(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

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「大谷選手の適応力は、やっぱりすごい。いま、コロナ禍の米国ではアジア人に対してヘイトがあるなか、大谷選手のような素晴らしい人間性がアジア人にあることを米国民に知ってもらえる。本当に得難い人だと思います」

こう称賛の言葉を贈るのは、大谷翔平(26)の日ハム時代のチームドクター、同愛記念病院顧問の土屋正光先生(78)だ。

今季、“二刀流選手”としての真価を発揮し、勢いが止まらない米メジャーリーグ・エンゼルスの大谷。“メジャー史上初の快挙”を連発するほどの活躍は、全米に一大旋風を巻き起こしている。

大谷は土屋先生に信頼を寄せ、18年に米国に渡った後も、現地で右ひじの手術を受ける前に「土屋院長の再診察を受けたい」と話していたという。結局、セカンドオピニオンは実現しなかったが、そんな縁の深い土屋先生に、大谷の大活躍の背景、知られざる素顔を聞いた。

4年前の渡米直前、大谷は足の手術のため土屋先生の病院に入院した。当時を振り返ってこう語る。

「彼が入院中は、いつもお母さんが病室にいましたね。ずっとニコニコしていて控えめで、とっても感じのいいお母さんでした。大谷選手とは離れて暮らしていたでしょうから、入院中だけでも息子と過ごしたいという気持ちもあったかもわかりませんね。泊まり込みで付き添う日もあったんじゃないかと思います」

いつも笑顔で感じがよくてーー。大谷の“人柄のよさ”は母から受け継いだものかもしれない。米国でも彼の立ち居振る舞いは称賛の的になっている。

敵チームの打者が投げたバットを拾って、グリップのほうをバットボーイに向けて渡してあげる。外野を守った際は、観客がグラウンドに落としたサングラスをわざわざ拾いに走って、投げ返してあげる。四球で一塁へ歩く途中、落ちていたゴミを拾ってポケットに回収する。

■元主治医への年賀状には直筆で……

こうした大谷のこまやかな心配りに、ファンからは“すべての子どもの素晴らしいお手本だ”“投げて打って、さらに地球のことまで考えるの?”といった感嘆の声が。

土屋先生にも、礼儀正しく接していたという。

「私が名誉院長になったときは、大谷選手が日ハムの球団を代表して選手たちのサインボールをお祝いにと持ってきてくれました。一緒にツーショット写真も撮ってもらったので、いまも宝物として飾っています」

直筆の年賀状をもらったこともあるそうだ。

「18年の、メジャーリーグに行く話がまとまったころです。年賀状には『五年間お世話になりました。今年からはアメリカで頑張ります!!』って書いてありますね」

大谷からの年賀状を大事そうに手にして、土屋先生は笑みを浮かべる。年賀状は大谷家の家族連名のもので、手書きのメッセージが書き添えられていた。

土屋先生いわく「真面目で丁寧で好青年。横柄さがなく控えめだけど、フレンドリー」という大谷だが、米国で独身生活を送っており、浮いた噂はほとんど聞こえてこない。

「ここ3年ほど彼と会っていませんが、それ以前はまったく女性関係について聞いたこともないです。いつも通訳の男性と一緒にいるようだから、女性が近づく余地がないんじゃないかな(笑)。いまは120%野球でしょうから、恋愛する時間はないかもしれません。いつか人並に、家庭的な幸せを得てもらいたいと思います」

土屋先生は、同じくメジャーリーグで活躍したイチロー(47)とも対面したことがある。大谷とイチロー、2人から受けた印象は違うと話す。

「そのときはイチローさんが大リーグに行く直前でしたね。孤高というか、口数も少なかった。イチローさんの場合は、日本人メジャーリーガーの先駆者として全部自分で切り拓かないといけないプレッシャーがあったでしょう。そうした先輩による下地があったおかげで、大谷選手は精神的な余裕が持てているのかもしれませんよね」