宮川一朗太、憧れの松田優作を思いっきりビンタ!ひっぱたいた後、「お前、痛かったぞ」
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16歳のときに森田芳光監督の映画『家族ゲーム』(1983年)の主人公に抜てきされ、俳優デビューを飾った宮川一朗太さん。
日本アカデミー賞優秀新人賞を受賞し、ドラマ『半沢直樹』(TBS系)をはじめ、善人から一癖も二癖もあるワルまで幅広く演じ分ける俳優としてテレビ、映画に多数出演。
マイケル・J・フォックスやクリスチャン・スレーターの声優としても知られ、CMなどのナレーションも担当。近年では漢検準1級の能力と得意のオセロをいかし、バラエティー番組『東大王』(TBS系)でオセ朗太として大人気の宮川一朗太さんにインタビュー。
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◆オーディションで落ちまくり…やる気の無いまま臨んだ『家族ゲーム』主人公ゲットの理由
東京都新宿区で生まれ、都内でも有数の進学校に通っていた宮川さんだったが、自分の意思ではなく勉強させられているということに反発をおぼえていたという。
「僕が通っていたのは『武蔵』という高校だったんですけど、当時は『麻布』『開成』『武蔵』という御三家でしたから、そのひとつに入ったがゆえに、なんとなくエスカレーターに乗っているという感じだったので、それに反発したんですよ。
周りはみんな相当頭が良い連中で、東大、京大、一橋など、とにかく有名国立大学に行って、役人、医者、弁護士…そんな感じでね。『一度きりの人生だから、ちょっと面白いことをやってみたいな』と思って」
−それは高校に入ってからですか?−
「中学の頃からそういう思いは漠然とありましたね。実際に動いたのは高校に入ってからなんですけれども。
中学2年か3年のときに、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の最初のシリーズが放送されて、大変な話題と人気になったんですけれども、そこに僕の小学校のときの同級生が出ていたんですよ。
彼はもう小学生の頃から、しょっちゅう早退して仕事に行ってたんですけれども、いつの間にか転校しちゃったんですね。それで中学生になってテレビを見たら、金八先生に出ているじゃないですか(笑)。
それが僕のなかでは非常に刺激的で、『役者という仕事も面白そうだな』って思って。役者になれるかどうかなんてことは全くわからないですけど、『お芝居っていうのも楽しそうだなぁ』って思ったのが最初ですね」
−それで高校に入ってから劇団に?−
「そうです。僕が入ったのは『東京芸術学院』というところだったのですが、第1期生だったので、変な色がついていないというのが一つと、先生方が従来の教え方ではなくアメリカ的な教え方をする先生が多かったんですね。
多かったといっても5、6人なんですけれども、そのほとんどの方が割と自由な演技の気持ちとか感情の表現、そういうことからやっていくんだということを言ってくれたので、僕は1度も滑舌(かつぜつ)のレッスンをやったことがなかったんですよ。そういうのはいらないって言われました。
そんなものは後からついてくるものだからって。だから多くの劇団でやっている『外郎売(ういろううり)』だとか、『あめんぼ赤いな、あいうえお』だとか、そういう早口言葉とかは全くやらなかったです」
−『家族ゲーム』はオーディションですか?−
「そうです。それまでに10回ぐらいオーディションに落ちていたんですよ(笑)。なかには最終面接の2人に残ったのもあって、もう一人を見たら『こいつには負けないだろう』って思ったのに、そいつに負けて結構落ち込んで、『もう無理だな。役者に向いていないのかな』って…。
そんなときに『家族ゲーム』のオーディションがあったものですから、全くやる気がなく、それまでさんざん落ちているじゃないですか。それが映画の、それもなんか面白くなさそうなタイトルの映画のオーディションということで、モチベーションが上がらないんですよね。
とりあえず、劇団から言われたから行って、適当に答えていたんですけど、そのやる気のなさが主人公のキャラにピッタリだったみたいで(笑)。監督がオーディションを受けたやつを思い返したら、『あいつ生意気だったなあ』って。だから、人生どうなるか本当にわかりませんね(笑)」
−主人公に決まったと聞いたときはいかがでした?−
「『ああ、受かっちゃったなぁ』って感じでした(笑)。森田芳光監督の名前も知らなかったですし、松田優作さんが決まったのは僕の後だったので。優作さんがもし先に決まっていたら、ものすごいやる気を出して落ちていたと思います(笑)」
※宮川一朗太プロフィル
1966年3月25日生まれ。東京都出身。1983年、映画『家族ゲーム』の主人公・沼田茂之役でデビュー。独特の存在感と演技力で日本アカデミー賞優秀新人賞を受賞。『人類学者・岬久美子の殺人鑑定シリーズ』(テレビ朝日系)、『THE LAST COP/ラストコップ』(日本テレビ系)、映画『武士の献立』(2013年・朝原雄三監督)などドラマ、映画に多数出演。マイケル・J・フォックスをはじめ、声優、ナレーターとしても活動。
一口馬主になるほど好きな趣味をいかした競馬番組のキャスター、バラエティー番組と幅広い分野で活躍中。9月6日(金)には映画『スタートアップ・ガールズ』の公開が控えている。
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◆松田優作に食らった本気のビンタは…
宮川さんが松田優作さんとの共演を知ったのはスポーツ新聞の記事だったという。
