睡眠薬で高齢者を「寝かせきり」病院・施設の闇
「患者を落とす」という驚愕の事実がある(写真:SARINYAPINNGAM/iStock)
医師から処方される薬剤が原因で、生気がなくなったり、落ち着きを失ったり、認知機能が低下したりする高齢者が数十万人に及ぶかもしれないとしたら信じられるだろうか。
これを「薬剤起因性老年症候群」と呼ぶが、高齢者にとって人生総決算の大切な時期に普段の自分を見失うことは、いわば尊厳を奪われるに等しい。注意を要する薬剤を適正に使っていない点では、まさに「薬害・廃人症候群」と呼ぶべきだろう。計3回の短期集中連載の第1回「認知症の数十万人『原因は処方薬』という驚愕」(2020年1月22日配信)に続き、この問題を掘り下げる。
特別養護老人ホームに勤務する50歳代の女性看護師Aさんから、衝撃的な言葉を聞いた。
「患者を落とす」
この連載一覧はこちら
患者をおとなしくさせるために、睡眠薬・抗不安薬であるベンゾジアゼピン系薬剤を使って鎮静化させることを、職場でこう呼んでいるというのだ。
「意識のレベルを落とす」からきた隠語らしい。動き回る患者について、介護スタッフから看護師に伝えられ、看護師から依頼された医師が睡眠薬であるベンゾジアゼピン系薬剤を処方する。このことで高齢者を「落とす」のだという。
約100人の高齢者が入居するAさんの特養ホームでは、夜中に徘徊したり、点滴を外したり、さらには暴言や暴力をふるう高齢者もいる。夜勤帯ともなれば、当直の介護士1人で30人前後の面倒を見なければならない。定時の見回り、おしめ交換、床ずれ防止のための体位交換――。入居者の容態が悪くなれば、休憩時間もなくケア業務に忙殺される。
そんなときに夜中に歩き回る入居者がいれば、できればおとなしく眠っていてほしいと願うのが介護士の本音だろう。歩き回って転倒して骨折でもしたら、病院だけでなく介護士の責任も問われかねない。
以前に勤めていた病院で精神科疾患の患者に関わったことのあるAさんは、ベンゾジアゼピン系薬剤の危険性をよく知っていた。この特養にきてからも副作用で昼間でもトローンとした意識状態になって、立ち上がることはおろか、車いすにも満足に座れなくなってしまう入居者がいる。会話もできず、明らかに認知機能が落ちている。特養で安易に使われている実態に、疑問を感じていた。
おとなしくさせるためのベンゾジアゼピン系薬剤
Aさんが担当している入居者に80歳代の女性がいた。食事中は机に突っ伏すように背中が曲がり、前かがみになってしまう。手が震えてスプーンもうまく扱えない。ベンゾジアゼピン系薬剤の副作用だと感じていた。看護師が医師に意見することはご法度だが、入居者の状態を見ていられなかった。
「この人に睡眠薬、本当に必要ですか?」
そう嘱託医に伝えると、ベンゾジアゼピン系薬剤の処方を減らしてくれた。しばらくして、座る姿勢がよくなってきた。スプーンで食事ができるようになり、車いすも乗りこなす。ほとんどしゃべれなかった女性が、日常会話ができるまでに回復した。
「薬剤を中止していなかったら、ウトウトしたままで人生を終わっていたはず。入居者の立場に立つと、とても心苦しい」
Aさんの勤務する特養には、ベンゾジアゼピン系薬剤などによって過鎮静に陥った高齢者が「2割、あるいは3割以上いるかもしれない」と話す。だが、この施設に勤務して間もない彼女は異論を唱えることができない。古参スタッフとの間で角が立ちかねないからだ。
ベンゾジアゼピン系薬剤によって過鎮静や認知機能の低下を招く危険性を知らない医師が少なくないことは、「認知症の数十万人『原因は処方薬』という驚愕」(2020年1月22日配信)で報告した。
一方で、動き回る患者を鎮静化させるため、つまりは施設の管理のために処方することは、いわば“確信犯”といえる。私たちには、これが薬剤を使った虐待に映る。服用しても副作用を招かない患者もいるが、それは偶然にすぎない。ひとたび過鎮静や認知機能の低下などを招いてそのまま放置されれば死期を早めることさえある。人生の最終章を迎える高齢者にとって、尊厳に関わる問題だ。
抜いたら安らかな日常が戻る
高齢者がベンゾジアゼピン系薬剤によって「薬剤起因性老年症候群」に陥るケースは、いろいろな医療施設で聞くことができる。関東の療養型病院に勤務する40歳代の男性職員Bさんは、病院の薬剤の使い方に疑問を持ち続けている。
