(コラージュ;山井教雄)

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新型コロナの感染拡大によって、テレワークやオンライン講義が急速に定着しつつある。「ウイズ・コロナ」、「アフター・コロナ」の時代に「働き方」はどう変わり、「地方の時代」は来るのだろうか。

「ウイズ」と「アフター」

大正大学出版会が発行する雑誌「地域人」は6月末、通常の月刊に代えて「ポストコロナ時代の地方と都市」という特別号を出した。その緊急特集に論考を寄せた同大地域構想研究所教授の村木太郎さん(66)に2020年8月13日、ZOOMで話をうかがった。

村木さんは京大大学院工学研究科を出て旧労働省に入り、東京労働局長、厚労省大臣官房総括審議官などを経て、この4月から地域構想研に招かれた。国際労働機関(ILO)の日本政府代表を務めたこともあり、長年にわたって労働現場を見守り、戦後の労働環境の変化を熟知する立場だ。

雑誌に寄せた文章は、「『コロナ危機』で変わる働き方、暮らしと地方創成」というもので、副題に「ピンチをチャンスに」とあるように、この深刻な感染拡大の危機にあっても、少しでも前向きな兆しを読み取って、「アフター・コロナ」の新しい生き方を模索しようという提案だ。

「ウイズ・コロナ」や「アフター・コロナ」という言葉が広く使われるようになったが、村木さんはまず、新型コロナについて三つのフェーズを、こう定義する。

「第一段階は、緊急事態宣言が出され、経済・社会活動が大幅に制限された時期。第二段階が、ワクチンや治療薬ができるまで、『新しい生活様式』を求められる時期。これが『ウイズ・コロナ』の時期です。そしてコロナ危機が収束したあとの時期。これを『アフター・コロナ』と定義しています」

村木さんの予想では、有効なワクチンや治療薬が年末から来年早々に開発されるという前提に立っても「ウイズ・コロナ」期は来夏までは続く。欧米や日本が「アフター・コロナ」期に入っても、南米やアフリカなどで収束しない限り、再び感染拡大の恐れが続くとみるからだ。

当然のことだが、「ウイズ・コロナ」期に起きる変化であっても、「コロナ以前」に戻るものもあれば、「アフター・コロナ」期まで持ち越され、社会に定着するものもある。後者の場合、変化は不可逆的で、後戻りしない。つまり、社会関係や生活様式が以前とは決定的に変わり、新しい社会が出現することになる。現在私たちが直面している「ウイズ・コロナ」の期間に、悲観ばかりして現状を嘆くのではなく、「アフター・コロナ」のあるべき姿を構想して、少しでもそちらに向かうべきだ、というのが村木さんの基本的な考えだ。

緊急事態宣言下の2か月で社会・経済活動は停滞し、その後も私たちはまだ「コロナ以前」には戻れずにいる。当分は「三密」の回避や手洗い、咳エチケットの徹底といった衛生面だけでなく、テレワークや時差出勤を求められる時期が続く。

「社員が定時に出勤し、同じ職場で机を並べ、随時打ち合わせをしながら協同で仕事をするスタイルが減り、都合のいい時間に在宅で、それぞれが担当の業務をこなし、メールや定時のウェブ会議でコミュニケーションをするというスタイルが、急激に増えた」

こうしたスタイルの変化は、感染拡大防止という観点から、半ば強制的にもたらされたものだ。しかし、そこにメリットがあると気づけば、そのスタイルは中長期的に定着していく、と村木さんはいう。

メリットの第一は長時間通勤やラッシュを回避できることだ。自分のペースで仕事ができ、遠く離れていても、すぐに打ち合わせができる。もちろん、だれもが必要と感じていなかった形骸化した会議も減って、そのために膨大な時間を費やした資料づくりの作業も淘汰されていくだろう。

もちろん、デメリットを感じる人もいるだろう。住環境が不十分なため、子どもや共稼ぎをするパートナーが自宅にいると、気が散って仕事に専念できないという人もいる。

「でも、子どもの声がうるさいから、仕事ができない、というのは、ある意味で男性の贅沢。じゃあ、女性はこれまでどうだったかを考えると、子育てしながら、保育園や幼稚園への送り迎えもこなし、長い通勤時間をかけて職場に通う人が多かった。オンラインは50センチ四方の空間があればできるし、子ども部屋の机を借りてでもできる。喫茶店で仕事をする人も増えている」

