「現金給付で子どもの脳波パワーがアップした」との研究に浮上した疑惑とは?
2022年2月に、「貧困家庭に経済的支援をすると新生児の脳の活動が改善された」とする研究が発表され、各種メディアから大きな注目と称賛を集めました。しかし、「所得分配の是非はともかく、その結論を導き出すための実験の手法には疑わしい点がある」と、アメリカのシンクタンク・CSPI Centerが指摘しています。
About Those Baby Brainwaves: Why “Policy Relevant” Social Science is Mostly a Fraud - Executive Summary - CSPI Center
今回CSPI Centerが問題視しているのは、コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジの心理学者であるSonya V Troller-Renfree氏らが発表した「The impact of a poverty reduction intervention on infant brain activity(貧困救済介入が乳幼児の脳活動に与える影響について)」という論文です。この論文の中で研究者らは、「子どもが生まれたばかりの低所得世帯の母子100組に月額333ドル(約4万円)の現金を支給する実験を行ったところ、現金を贈与されたグループの乳児は高周波数帯で強い脳波パワーを示した」と発表しました。
この研究は、The New York TimesやVoxといった大手メディアに大きく取り上げられ、政策を扱うシンクタンクや医療系のニュースアグリゲーターなどもこれに追随しました。
しかし、CSPI Centerはこの研究について、「政策に関連する社会科学の研究ではよくあることですが、その主張の内容は非常に誇張されたものであり、実験の方法論も疑わしいものです」「そもそも、脳波と認知力の関係についてのエビデンスは非常に弱く、子どもの認知能力を改善しようとするほとんどの介入は効果が小さいかゼロです」と述べて、貧困家庭の母子を支援すべきとの主張を裏付けるための結論ありきの研究だったとしています。
CSPI Centerが指摘している問題の1つは、脳波のパワーが上がったことの根拠となるデータ選びのプロセスです。Troller-Renfree氏らは当初、脳のシータ波(4〜8Hz)、アルファ波(8〜13Hz)、ガンマ波(35Hz以上)を計測する実験をする予定で研究をスタートさせました。この3つの脳波が選ばれたのは、別の研究によって「経済状況が改善すると有意な効果が出る」と示唆されていたことを踏まえたものだったとのこと。
しかし、実際に計測を行ったところ、最も大きな結果が現れたのは当初の予定にはないベータ波(13〜35Hz)でした。そこでTroller-Renfree氏らは、所得とベータ波の関係を示す最新の研究結果として2件の論文を引用した上で、「金銭を給付するとベータ波などの脳波のパワーが上がった」と結論づけたとのこと。しかし、2件の論文のうち1件はたった60人の子どもを対象としたもので、もう1件はTroller-Renfree氏らの研究の趣旨とは逆に、「所得とベータ波の間には負の相関がある」との結果を示すものでした。
このほか、「テストを繰り返すことで本当は有意な差があるわけではないのに有意な差が見つかってしまうリスクが高くなってしまう『(PDFファイル)多重検定の問題』が補正されていない」という点や、「実験の参加者が少なくサンプルサイズが小さい」という点、「分析対象としたデータが極端な家庭を対象にした研究のデータばかり」という点など、論文には多くの不適切な点が見られるとのこと。
これらの問題点があったため、Troller-Renfree氏らの論文は最初こそ福祉を拡大すべきとする政治家などから歓迎されたものの、その後多くの批判にさらされるようになりました。これを受けて、ベーシックインカム政策を研究しているUBI Centerがこの研究に関する記事を全て削除したほか、そのほかの研究機関は免責事項を追記するなどの対応を取りました。また、Voxなどの各種ニュースメディアも、記事をアップデートして対立する意見を掲載するなどの措置を講じたとのこと。
こうした経緯から、CSPI Centerは「今回のような事例は、公共政策の議論において社会科学が果たす役割を再考させるものです」「人気のある政策を支持するような派手な研究はたいてい信用できないものであり、劇的な効果はたいてい誇張されたものか、有利なデータ選びをするp-hackingが行われたものか、偶然の産物なのです」と主張しました。