無理難題で過労死した武士も!ブラック企業ならぬブラック幕府のヤバすぎた闇

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現代でよく耳にする「ブラック企業」という言葉ですが、江戸時代にも「ブラック企業」ならぬ「ブラック幕府」と非難すべきヤバすぎる労働環境がありました。

この記事では、そんなヤバすぎる労働環境を紹介するほか、過労が原因で亡くなった江川英龍(えがわ ひでたつ)についても紹介したいと思います。

繁栄した江戸

江戸時代では、3代将軍「徳川家光」のときに改定された武家諸法度によって「参勤交代」が制度化されたことにより、地方から多くの武士が江戸に集まることになりました。
このことで経済効果がアップし、幕府の置かれた江戸を中心に、大阪と京都の3都が栄えたそうです。

江戸幕府が置かれていた江戸の町には武士や商人たちが集まり、日々約100万もの人々が過ごしていたそうです。

1つの町で100万人という規模は、当時の諸外国と比べても多かったようで、人の多さに黒船に乗ってやってきたペリーも驚いたのだとか。

繁栄した江戸幕府の裏側で

「参勤交代」には、石高に応じた人数のお供を連れる必要があり、地方の大名たちは大きな経済打撃を受けていました。とくに、100万石にもなる領地を持っていた加賀前田家は、12泊13日の参勤交代でも現代に換算して約2億円もの旅費が必要だったと言いますから、相当な負担です。

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そのため、大規模な人件費や江戸に着いたときに寝泊まりする屋敷の運営費のせいで、経済力のなかった大名藩の村人たちは飢餓に苦しみました。

幕府の無理難題で過労死した江川英龍

黒船襲来によって危機感を感じた幕府は黒船対策として、下記のような対策を打ち出しました。

・銃砲政策&爆裂砲弾の研究開発 (防衛力の向上)
・台場の築造 (外国船を江戸湾へ入れないための砲台)
・反射炉の建設 (近代大砲の製造に不可欠な鉄の精錬設備)
・造船技術の向上&農民軍の組織 (黒船の防衛戦へ備えて)

そして経費削減のため、これらを、江川英龍「ただ1人」に任せました。

江川英龍 自画像

さらに、当時ロシアからもやってきていたプチャーチン一行への対応も英龍に任せていたと言いますから、相当な過労だったことでしょう。

しかし、この仕事量を押し付けられても諦めることなく真面目に向き合い続けた英龍は、1年足らずで台場の築造の半分を完成させたのでした。

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しかし、無理が祟り、完成までこぎつけずに翌年に亡くなってしまいます。きっと、寝る時間もなく長時間労働をし続けていたのでしょう。

反射炉の建設は、息子が引き継ぎ1857年に完成させていますが、こちらも過酷な労働であったことは想像に難しくありません。

これだけの仕事を英龍1人に押しつける幕府は、現代で言うところの「ブラック企業」ならぬ「ブラック幕府」といっても過言はないでしょう。

幕府は見てみぬふり

「参勤交代」で苦しむ地方大名のことや、英龍の仕事量について認知していたであろう幕府ですが、見てみぬふりをします。

江戸、そして江戸幕府繁栄に必要な犠牲と考え、経済効果アップを選択したのです。そのために、英龍のように頑張った人間が過労死し、多くの民が飢餓に苦しみました。

現代は「ブラック企業」に立ち向かえる

現代では、「ブラック企業」に対する措置方法や逃げるための手段がいくつかあります。1人で抱え込まず、周りに相談することで必ず力になってくれる人がいるはずです。

英龍のような被害者が、1人でも減ることを願っています。