いやおうなく「ジョブ型雇用」に向かう

テレワーク定着の兆しはすでに現れている。オフィス仲介大手の三鬼商事がこのほどまとめた7月の都心のオフィスの平均空室率は2・77%で、21か月ぶりに2%を超えた。前月からの上げ幅は0・8ポイントと、月ごとの発表を始めた2002年1月以降で最大になった。テレワークの拡大で大企業はオフィスを削減し、中小ではオフィス自体を閉じる動きも出ている。野村不動産は6月、今後求められるオフィスの姿を考える研究所を立ち上げた。

もしこうした変化が定着すれば、在宅やテレワークといった勤務形態だけでなく、日本人の仕事の進め方そのものが、大きく変わるきっかけになるだろう、と村木さんはいう。

第一は、個々人の仕事の内容と責任が明確になることだ。欧米ことにアメリカでは、「ジョブ型雇用」と呼ばれる雇用が一般的だ。これは、特定の仕事に、人が割り当てられ、その範囲内で業務をこなす。これに対して終身雇用が一般的だった日本では、「メンバーシップ型雇用」と呼ばれ、まず人ありきで、その人に仕事が与えられる方式が一般的だった。

「ジョブ型」は最初から業務内容、勤務地、給与、その他の条件が明確に示され、その能力や条件に合うと思う人々が希望して就職する。「メンバーシップ型」は、業務内容や勤務地、その他の条件をはっきりさせず、勤務の途中で条件が変わっていく。

日本では、ある特定の技能を持つ人が次々に転社して同じ業務をこなし、スキルアップしていくことは、まだ大勢とはいえない。かつて大きな企業で終身雇用や年功序列が一般的だったころには、ある会社に入ると、様々な職種をこなし、昇進していくスタイルがふつうだった。「ジョブ型」と「メンバーシップ型」は、こうしたキャリアの在り方と対応しているのだろうか。そう問いかけると、村木さんは、そうではない、という。

「重なっている部分もあるが、これはキャリアの在り方ではなく、仕事の進め方の違いに重きを置く言葉です。たとえば同じ会社の企画部に所属していても、日本では個々人の業務の分担は明確ではなく、『チームで協力をしてこなす』という考え方をすることが多い。ある業務に応じて人を入れ替えるよりも、その職場を挙げてチームワークで業務をこなす、という考え方をしがちです」

もちろん、コロナ禍が起きる前から、日本の働き方は「メンバーシップ型」から「ジョブ型」へと移行する傾向が見られた。転職をしたり、キャリアアップしたりする人が増え、非正規雇用やギグ・ワークなど、雇用形態も多様化した。だが、コロナ禍によって、日本の働き方はいやおうなく「ジョブ型」に向かわざるをえなくなるだろう、と村木さんはいう。

「離れて在宅で働く方式が機能するためには、役割分担を明確にし、個々人がどんな仕事をしてどんな責任を負うのか、上司も同僚も理解していなくてはならない。これまでのように、そこを曖昧にしたままだと、混乱が起きてしまうからです」

そうなれば、労働に対する評価システムも、変わらざるをえない。

「評価の明確化だけでなく、情報共有の在り方もハッキリとせざるをえない。暗黙知から明示知への流れが加速するでしょう。つまり、これはたんに勤務の仕方が変わるということではなく、職場の在り方や、会社の在り方にも大きな変化をもたらす可能性が高いのです」

これまで日本の組織では、事務的・管理的な仕事は定量化できないという声が圧倒的だった。もちろん、その働き方には、一丸となって協働で仕事に取り組む利点がある一方、同質集団を形成し、外国人や女性、障害者といった働き手の多様性を排除するという限界もあった。今回の変化が、その行き詰まりを打開する突破口になれば、と村木さんはいう。

「コロナ後」の二つの大きな変化

長く労働行政に携わってきた村木さんは、日本における「働き方改革」がいかに難しいかを実感してきた。時代の変化に即した新しい「働き方」を提案しても、すぐに導入する企業は少なく、雇用環境は改善しなかった。

「同質性を好み、変化を拒む国民性とでもいうのか、社会の『慣性』が強く働き、なかなか変えられない。でも、今のようなコロナ禍のもとでは、好むと好まざるとにかかわらず、リモートワークや役割分担をせざるをえない。そうすると、社会の『慣性』が、ぐっと前に動き、一挙に変わる可能性があります」