「優作さんの名前をスポーツ新聞で見てぶっ飛びました。あの頃の少年たちはみんな優作さんを通ってきているので。もう憧れの存在なんていうものじゃないですからね。学校の連中もそれまでは『お前何やってるんだよ』という感じだったのが、『あいつすげえ仕事やるみたいだぞ』って一気に変わりました(笑)」
−学校は芸能活動が大丈夫だったのですか?−
「非常に自由な学校だったので、全く問題なかったです。むしろ試験の最中とかに見回る先生がいちいち僕の顔を覗き込んで、『おお君か?』っていう感じだったので、『いい加減覗くのやめて下さい』って(笑)」
−進学校だけに勉強しながら撮影っていうのは大変だったのでは?−
「1番心配していたのは親じゃないですかね。僕はどちらかと言うと楽天的なところがあるので、『まあ、どうにかなるだろう』と思っていました。やっぱり、お芝居の魅力にすごく取り付かれていたので、ずっとやっていきたいという思いがあったんですよ。
僕の中ではやっぱり大学は行くにしても演劇を学びたいというのがあったものですから、早稲田の第一文学部の演技科に進むのが第一希望で、ダメなら日大芸術学部もあるなと思っていましたから」
−当時は日芸出身の映画監督や俳優が多かったですしね−
「そうですね。早稲田も結構いらっしゃるので、どっちかだなと思ってたんですよね。僕のなかではどちらかは大丈夫だろうなっていうのがあったので。親は多分東大とか国立に行って欲しかったと思うんですけど」
−ご両親は芸能活動に反対はされていませんでしたか−
「もちろん反対はありましたよ。最初の頃は部活みたいな感じで見てくれていたんですけれども、通い始めて2年ぐらい経った高校2年の夏休みぐらいには、親に『お前いい加減にしろ。とりあえず受験勉強しろ。そして大学に入ってからもう一回やればいいじゃないか』っていう話をされました。
でも、僕は『今じゃなきゃできないことがあるんだ』みたいな感じで、ちょっと意固地になっていたところもありました。せっかく劇団に入ったのに、何も仕事できずに一旦やめるなんていうのは僕も悔しかったですからね。
何の根拠もないんだけど、『なんかね、もうすぐ何かに受かりそうな気がするんだよね』って言って説得しました。その2カ月後に『家族ゲーム』のオーディションがあったんです」
−そのときにやめてなくてよかったですね−
「ほんとですよね(笑)。いい意味での虫の知らせというか…。何かそういった予感があったのかもしれないです」
−撮影はいかがでした?−
「いざ台本をもとに演技をしたら『お前、なんか芝居がくせえな』って言われたんですよ。劇団の定期公演(発表会)で芥川龍之介の『羅生門』をやることになっていて、その直前だったんですね。時代物なので、芝居が時代劇くさいというのでしょうかね(笑)。『やばい、これだ』と思って。
それで森田監督が、『こうやってやるんだよ』ってやった通りにマネして、猫背でずっとボソボソボソボソ喋って歩いたりしていました。
ただ、初日の撮影が終わった後、監督と一緒に帰ったんですけど、そのときに『お前は本番に強いな』って言われたんですよ。その言葉が非常に嬉しくて、36年経った今でも覚えているくらいとても嬉しい言葉でした。
実は、撮影が全部終わったとき『本番直前までお前を変えようかと思っていたんだよ。それぐらい芝居がどうにもならなかったから』って言われたんです。冷や汗が出ました。『良かった、変えられなくて良かった』って(笑)」
−あこがれの優作さんとはいかがでした?−
「優作さんはとにかくオーラがすごすぎて…。僕が16歳で優作さんがあのとき34歳だったのかな? 僕は半分以下のガキですからね。ちゃんと会話をすることもなかったんですけど、ただ非常に仕事には厳しい人でしたから、僕が優作さんをひっぱたくシーンも『本気でひっぱたいてこい』って言われました」
−宮川さんがひっぱたかれるシーンは?−
「本気でひっぱたかれましたよ。ただ、優作さんは上手なんですよね。うまいんです。あのすごく大きな手で包み込むように打つので痛くないんです。でも、凄い音がしたので、みんな『大丈夫か?』って思ったみたいですけど、やっぱり叩き方があるんですよね、コツが。
包み込むようにクッションをきかせて、痛くないんだけど音が大きくなるというような。僕はそれを知らないので、優作さんの頬をたたくときにものすごく突っ張った手で、パシンて叩いちゃったんですよ。そうしたら優作さんが『お前、痛かったぞ』って言ってきましたから(笑)」
−印象的なシーンでしたね。それと優作さんが宮川さんの頬にチュッとするシーンは特に−
「そうですね。それがまた不思議な空間というのを描いていたんでしょうね。いまだに優作さんをひっぱたくところとか、チューは言われますから、ありがたいことですよね(笑)」
−あれから36年も経ちましたが、雰囲気はあまり変わらないですね−
「どうなんでしょうか。あの頃はニキビ満開の16歳でしたけど、中身はそんなに変わってないのかなあ。変わった時期もあったんですけど、でも、仕事で苦労したりとか、プライベートでもいろいろありましたから、初心は大事だなぁって(笑)。
すごくベタですけれども、そういう気持ちは大事にしようと思って、仕事があることに感謝とか、そういうことに関しては全部『家族ゲーム』の頃の気持ちでいようとは思っています」
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2017年5月放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)に先生として登場した宮川さん。24歳で結婚し、長女と次女に恵まれたものの、子どもたちが小学生のときに妻が家を出て以降、仕事とシングルファーザーとして子育てに奮闘していたことを明かした。
次回後編では、シングルファーザーとしての生活、話題の『東大王』について、映画『スタートアップ・ガールズ』の撮影裏話を紹介。(津島令子)