報徳会宇都宮病院の本館。全体で653床の病床を持つ精神科病院だ(記者撮影)

精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。日本の精神医療の抱える現実をレポートする連載の最終第13回前編。

「気持ちが落ち着くまで、ちょっと入院しませんか」

「もう4年ぐらい会えてないよね……、長いよ。それともママは子供を産んではいけなかったの?育ててはいけなかったの?だから会えないの……?」

2020年4月18日付の自筆の日記に、2人の娘たちと離れ離れになっている悲痛な心境をこうつづっていた、30代女性のAさん。Aさんが精神科病院「報徳会宇都宮病院」(栃木県宇都宮市)に入院してから、ちょうどこの日で2年9カ月が過ぎていた。


Aさんが入院中につけ続けた直筆の日記。その時々の心境が率直につづられている(記者撮影)

都内在住のAさんは夫のDV(家庭内暴力)に耐えかねて離婚し、当時2歳と1歳だった年子の娘たちを連れて、DV被害の母子を一時保護する、都内の「母子生活支援施設」へと身を寄せた。

共同生活を余儀なくされる慣れない環境下で、娘たちは不安定になった。ささいないざこざ続きの毎日だったが、ある時、姉妹けんかで次女の頬にできた傷がネグレクト(育児怠慢)の証拠だとして、児童相談所が介入。保育園にいた2人の「保護」に踏み切った。

突如、娘たちに会えなくなったショックでAさんはうつ状態に陥った。施設から出され経済的にも困窮し、東京都内の地元の福祉事務所に相談すると、「気持ちが落ち着くまで、ちょっと入院しませんか」と、職員から打診された。


報徳会宇都宮病院に入院していた30代女性のAさん。今は普通に自宅で生活している(記者撮影)

「その時は自暴自棄な気持ちで同意しましたが、その後に当然都内だと思っていた入院先は、私とは縁もゆかりもない栃木県内だと聞き驚きました」(Aさん)

当日は、都内のあるメンタルクリニックで簡単な診察を受けた後、福祉事務所の職員とともに、そのままタクシーで栃木県へと向かった。宇都宮市内の病院に到着したときには、すでに日はとっぷりと暮れていた。

「病院のロビーでは、かなり高齢の男性たちが談笑していました。患者さんかなと思ったら医師で、私の顔を見ると白衣を着て診察室に入っていきました」(同)

Aさんの主治医となったこの高齢の医師は、「口調は乱暴で、とにかく人の話を聞こうとしない人だな、というのが初診時の第一印象でした」(同)。15分ほどの診察で、病名を明確に告げられることもないまま、女性用の閉鎖病棟への入院が決まった。


入院当初にAさんが過ごした病院新館の閉鎖病棟(記者撮影)

入院当初から多くの薬が処方され、看護師の目の前で服用するよう求められた。薬効が強いためかふらつき症状がでたため、減薬やそもそも何の薬を投与されているのか知りたいと求めたが、主治医には「そんなことは知らないでいい」「薬はこちらが決める」と突き放されるだけだった。

Aさんは入院後しばらくして渡された通知書を見て、主たる病名は「非社会性パーソナリティ障害」、入院形態は精神科特有の強制入院制度の「医療保護入院」であることを知ったが、薬についてと同じく、主治医から診断や強制入院の理由が示されることはなかった。

主治医の言動に翻弄される日々

自筆の日記を見ると入院期間中、Aさんは常にこの主治医の言動に翻弄されていたことがわかる。退院前の数カ月間の記載だけでも下記の通りだ。


「あんなの診察じゃない」、日記には主治医への不信感がつづられている(記者撮影)

「令和2年(20年)2月25日(火) 王(オー).Dr(主治医の事)の診察日。オーマイゴッド。王.Dr診察だ……何を言われるんだろう?」

「(同上) 王.Drに『45歳ぐらいの男を紹介する』と言われ嫌な気分になった。あんなの診察じゃない。早くこの病院から姿を消したい」

「令和2年3月24日(火) 王.Dr診察日。転院の話になっているのに今日診察でグループホームの話をしてきた。やっぱり転院の事は頭に入ってないんだ」

「令和2年4月2日(木) 今日王先生に『オマエの頭はオレが直すんだから、他に行くな!!』みたいなことを言われてショック」

関係者の尽力もあり、Aさんは2020年4月末に都内の病院に無事転院することができ、その後数カ月で退院し、今は薬もいっさい飲まず普通に自宅で生活している。児童養護施設にいる2人の娘と暮らせるよう、児相とも話し合いを続けている。

ただし、一時の大量の服薬の影響か、不眠症には悩まされているという。それ以上に、最後まで納得いく説明のないまま、3年近くも自身を、まるで「収容」したかのような主治医の行為への恨みは深い。

「かわいい盛りの子供たちとも会えなかった、この貴重な時間を返してほしいです」(Aさん)