80歳代の女性患者は、院内で転倒して腰椎を骨折してしまい、別の病院で治療を受けた後に戻ってきた。認知機能は落ちていたが、リハビリに励んで歩けるようになり、職員のためにマフラーを編むほどの回復ぶりをみせていた。だが動けるようになると、今度は転倒して骨折しかねないと、睡眠薬が処方された。
間もなく日常生活での意欲が減退し、話す内容も支離滅裂に。車いすに座らせても体が傾き、食べてもよくむせるようになった。面会に来た家族も動揺するほど変わり果て、やがて寝たきりになってしまった。
「患者をダラダラの状態にして管理するために睡眠薬が使われている。身体拘束と何ら変わらない」
患者の身体拘束が問題になって久しいが、患者をベッドに拘束する代わりに、薬剤によって鎮静化させる事実上の拘束は、多くの病院で行われているようだ。ネットなどでは「ドラッグ・ロック」(薬剤による拘束)という言葉も散見される。
全日本病院協会は「身体拘束」の定義に、患者の手足を縛るなどの拘束に加えて「向精神薬の多剤併用」を挙げている。向精神薬とは精神・神経に作用する薬剤の総称だ。このドラッグ・ロックのために、主に使われるのがベンゾジアゼピン系薬剤なのだ。
疲弊する現場が“拘束”を促す
その全日本病院協会が2016年に公表した「身体拘束ゼロの実践に伴う課題に関する調査研究事業」によると、向精神薬の多剤併用は施設全体の27.3%が「実施することがある」と回答している。なかでも、急性期を含めた一般病棟に限れば、これが58.6%に上る。患者の身体拘束が問題視されたことが、ベンゾジアゼピン系薬剤の大量使用に結びついているとしたら本末転倒だ。
こうした薬剤による身体拘束が横行する背景に、人手不足がある。厚生労働省所管の福祉医療機構の2018年度調査によると、特養ホームの72.9%が看護師や介護スタッフが足りず、このうち12.9%は人材不足で利用者の受け入れを制限しているほど深刻だ。
国の方針で入院患者の在院日数短縮が進められているが、その一方では1人の看護師が担当する患者数は増え続けている。療養型病院や高齢者施設では、治療が必要な患者まで受け入れなければならなくなっているほどだ。疲弊している医療・介護現場に、ベンゾジアゼピン系薬剤による事実上の身体拘束は問題だ、と突きつけたらどうなるか。その答えを誰も持っていないところに悲劇はある。
1960年代に開発されたベンゾジアゼピン系薬剤は、欧米などでは副作用が問題となり注意喚起されてきた。日本老年医学会が、「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」のなかで、過鎮静や認知機能や運動機能の低下などを「薬剤起因性老年症候群」と名付けて注意を呼びかけたのは2005年だ。2015年には、その改訂版を公表している。
ところが、薬剤の安全性を担う厚労省が、この問題に取り組み始めたのは2017年だ。学会のガイドラインでの指摘からも12年もの時間が経っている。高齢者医療の「ポリファーマシー」が取り沙汰されていることをきっかけに、その対策を協議するために「高齢者医薬品適正使用検討会」が2017年4月に設置された。
ポリファーマシーとは、多くの薬剤を処方しているために副作用などが起きやすくなっている状態のことを指す。高齢者は複数の診療科を受診することが多いから、薬剤の種類も増えていく。6種類以上の薬剤を服用していると、有害事象の割合が高くなるという研究もある。
検討会の第1回目の会議で、プレゼンテーションに立ったのが神戸大学医学部の平井みどり名誉教授だ。1年にわたって高齢者への処方の検証作業を実施したところ、修正(薬剤の変更や減量、中止)が必要だったのはベンゾジアゼピン系薬剤が最も多かった。安易な処方を防ぐために病棟からベンゾジアゼピン系薬剤を撤去したことを報告し、「高齢者のベンゾジアゼピン適正使用が望まれるということを強調したい」と訴えた。
厚労省は2019年5月、検討会での議論をまとめ「高齢者の医薬品適正使用の指針」(総論編)を公表した。この指針のなかに「薬剤起因性老年症候群と主な原因薬剤」の一覧表がある。「ふらつき」「記憶障害」「せん妄」など7つの副作用カテゴリーのうち、6つに原因薬剤として「睡眠薬・抗不安薬」が入っている。睡眠薬・抗不安薬のほとんどがベンゾジアゼピン系薬剤で、その副作用が深刻であることを示している。
危険性が伝わらない添付文書
私たちは、ベンゾジアゼピン系薬剤の添付文書に問題があるのではないかと考えた。