営業は「対面が原則」というのが口癖だった上司が、やむをえずZOOMを使って「結構使える」と思ったり、全国から一堂に会して開いていた会議がオンラインに移行し、時間も費用も省けることに気づいたり、身の回りでも、そうした変化を前向きに受け止める声を聞く機会が増えた、と村木さんはいう。

こうして実際に使ってみて、多くの人が前向きに受け止める手法は、コロナ危機が去っても習慣として定着し、不可逆的な変化をもたらすだろうと村木さんはいう。そうした変化の先に予想される社会は、どんなものだろうか。村木さんは、大きく分けて二つあるという。

「ひとつは、企業や組織への帰属意識が弱まるということです。同じ職場に机を並べ、毎日顔を合わせることがなくなると、どうしても、そうなる。その結果、副業や兼業をしたり、いくつもの企業・組織に属したり、企業と契約して個人で働く契約労働(コントラクトワーカー、フリーランス)が増えていく。これまではIT産業やデザインでもこうした働き方がみられましたが、今後は企画や総務、営業など幅広い分野でそうした傾向が強まる可能性がある」

もうひとつは、これまで専業主婦や、共稼ぎであっても女性が担うことが多かった育児や介護、プライベートな活動、社会的活動が、多くの人にとって労働と両立可能なものになり、その両立が、当たり前になっていくという可能性だ。

二〇世紀後半には、男性の多くが長距離通勤、長時間労働で疲れ切り、退社後も同僚や部下と飲みに行くという「会社人生」が当たり前の時代が長く続いた。会社にどっぷり浸かっていることが、家計を支えるためには必要だと自分に言い聞かせ、家庭や地域の仕事を他人任せにしても平気だった。非正規労働が増え、共稼ぎの過程が増えた世紀末から、さすがにそうした価値観は揺らいだが、「男性優位社会」の岩盤はまだ動いていなかった。

村木さんの指摘は、もし私たちがそう望めば、「アフター・コロナ」の時代において、新たな「共生社会」を目指す環境が整う、という可能性を示していると感じた。

ここで村木さんは、ここ10数年顕著になってきた「非正規雇用」の増加について。今後考えるべきテーマを指摘した。

非正規雇用は、就職氷河期世代や女性の問題だったり、社会保障や親の高齢化の問題だったり、論点は多岐にわたる。これまで、非正規雇用増加への対応策として、大きく分けて二つのやり方があった、と村木さんはいう。「主流は、正社員化を進める方策だった。政策でいうと例えば労働契約法で有期社員の無期転換ルールが定められた。もう一つは非正規雇用を認容した上で、改善を進めるという方策だった。一連の労働者派遣法の改正やパートの社会保険適用拡大などがこれにあたる」と村木さんは振り返る。

従来は政府もマスコミも社会全体も、前者の考えが中心だった。正社員=良い働き方、非正規=改めるべき働き方、という考え方だ。

「しかし、働き方の多様化が進むと、非正規にフリーランスなども含めたさまざまな形態の労働の必要性や価値を認めた上で、全体としてどう調和させていくかが、中心的な課題になる」と村木さんはいう。

その際に大事なことは、経済活動や契約の自由とバランスを取った上で働く人をどのように守っていくか、従来は企業が担ってきたキャリアや職業能力の向上の支援を、社会としてどう進めていくか、という二つが急務の課題になるという。どちらも難問で、政府内でも何度も議論されましたが、抜本的な解決策は出ていない。

「コロナショックを機に働き方の多様化が一気に進むと、待ったなしのテーマになる」村木さんは指摘する。

働き方が変わる。社会の変化には、さらにその先がある。「地方創生」の可能性だ。

「リアルとオンラインの接続」が促す地方創生

「職場や組織に縛られない生き方は地方に住む誘因になる。これまでの地方居住は企業の誘致や新規立地で働く場所を確保することが前提だった。新しい働き方では、東京や大阪とつながりながら、仕事は今までと同じように続け、魅力のある自然や、育児・教育・医療など、自分に合った環境を選ぶ可能性が出てくる。通信販売やオンライン診療、イベントや美術館・博物館のオンライン展示が一般的になれば、『過疎地』に住む不便さも解消されるだろう。さらにオンラインによる講義や会議が普通になれば、地方にいても教育や研修を受ける機会が増える」

