軍傘下の農場を現地視察した金正恩氏(2019年10月9日付朝鮮中央通信より)

中国では、改革開放が本格化した1980年代以降、より良い暮らしを求めて多くの農民が農村を出て都会に働きに出た。その数は2億5000万人(2011年国家統計局調べ)を超えている。その膨大な数の労働力が、労働集約型産業を底辺で支え続けてきた。

居住移動の自由がない点では中国と同じ北朝鮮でも、同様の現象が起こりつつあることはデイリーNKでも報道してきたが、国際社会の制裁や、度重なる自然災害に対応するだけの防災インフラが不足している現実のしわ寄せは、「より良い暮らし」ではなく「糊口を凌ぐ」ための、農民の出稼ぎとなって現れている。

平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えてきたのは、北朝鮮が誇る大穀倉地帯「十二三千里平野」にある道内の平原(ピョンウォン)郡の協同農場の実情だ。

情報筋によると、農民の間ではこんな話が交わされているという。

「一生を農業に捧げてきたが、手元に残ったものは何もない」 「私たちが今どういう暮らしをしているかを見ればわかるだろう」 「手遅れになる前に金でも掘り出そう」

コメを確保しようと農場から強引に持ち去る軍と、奪われまいと抗う農民の間でトラブルが頻発している。田畑で1年間、汗水たらしてようやく手にした収穫のほとんどを奪い取られるような状況で、食い扶持に困った農民たちが、次々と村を後にしているというのだ。その行き先は、砂金の採れる川だ。

平原にほど近い檜倉(フェチャン)、雲谷(ウンゴク)、平壌郊外の順安(スナン)区域などは、昔から砂金が採れることで知られている。

当局から禁止されることもなく、シャベルとふるいなど簡単な道具さえあれば誰にでもできる。一方、他の商売をするには元手が必要で、生き馬の目を抜くような状況でサバイバルしてきた商人たちとの競争も強いられる。作物を育てることしか知らない北朝鮮の農民には、とてもできることではない。

そして、農場の仕事をほったらかして砂金採りに行った人の収入が、農場に残って畑仕事をしていた人よりも良いことが知れ渡った。ただでさえ借金でクビが回らなくなっている農民にとって、もはや行かない手はないだろう。

かくして、農場からは多くの人が去ってしまった。

情報筋が話を聞いた平原郡の農場関係者によると、秋の収穫と脱穀を行う時期には少しでも穀物を家に持ち帰ろうと出勤率が8割に達するが、収穫が終わった今では出勤率は3割にも満たない有様だという。

こうした無断欠勤は、北朝鮮では違法行為に当たる。一部では、都会に働きに出た農民を強制的に連れ戻す農場もあるようだが、この平原の農場は農民を諌めることすらできない。

軍に収穫を持ち去られ、春に高利貸しから農機具などの購入用に借りたカネを返せば、農場に残った穀物は雀の涙ほど。農民に「収穫物を分配するから安心して帰ってこい」とはとても言えないのだ。

政府は「農民は国の米びつの主たれ」などと言って農民を農場に縛り付けてきたが、「農作業をしないからと批判される程度なら、餓死するよりはるかにマシ」と考え、次々に農場を後にしている。若者の姿は見えず、残っているのは老人と子どもばかりだ。つまり、若い夫婦は年老いた親に子どもを預けて都会に働きに出るという中国で見られる図式と同じ状況となっている。

他の国なら、減少した農村人口を機械化で補うところだが、慢性的な燃料不足にさいなまれる北朝鮮にそんなオプションは絵に描いた餅だ。