感じのお父さん像が、今のリアルなお父さんなんだけど、見方を変えると、ちょっと頼りないお父さんだったりする。女の人から見たら、ちょっと気の利かない旦那さんに見える側面もあるかもしれない。

でもそういうのも含めて、実感としてのお父さん像というのを正確に出したいなと。少なくともそういうお父さん像があまり映画の中で表現されてきてないんじゃないかっていう気もするし。

よもやアニメーションなんて、若い人を礼賛する作品が多いわけじゃない? ということはアンチテーゼとして、親というのは若者を縛るみたいな役割を背負わされることが多い。そうじゃない、生きたお父さんを表現したいなとは思いました。

-- 完成披露試写会では星野源さんが、監督はご自身の経験をもとに演技指導をされていたと話していました。監督ご自身が家庭を築いていった経験も、今作には込められているのでしょうか。

細田:それはすごくあると思います。家族とは、努力して少しずつ家族になっていくものだと思っているんです。夫婦や親子もそれは同じ。そういうことはこれまであまり映画の中では表現されてこなかったように思います。

もしかすると、「家族の絆」みたいな言い方で、何となくそういうつながりがあると思われているのかもしれないけど、本当は家の中で生活していくために、夫婦も、血のつながった親子も、折り合いをつけていくことが一番大変なことだったりするわけです。

先日の完成披露試写会で星野さんがこの映画のことを「今は血のつながっていない家族を描くっていうのがトレンドになってるけど、本当は血のつながった家族がどうやって生きていくかってことを表現するのが一番、最先端じゃないか」と端的に表現してくださったんですが、本当に素晴らしい指摘だなと。

-- たしかに今作は『おおかみこどもの雨と雪』や『バケモノの子』と違い、本当にどこにでもいるような、ごく普通の家族の物語となっていました。

細田:家族ものを描くとなると、肉親の問題というのはいかにも当たり前すぎて、一見つまらなく思えてしまうので、それこそ血のつながってない人たちがどうやって家族になるかという、少し変わった設定のものを作ってしまったりもする。

ところが現実は、赤の他人が夫婦になって、2人で暮らしているときだって、色々なことを合意するための話し合いが必要だし、子どもが1人産まれたら産まれたで、再設定しなきゃいけない。またもう1人産まれたらまたやんなきゃいけないんですよ。

でも、そうやってみんな、不安定になるときもあるし、いろいろしんどい思いをしながらもなんとかかんとかやっていくのが家族や夫婦、親子なんじゃないかなというような気もするんですよね。

何もしなくても、うちは仲良くて幸せだという家庭もあるだろうけど、そうじゃないほうが多いと思うんです。やっぱり、努力があって仲良くなったりとか、信頼が得られたりとか、子どもに信用してもらったりできるんじゃないかって気がするんですよね。何もなくて、DNAで信頼なんかするもんかって思うわけですよ(笑)。

共感だけではなく、子育てへの憧れを抱かせる作品になってほしい

-- 今回、家族の話はどうしても自分ごとに置き換えてしまうなと思いながら観ていたのですが、そこは監督が狙っている部分だったりするのでしょうか。

細田:この映画はそのまま観るのもいいけど、やっぱり、自分の家族を思い出したり、自分の子ども時代を思い出したりしながら観ると何か大事なことに気づく瞬間があるんじゃないかなと思うんです。

僕自身がいま子育て中で、小さい子どもと一緒に過ごしていると、自分の子ども時代をやたら思い出すんですよね。なおかつ、そのとき自分の親がどんな気分だったかというのも、自分がいま親だから、前よりはすごくよく分かる。

子どもと一緒にいながらも、もう一回子ども時代を生き直しているような気持ちになる事があって、それは、自分の人生の体験の中でもとても面白いことだなと思うんですよ。

この映画は、小さい子とその親というか、映画の主人公たちに近い人たちだけが楽しいものじゃなくて、いろいろな人が楽しめるようなものになるという、ちょっとした目論見があって、そこはかなり意識的に作っています。

いや、もしかすると、そっちのほうが大事なのかもしれないです。同じ体験をした人たちだけで共感しちゃうような、「子育てあるある漫画」みたいなありきたりなものをこえたいというか。

『おおかみこども』のときから、子育て系の資料には沢山目を通しましたけど、それって、子どもがいないとどうも入っていけなかったりする。でも、東村アキコさんの『ママはテンパリスト』なんかは、「子どもがいるってこんなに暴力的だけど面白い生活になるんだ」と思わせてくれますよね。この映画も共感だけではなく、子育てへの憧れを抱かせるような作品になってほしいと思いながら作りました。

-- 今は一人っ子の家庭も多いので、一人っ子のまま大きくなっていく子どもも増えてくると思います。この映画をその子たちが大きくなったときに見たら、「あ、きょうだいってこんな感じなんだ」って…

細田:思うかもしれないですね。この映画を見てもう一人つくろうという夫婦がいるかどうかは分からないけども、僕が聞いた、試写を見たときの話では、きょうだいがいなくてもいいやと思っていたご夫婦が、「やっぱりつくってもいいかな」と、ちょっとは思ったみたいなことを聞いたので、もしかするとそこには何かあるのかな。でも、ひょっとしたら子どもはそう思ってくれるかもしれないですね。一人っ子が多いから。

-- 子どもはよく、弟や妹じゃなくて、お兄ちゃんとか、お姉ちゃんがほしいと言ったりもしますよね。

細田:それは現実的に無理なんですが、気持ちは分かりますよね。弟や妹は面倒くさいけど、お兄ちゃん、お姉ちゃんだったらいいな。中学生くらいになると、ちょっとエロいお姉ちゃんがいたらいいのに、なんて思うのかもしれませんね。


細田守監督最新作『未来のミライ』は2018年7月20日(金)より、TOHOシネマズほか全国ロードショー

プロフィール

細田守(ほそだ・まもる):映画監督。1967年生まれ、富山県出身。金沢美術工芸大学卒業後、東映動画へ入社。その後フリーとなり、2006年に公開した『時をかける少女』で注目を集める。2011年にスタジオ地図を設立し、『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』など、話題作を送り出し続けている。最新作『未来のミライ』は第71回カンヌ国際映画祭・監督週間に選出された。