実際、同大地域構想研究所が全国の1〜10万人規模の自治体で行った調査によると、「人材の充足度」は多い順番から「現場の中核的人材」、「コミュニティのリーダー」、「合意形成を支援する人材」だったが、その充足度は2016年から20年にかけて大きく低下しているのに、各種の派遣研修は減少気味だった。そうしたギャップが生じる背景として、予算というより、研修時の他の職員の負担やスケジュール調整など、時間や距離における負担をあげた自治体が多かった。

「これは自治体だけでなく、地方企業にも共通した悩みだと思う。オンラインでは、時間や距離の負担がなくなるし、これまでの通信講座やテレビ講座と違って、リアルタイム、双方向でコミュニケーションを取ることができる。そういう利点を活かしていけば、地方の暮らしを便利にし、地方創成の芽にすることもできるのではないか」

もちろん、課題も多い。

オンライン普及にあたっては、情報リテラシーの格差を縮めることや、セキュリティをどう確保するかが重要だ。しかし、地方にはこれに加え、固有の課題がある、と村木さんは指摘する。それは、「リアルとオンラインの接点」を意識的に作り出すことだという。

「リアルとのかかわりがあるからこそ、オンラインが大きな意味を持つ。通信販売では物流、オンライン医療では検査や手術などへのアクセス、会議や研修では対面の機会を確保することが、ますます重要になる。学校でも、従来型の対面授業とオンラインをどう組み合わせるかが課題になるだろう」

リアルの中には、オンラインに移行できない部分が残る。人の喜びや感情に作用するようなサービス業などの「感情労働」は、簡単にはオンラインで代行できない。5Gの普及や仮想現実(VR)、拡張現実(AR)技術の進展で、三次元のリアルに限りなく近い体験を提供できても、よほどの技術の進歩がない限り、リアルの世界には届かない。

「ZOOMでの会話は、初対面の人が相手だと、ぎこちないものになりがちです。息遣いやその人の全人格が醸す雰囲気など、実際に会ってみないとつかめないものがある」

オンラインをリアルの代替手段と位置付ければ、その選択は、1か0かのゼロサムになる。だが、補完関係と考えれば、「1・5」にすることができる。そう村木さんはいう。

「大学のオンライン講義では、アフリカの人を呼んで参加してもらうこともできるし、地方にいる人も分け隔てなく気軽に参加できる。その一方で、定期の会合は減らしても、年に一度実際に集まる機会を設けるなどの工夫が必要です。ホテルやコンベンションセンターの需要は減るでしょうが、代わって大画面を使った大規模オンライン会議を開く場になるかもしれない。要は需要が減ることを嘆くのではなく、どう需要を作り出すかを考えるべきだと思う」

厚労省を退職後、村木さんは少女や若い女性を支援する「若草プロジェクト」の統括理事を務めるなど、女性や障害者ら、生きづらさを抱える人々を支え合う社会活動に専念してきた。そこにも、コロナ禍の波は変化をもたらしている。

「戦後の高齢者や障害者の施設は、できるだけ大きな公共施設をつくるという流れが続いた。それが20年ほど前から、地域に根差した小規模の施設や個人の居住に移り、地域で共生する方向に舵を切った。今回は、一部に残っていた大規模な居住施設でクラスターが発生し、基礎疾患を持つ人や体力のない人が犠牲になった。社会からの『隔離』が逆に集団感染を招くという逆説だ。福祉や介護の場では圧倒的な人手不足を補うため、ロボット技術やIT技術の導入が進んでいる。政府の投資による不況からの脱出は、こうした生活弱者への支援に重きを置くべきではないか、と思います」

雑誌「地域人」の編集長・渡邊直樹さんと考える

雑誌「地域人」の編集長は、大正大地域構想研究所の客員教授、渡邊直樹さん(68)だ。その渡邊さんに8月18日、ZOOMで話をうかがった。

渡邊さんの経歴は多彩だ。その名を知らなくても、渡邊さんが雑誌編集長としてプロデュースし、世の中に送り出した企画や連載をまったく知らない人は少ないだろう。

東京大文学部宗教学科を卒業して1976年に平凡社に入り、雑誌「太陽」で編集を担当した。当時「太陽」の編集長をしていた嵐山光三郎さんと「青人社」の創設に加わり、月刊「ドリブ」を創刊、3代目の編集長を務め、嵐山さんの知り合いの著名作家に加えてサブカル系のライターを起用し、篠山紀信さんの写真も話題となって部数を伸ばした。その後、扶桑社で雑誌「SPA!」を創刊し、編集長として連載を始めた小林よしのりさんの連載「ゴーマニズム宣言」は社会的関心を呼んだ。次に創刊した「月刊PANJA」では「孤独のグルメ」の連載を手掛けた。