添付文書は薬剤ごとに作成され、臨床試験段階の客観的な有効性・安全性情報が掲載されている。医師が最も注意を向ける薬剤の基本文書だ。製薬メーカーと厚労省が相談して作成し、新たな安全性情報があれば、改訂されていく。
この添付文書に危険性が十分に記載されていれば、専門外の医師の目にも留まるはずだ。
よく使われているベンゾジアゼピン系薬剤の添付文書を見てみる。「効能・効果」や「用法・用量」などの次に「使用上の注意」の欄がある。ここに高齢者への投与に関する注意事項が記載されている。
例えば、2017年度に院外処方で最も多く使われた「ソラナックス」の添付文書を見てみる。「使用上の注意」の冒頭に「慎重投与」とある。その6番目に「高齢者」が挙げられ、「『高齢者への投与』の項参照」と誘導している。その欄をたどってみると、わずか2行。
「高齢者では、少量から投与を開始するなど慎重に投与すること。[運動失調等の副作用が発現しやすい。]」
ベンゾジアゼピン系薬剤の添付文書。高齢者への投与については、簡潔すぎる記述だ。これでは、医師や薬剤師はその危険性に気づかない(筆者撮影)
どの添付文書にも、学会のガイドラインで注意喚起された「過鎮静」や「認知機能の低下」などの文字はない。副作用に見舞われたら、自分を失って死期を早めてしまう可能性があるという危機意識は、この表現からは感じられない。
添付文書の冒頭に【警告】欄をつけて「高齢者の場合は、過鎮静や認知機能低下、運動障害などが発現するとの報告があるので、高齢者への投与は慎重に検討すること。使う場合は、患者や家族に危険性を知らせ、経過観察を怠らずに」などとする一文を盛り込むことはできれば、専門外の医師の目にも届くはずだ。
私たちは厚労省の医薬・生活衛生局医薬安全対策課に、添付文書の情報が不十分ではないかと、疑問をぶつけてみた。花谷忠昭課長補佐の回答をまとめると、こうだった。
「適正使用につなげるためには、いろんなツールがある。学会のガイドライン、職能団体のガイドライン、国が出すガイドライン、メーカーからの情報提供もあり、そのなかに添付文書もある。各ツールで得手不得手があり、目的に応じて使い分けていけると思っている。添付文書の改訂を必ずしなければならないとは思っていないが、エビデンスがあれば当然する」
要するに添付文書を変更するには、「エビデンス」が必要だという。臨床試験や研究によって得られた「質の高い」データのことのようだ。ベンゾジアゼピン系薬剤による過鎮静や認知機能の低下を裏付ける研究・試験結果がないと、添付文書は変えられないということらしい。
最高レベルの注意喚起も厚労省はスルー
日本老年医学会の2015年のガイドラインには、ベンゾジアゼピン系薬剤を「可能な限り使用を控える」と結論づけた根拠として海外の基準や論文を挙げたうえで、そのエビデンスの質については最高の「高」とランク付けし、推奨度についても「強」とした。いわば最高レベルの注意喚起にもかかわらず、厚労省はこれらの根拠を「エビデンス」とはみなさないらしい。
日本老年医学会がベンゾジアゼピン系薬剤の危険性に警鐘を鳴らし続けてきたのは、高齢者に日々接している専門医としての危機感の表れだ。にもかかわらず、添付文書の改訂に難色を示す厚労省の姿勢は、私たちの危機感とは大きな乖離がある。
ここで断っておかねばならないのは、ベンゾジアゼピン系薬剤を闇に葬ることが私たちの目的ではない。むしろ逆なのだ。
服用しても副作用を発現しない患者もいるし、その効能に生活を支えられている患者も多い。注意深く経過観察すれば副作用は最小限に抑えることができる。薬剤を潰すのではなく、危険性を伝えるべく最大限の情報収集・伝達を徹底する必要がある。添付文書はそのための重要なツールで、適正使用は薬剤を生かすための命綱だと考える。
一方、この問題を突き詰めていくと、超高齢化社会に対応できないでいる日本の医療のひずみが見えてくる。
薬剤で事実上の拘束を禁止したら、どうなるか。おそらく医療現場はパニックに陥るだろう。人手不足や骨折の危険性を回避するためには、患者を自宅に引き取ってほしい、ということになりかねない。
家族での介護は、想像以上に大変だ。老老介護となって共倒れになる可能性がある。子どもが同居していたとしても、仕事を抱えながらの介護は難しい。薬剤起因性老年症候群を解決しようとすると、私たち社会にパンドラの箱を突きつけられていることに気づく。
(第3回に続く)