私が『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)という本を著したのは、2007年のことだった。
 1991年から国が旗を振った「大学院重点化政策」によって、大学院生の数はそれ以前の約3倍にまで膨れ上がっていた。「欧米に伍する研究者数の確保と研究レベルの実現」という大義が掲げられ、推進された政策の結果、たしかに修士号や博士号を有する人材は増えた。だが、副作用も強かった。

 我が国の企業が新卒一括採用の方式を崩さないなか、大学院にまで進学した者たちはその枠組みからは完全にはみ出ていた。博士号取得者に至っては、もっとも若くて27歳になるため、もはやどの会社からも相手にされない。「末は博士か大臣か」というように、かつては立身出世の代名詞だった博士様も、こうなっては形なしである。

 彼らの就職先は限定的で、民間はまずダメ。そうなると残るは大学の教員ポストということになるが、ここに大問題があった。アカデミア業界は現在においても、未だに終身雇用がまかり通っている世界なのである。そのため、雇用に関しては構造的な問題を抱え続けている。上がつかえていて若手研究者に専任教員ポストが回ってこないのだ。その結果、40代になるまで非正規雇用が当たり前といった環境ができあがっている。

「そりゃ、ないよ」という思いがあるが、私は、この問題はきっとうやむやになって終わるだろうと考えている。その根拠として大きく3つのことを挙げておきたい。

(1)すでに、かつて「高学歴ワーキングプア」の渦中にあった当事者たちは初老の域に達している。残念ながら彼らは社会的な力を持ち得ない状況がずっと続いた。そんななか、自らの苦境をアピールする機会をつくる気力すら萎えつつある。
(2)一方、現在渦中にある若手研究者には情報が行き届いており、十分な覚悟を持ってこの世界に入っている。メンタル面でのマイナスの影響なども以前よりは小さいだろう。すなわち、ここから大きな声があがることもなかろうと想定される。
(3)そもそも、本件は政治マターになりづらい。

 以上のうち、とくに(3)は重要である。大学人には権力に懐疑的な目を向ける者が少なくない。知識人・文化人の倣いかもしれないが、だからこそ「そういうところにあまり発言権を強められてもな〜」と危惧するところも出てくる。大学人は、そんなふうに煙たがられることも多いからこそ、行政の審議会などの委員には、味方をしてくれる数少ない教授たちを引き入れようとするケースが散見されるのだろう。すると業界の一部からはすぐに御用学者などと後ろ指をさされたりするわけだが……。

 結局、大学現場における諸問題は、政治マターとして取り上げようという力が働きにくいということである。うるさがたが多い我が国の高等教育の場ではあるが、さりとてあまり小さくなりすぎるのも困るわけで、要はいまくらいでボチボチ研究と講義なんかをしておいてくれればちょうどいいよ、ということなのだろう。

 それと同時に、もうひとつ突かれたくない事情というやつが背景にある。時の政権などに対して建設的批判精神を有するはずの、立派な先生方で占められるこの業界ではあるが、彼らも脛に傷を持つ身であった。「高学歴ワーキングプア」問題は、大学院重点化計画に端を発していることは指摘した通りだが、現場で旗を振ったのも実はこの先生方であったのだから。

 それまで大学の付属のような存在であった大学院に関して、世界に伍する研究環境を整えるという名目でその重点化に舵が切られた際、うまくやれたところには多少の予算がついた。結果、少子化による学生数減がもたらすもろもろの影響(とくに、当面の雇用維持など)も先送りして考えることができるようになった。増えた大学院生が、減少分の穴埋めとなったからだ。若者を犠牲にする形に飛びついたのは、良識派が占めていたはずの現場であった。先の見込みもないというのに……。

 うぶな学生たちの多くが、信頼している指導教授たちから大学院に進学リクルートされてしまうと、当然のように出口での就職問題に直面することとなる。出ても就職がない、となれば、出るに出られない。「長期入院患者(大学院に長期在籍する人々が自虐的に使う表現)」になるしかないが、これを仕立て上げたのは誰あろう、当時の教授たちであった。その方々も、しかしもう定年で退官となる。

 そういうこともあって、もしかしたら誰よりもこのままうやむやになってくれればよい、と願っているのはそんな先生方であるかもしれない。

 以上、水月昭道氏の新刊『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』(光文社新書)をもとに再構成しました。『高学歴ワーキングプア』刊行から13年。研究者であり僧侶でもある著者が、紆余曲折ありながらも辿り着いた境地とは?

■『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』詳細はこちら