さらに、アスキー社で「デジタルとアナログの融合」をキャッチフレーズに「週刊アスキー」を創刊。1998年に本コラム掲載の「J-castニュース」を運営するジェイ・キャストの草創期にかかわり、中央公論新社で「婦人公論」の編集長を務めた。

2004年に大正大学に招かれ、新設した表現学部で出版編集コースのコース長として教鞭をとりながら、国際交流基金の雑誌「をちこち」編集長や、年刊「宗教と現代がわかる本」(平凡社)の責任編集者も兼務。2015年からは雑誌「地域人」編集長を務めている。

百科事典で名高い出版社の老舗雑誌から、サブカル系、コンピューター雑誌、女性雑誌まで。その歩みはジェットコースターのように目まぐるしいが、時代の先端を読んで、世間の『空気」をかたちにするという点で、驚くほど一貫している。コロナ禍の時代は、渡邊さんの目に、どう映っているのだろう。

通常の月刊の発行日を延ばし、代わって特別号の発行を決めたのは4月末、感染拡大で大学が閉鎖された時期だった。大学側から「このような時期だからこそ、地域構想研究所の総力を挙げて取り組めないか」という打診を受け、直ちに発行を決めた。

その素早い対応の裏には、2011年の東日本大震災の体験があった、という。仏教系の大学として、大正大の教員と学生は、天台宗・中尊寺に近い沿岸の宮城県南三陸町にボランティアとして入り、復興支援に取り組んだ。渡邊さんはその活動を「3・11大震災 大学には何ができるのか」(平凡社)にまとめ、出版した。

その後、大学が援助し、南三陸町の有志が研修施設「南三陸まなびの里いりやど」を建設し、同大は「私大ネット36(さんりく)」という組織の結成を呼び掛け、「いりやど」を拠点に学生が震災体験や復興を学び、研修する息の長い活動を続けてきた。

2016年にできた地域創生学部は、1学年に100人前後の学生が所属しており、1年と3年時には全国11か所の実習地、90前後の提携自治体の協力を得て、全国各地に10人前後が分散して約2か月間住み込み、地域の歴史や暮らし、実態を学ぶことになっている。大学のある東京・巣鴨全体をキャンパスに見立て、地域のお祭りに参加したり、地元商店街に東北、京都、北宮崎の産品を売るアンテナ・ショップ「座・ガモール」を開くなど、学生参加型の実習に力を入れてきた。卒業生には、地方で就職するよう奨励するなど、地方創生の発信やサポートの拠点となることを目指してきた。

特別号は養老孟司さんがZOOMで参加する形で渡邊さんと、元環境省自然環境局長の小野寺浩・地域構想研客員教授が巻頭で鼎談した記録を載せ、「新型コロナと防災・減災」「新型コロナで見えてきた問題と可能性」「ローカルの時代」「地域人材の育成」という特集を連ねた。

鼎談の中で養老さんは、「目線」という言葉を使って、コロナ禍の現状を説明している。

養老さんは、感染者数などの統計は「神様目線」であり、上から眺めている限りはリアリティがない、という。これに対し、「日常目線」は文学にあるとして、カミュの「ペスト」を引き合いに出す。

「上から下ろすか、下から上げるか。下から見る、つまり文学目線でものを見るとニーズが見えてくるんです。グローバリズムというのは上から目線ですよね。日常生活の目線が消えてしまい、統計数字で見れば、平時に医療を充実させることはない。震災の対策みたいなことを当然考えません」

養老さんは、専門家同士の会議に官僚や政治家が加わった時に、目線の違う人たちを集めても、話はかみ合わないだろう、という。その一例として養老さんが挙げるのは新型コロナウイルスのイメージ画像だ、その画像は実寸を100万倍に拡大したものだ。その画像の横に立っているアナウンサーを100万倍に拡大すれば、身長は1千キロを優に超える。