どちらが患者かわからない状態

アルコール依存症で、2015年秋から3年ほど報徳会宇都宮病院に入院していた60代男性BさんもAさんと同じ主治医だった。

「正直、主治医と私のどちらが患者かわからない状態でした。かなりの高齢の割に声は大きかったですが、患者の名前は覚えてないし、診察でも毎回同じ話を繰り返すばかりで」

Bさんも病名はAさんと同じく「非社会性パーソナリティ障害」だと告げられ、薬についても詳細な説明がないまま、朝晩それぞれ10錠前後の服用が求められた。「抗精神病薬や抗不安薬が中心だったようですが、そのうち退院後の現在でも服薬しているのは、整腸剤のビオフェルミンだけです」(Bさん)。


報徳会宇都宮病院の正門前で、3年ほどの入院生活を振り返るBさん(記者撮影)

非社会性パーソナリティ障害は個人的利益や快楽のために搾取的行為を行っても、相手をバカだった無力だったと責め、良心の呵責を感じないこと、などが症状だとされる。なぜ主治医の診察からそうした病名に至ったのか、今でもまったくわからないとBさんは憤る。

「この主治医は診察時、周囲に聞こえるほど大声、しかもべらんめえ口調で、『50歳過ぎて寝小便をもらすんかい』などと、よく患者を笑いものにしていました。私も妻子と別れたことを告げると、『おう、おう、じゃあ俺が探しとくから』と気安く請け負って、すぐに忘れてしまったり。人の気持ちが全然わからない、というか、むしろされたら嫌だなと思うことを積極的にしていたようにも感じます」(Bさん)

Bさんも、この高齢の主治医は患者や病院職員の間で、「オー先生」「オードクター」と呼ばれていたと振り返る。「その名称の由来は諸説あり、『おう、おう』というのが口癖だからという話もありますが、やはり『オーナー』だからじゃないでしょうか」(Bさん)

Aさん、Bさんの主治医を務めたのは、報徳会宇都宮病院の「社主」(=オーナー)、現在御年95歳、大正生まれの石川文之進(いしかわ・ぶんのしん)医師だ。少なくともAさんが退院した昨年、2020年春までは、同院の精神科診療の最前線に立っていた。


報徳会宇都宮病院のオーナー、石川文之進医師(95歳)(写真:同氏のホームページより引用)

実際、同院のホームページの神経・精神科の筆頭に、「社主、日本精神神経学会専門医・指導医」の肩書で紹介されている。また職員募集のページの、「精神科就職はコロナに強い。」との項目には、「当報徳会宇都宮病院は653床の精神病院(ママ)です。(中略)全国的に入院患者数減少のなか、社主石川文之進先生の重症患者様への診察と看護による努力で、当院では入院患者数はかえって増加しています」との記載もある。

今からおよそ40年前の昭和時代の末期、この石川文之進院長(当時)率いる報徳会宇都宮病院を舞台に、日本の精神医療史上で最大級ともいえる不祥事、「報徳会宇都宮病院事件」が発覚した。事件の概要は以下のとおりだ(日本社会事業大学大学院の古屋龍太教授「宇都宮病院事件と精神保健法」(2018年)などを参照)。

暴力による恐怖支配を徹底

1984年3月14日、報徳会宇都宮病院の看護職員が入院患者2人を暴行し死亡させたとしてマスコミ各社が一斉に報道した。1961年に57床から出発した同院は増改築を繰り返し、事件発覚時には920床(在院者944人)を有する、北関東最大の精神科病院となっていた。入院患者を定員超過まで詰め込む一方、有資格の職員は精神科医3名、看護師6名、准看護師61名とごく少数。そこで一部の入院患者を「配膳」と称し使役し、看護師らは主に彼らを活用し、暴力による恐怖支配を徹底していたとされる。

実権を持つのは石川文之進院長ただ1人であり、その指示により無資格者や入院患者がほかの患者の注射や検査等を行っていた。報道後、捜査を開始していた栃木県警は無資格診療指示の疑いで同氏を逮捕。その後起訴され、懲役8カ月の実刑判決が確定した。厚生労働省の医道審議会は同氏に対し医業停止2年の処分を決定した。

立件こそされなかったが、事件発覚前の3年強の間に計222人の入院患者が死亡しており、このうち19人は明らかに「不自然な死亡」であったとされる。また死亡患者の脳は、東京大学に標本として提供されるなど、東大医学部との蜜月も当時強く問題視された。


この連載の一覧はこちら

民事訴訟では複数の元入院患者が、石川文之進院長の入院手続きと適否の判断に問題があったと損害賠償を求め提訴し、多くの請求は認められている。

メディアや同業者からも強く非難されたうえ国会でも取り上げられるなど、日本の精神医療の実態が大きく社会問題化された。事件発覚後、逮捕前に院長職を辞し、表舞台からは一度は完全に消えたかに見えた石川文之進医師。だが、惨劇の現場であるこの病院のみならず、これだけの大事件を起こした同氏さえ、「平成」を飛び越えて令和の世に至っても、「活躍」しているのが現実だ。

(最終第13回・中編に続く、7月16日公開予定)

本連載「精神医療を問う」では、精神医療に関する情報提供をお待ちしております。お心当たりのある方は、こちらのフォームよりご記入をお願いいたします。