明智光秀を演じる長谷川博己 (c)NHK

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「明智光秀を通して、時代の過渡期を描くというテーマがあります。現代にもつながる大河ドラマになると思います」

【写真】明智光秀を演じる長谷川博己、ドラマ打ち上げで見せたスタイリッシュな私服姿('17年)

一本気な話は今の時代に合わないのでは

 そう力強く話すのは、『麒麟がくる』で制作統括を務める落合将チーフ・プロデューサー。大河ドラマの王道ともいえる戦国時代という舞台設定に加え、これまで脇役として描かれることの多かった明智光秀を主役に据えた本作。「なぜ光秀だったのか」と尋ねると、「光秀ありきでスタートしたわけではなかった」と明かす。

「原点回帰ではないですが、戦国時代の群像劇をやりましょうという思いが出発点としてありました。室町幕府が崩壊していく中で、旧時代的なシステムが機能しなくなったとき、新たな若者たちが支えていく。それは今の時代にも言えることなのではないかと。そういったテーマがある中で、誰の視点で描けば群像劇として魅力的になるかと考えたときに、メインの脚本を担う池端(俊策)さんとともに、“明智光秀がいいのではないか”となりました」

 光秀の名前が、歴史の表舞台に現れるのは、織田信長の家臣となった40歳を過ぎてからとされている。青年期の光秀が、どのような人生を歩んでいたのか完全に明らかになっていない点も追い風になった。

「豊臣秀吉のように何もないところから自分の力だけで成り上がっていく話や“日本を変える”といった一本気な話は今の時代に合わないのではないかと池端さんとお話ししました。現代はそういった物語に対して、視聴者が嘘くささを感じてしまうというか。ドラマとしては、ひとりの人間が世の中を変えていくほうが作りやすい。ですが、われわれはそういった物語を作りたくなかったんですね」

『麒麟がくる』の序盤では、光秀が主君・斎藤利政(道三)の密命を受け、尾張に潜入したり、鉄砲の作り方を調べたり東奔西走する。その姿は、さながら上司に命じられて仕事を覚え、存在感を増していく新入社員のようだ。

「意志は重要ですが、世の中はそれほど甘くはありません(笑)。人間は、成り行きで生きているところのほうが大きいと思うんですね。例えば、“これをやりたい”と強い意志を持っていたとしても、会社や組織によって左右されるところが多分にある。ドラマの中でも、光秀はやや受け身で動いていきます。美濃の国の中で自分ができることをやる。とても現代的なリアリティーに満ちた主人公だと思っています」

 たしかに、与えられた環境の中で、できることを精いっぱいこなすというのは、序盤とはいえ大河の主人公像として新鮮だ。また信長や秀吉に比べるとキャラクター像が確立されていない光秀だからこそ自由がきくところもある。過去、若い時代の光秀を演じた俳優は大河ドラマ『国盗り物語』('73年)の近藤正臣など数名。手つかずのキャンバスに、演技派・長谷川博己がどんな光秀カラーを描いていくのかにも注目が集まる。

「『シン・ゴジラ』もそうでしたが、長谷川さんには正義感や透明感を一直線的に出せる魅力があります。池端さんが気にしていたことのひとつに、若い時代の光秀の“病んでいなさ”があります。というのも、斎藤道三や織田信長など光秀の周りは病んでいる人たちばかりです(笑)。みな、戦のない世の中を実現したい。だけど、そのためには戦わなければいけない。そういった病んでいる時代感の中で、長谷川君だったら“病まない光秀”を演じることができると期待しています」

 今回は、初回から最後まで長谷川博己が光秀を演じるとあって、幼少期時代の光秀を演じる子役は登場しない。少し寂しいところだが、「まだ竹千代(のちの徳川家康)を演じる岩田琉聖くんが登場しますので、お楽しみにしていただければ」と落合CP。

黒澤明を意識したOP
鮮烈な衣装にも意図が

 原点回帰を意識したという今回の大河。

「中島丈博さん、市川森一さん、ジェームス三木さんといった名だたる脚本家が大河ドラマを手がけていた時代の“群像”大河ドラマを、2020年に作りたいという思いもあって、池端さんに脚本をお願いしたという経緯があります」

 クラシックかつ王道感のある演出は、どこか『独眼竜政宗』('87年)を彷彿(ほうふつ)とさせるオープニング映像などからも受け取れる。なんと、「黒澤明監督の戦国映画を意識した」というから驚きだ。

「王道の大河を表現するために、“ズンズン”と重低音で迫ってくるオープニング音楽にしたかった。また、スケールの大きいハリウッド映画のようなテイストも含ませたかったのです。作曲を担当するジョンは、歴史好きで日本史にもくわしいので適任でした」

『アバター』などの予告編音楽も手がけたジョン・グラムは、ハリウッドの第一線で活躍する現役バリバリの作曲家。彼が手がけた音楽に、たった12カット(!!)しかない映像、そして重厚感が漂う字体が重なることで、世界のクロサワのようなワクワクとゾクゾクが詰まったオープニングができあがった。

 クロサワと言えば、本作で衣装を担当する黒澤和子さんは、黒澤明監督のご息女。時代考証に基づいているとはいえ、カラフルなデザインは、大河ドラマでは初となる4K放送に対応していることもあって、「目がチカチカする」など賛否を巻き起こしたのは記憶に新しい。

「まだ4Kで作り始めたばかりですから何が正しくて、何が正しくないのか、われわれも手探りなところがある」としながらも、鮮やかな衣装には次のような意味合いもあるとか。

「最初こそ合戦シーンなどロケが多いですが、6話目以降から屋内のセットシーンが増えていきます。建物自体は地味な色調ですから、主要登場人物が地味な衣装を着ていると誰が誰だかわからなくなるのではないかと(苦笑)。光秀は緑、信長は黄色という具合に、衣装で人物を識別しやすくするといった意図もあります」

 2010年の大河ドラマ『龍馬伝』の放送当初も、「埃(ほこり)だらけで汚い」と論争を巻き起こした。しかし、フタを開ければ、その年の年間ドラマ視聴率1位(24・4%)を奪取。むしろ、ドラマの本筋とは関係ない箇所に焦点があたるというのは、それだけ関心度が高い証左ともいえる。

 朝倉義景役のユースケ・サンタマリアをはじめ、『越前編』から登場するキャストも発表されたが、今後の見どころを挙げるとしたら何だろうか? 

「ひとつだけ言えるのは、信長家臣団がチームワークを駆使して何かを切り開いていく……というような方向性ではなく、室町幕府の崩壊という点に大きなテーマが当たります」

 池端さんは、室町時代の成り立ちを描いた『太平記』('91年)で脚本を務めた。『麒麟がくる』では、室町幕府のフィナーレに着目してほしいと語る。

「いつの時代もそうだと思うのですが、頭の固い前時代的な人がいて、そういった人間が旧態依然とした中で物事を決めていく。そこに気鋭の若者が現れて、古いシステムと戦い変えていく──。その急先鋒に光秀がいます。荒んだ世の中を終わりにしたいという思いは、足利将軍家も松永久秀も信長もみんな思っている。その群像の中で、光秀がどんな行動を取るのか、その姿をお楽しみいただけたら」

 麒麟とは、王が仁のある政治を行うときに必ず現れるという聖なる獣。荒んだ世の中に、いかにして麒麟は現れるのか。今後もドラマから目が離せない!

(取材・文/我妻アヅ子)