「100万倍の大きさで目で見た世界で考えると、ウイルスとアナウンサーが並ぶんだったら、日常から1千キロのことを考えながら生活しなければならない」

ここでの養老さんの指摘は、新型コロナを語るときには、どういう視線で、どのレベルで語るのか、その違いを明瞭に意識していなくてはいけない、ということだろう。100万分の1を日常的に扱う感染症対策の専門家と、100万倍の世界を考える立場では、当然見方が分かれる。100万倍に拡大したウイルスのイメージ写真の脇でアナウンサーが説明しているのを見て、私たちはその「共存」に疑問を抱かず、問題を「理解」していると思いがちだ。しかし、実はその問題がいかに「理解できないか」を意識することの方が、コロナ禍に向き合ううえで遥かに重要だ、という指摘だろう。

渡邊さんは8月10日発売号の「地域の暮らしはどうなるか」で、建築史家の藤森照信さんにインタビューをして巻頭に掲げた。

その中で藤森さんは、世界の都市建築を研究してきた結果、人類は有史以来、経済都市では一貫して「過密」を形成してきたことを知った、という。「コロナ禍後、その歩みは変わるのか」という渡邉さんの質問に対し、藤森さんは次のような印象的な答えを返している。

「コロナ以降、変わるとは思うけど、分散化という形にはならないんじゃないかな。行ったり来たりになるかもしれません。行ったり来たりだと、分散しているわけではないんですよね。あらゆる変化が、すでに小規模に起きていたことが一気に加速化するという感じです。コロナ以前からすでに起きていたことが、一気にバーッと加速するということだと思います」

今年で創刊5年になる雑誌で地方の動きを見守ってきた渡邊さんは、「すでに小規模に起きていたこと」について、次のように言う、

「この5、6年、若者たちの意識が変わってきた。いったん社会に出て就職した人が、20、30代で価値観を変え、地方に住みたいと思う人が明らかに増えた」

地方移住の動機はさまざまだ。外資系コンサルタントの会社に就職した人が、仕事に飽き足らなくなり、社会貢献をしたいと帰郷したケース。食の安全や環境に関心が高く、「持続可能」な社会の一員になりたいと、首都圏でも自然の豊かな地方に移住したケース。さらに子どもを豊かな自然環境のもとで育てる「森のようちえん」に通わせるため、地方に移住するケース。

そうした例に加え、渡邊さんは、この数年、緩やかに地方とかかわる人が増えてきたことに注目する。

「以前は、地方に移住するには、祭りと消防団への参加が欠かせない、と言われた。そうしないと地域に溶け込めない、と。しかし、練習が厳しい体育系の運動部は嫌だが、同好会なら入れるという人がいるように、移住はしないまでも、2拠点を持って時々長期に滞在するとか、観光客とは違ってリピーターになり、地域のファンになるといった例が増えている」

さらに、実際に地方には住まないまでも、金銭面や購買で地方を支援したい、という人は着実に増えたという。

「今回のコロナ禍で、飲食店への卸しができない地方の特産品を、ネットで販売し、消費者が中抜きで産地と結びつく回路が役に立った。ふるさと納税も、返礼品を目的とするのではなく、応援したい自治体が、子育て支援や環境保護に使うことを求める動きも出ている。今回注目されたクラウドファンディングも、人の挑戦や夢の実現を大勢で支援する試みだ。寄付文化が根付かないと言われたこの国の風土が、変わりつつあるのを感じている」

こうした小さな潮流は、コロナ禍でも、まだ目だってはいない。しかし、従来型の需要喚起型の景気浮揚策の効果が上がらず、なかなかインバウンドが回復しないとなれば、将来の「アフター・コロナ」で大きく成長する可能性がある。

「そうした全国各地の小さな芽は、今回のコロナ禍で、持続可能な社会を目指す動きにつながっていくかもしれない。日本は75年前の原爆投下で核兵器廃絶を、2011年の福島第一原発事故でエネルギー政策の転換を世界に訴えるチャンスを得たが、それを活かしきれてこなかった。今回のコロナ禍は、ある意味では、持続可能な社会に転換する最後のチャンスなのかもしれない」

今回のコロナ禍で、政府の施策があまりに遅く、しかもちぐはぐなことに、憤る人は多い。だが、「文句をいう」ことは、ある意味では依存していることにつながる、と渡邊さんはいう。

「自立を目指す若い世代を少しでも支え、応援する。そんな立場から、今後もポスト成長社会や地方自治などのテーマに取り組むつもりです」

いつも時代の先端に身を置き、その空気を形にしてきた渡邊さんは、今また「地方」という時代の最前線に立っているのかもしれない。

ジャーナリスト 外岡秀俊

●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。