日本一の恐竜化石と言われる「むかわ竜」を発掘した実績を持つ北大の小林教授(撮影:尾形文繁)

日本一の恐竜化石といわれる「むかわ竜」を発掘、化石発見の実績から「ハヤブサの目」の異名を持つ男。恐竜化石のためなら、過酷な気象も巨大灰色熊もなんのその。ただ、化石発掘は目的と同時に手段でもある。『恐竜まみれ』を書いた北海道大学の小林快次教授に発掘生活について聞いた。

熊なんかより人間のほうが危ない

──ゴビ砂漠の巨大濁流に始まり、副題に偽りなしですね。

あれは私にとってモンゴルでの初発掘だったので、慌てました。今はかなり慣れて、最悪の事態を想定して動きます。アラスカで豪雨、落雷のときは窪地(くぼち)に降りて、温かくして雨がっぱかぶって昼寝します。落ちないように願いながら(笑)。アラスカの落雷は2時間もすれば通り過ぎるので。

──2時間も! 軽妙に書いていますが灰色熊はヤバかったのでは。

んー、そうですね、大きいのが2頭いたし、小屋のドアの1つが壊れていたから、確かにかなり危険でした。歳とともにでかくなって無敵になるので、高齢熊ほど怖い。後で撮った写真を見たら歯が抜けていた(笑)。ただ、連れていった学生が鮭の頭などを捨てた所が悪く、熊を呼び寄せてしまった。捨て場所を確認しなかった私もよくない。危ないときというのは何かポカをしているんです。

──動物には慎重な行動が必要。

動きに予測がつきませんからね。あのときは回れ右してくれたけど。その意味でいちばん怖い動物は人間です。国立公園など調査地によっては、ガイドのような人に熊よけの散弾銃を持たせますが、熊慣れしていない人だと、熊に遭遇するとパニックになり、銃を左右に振り回したり。危ないったらない。

また、僻地に飛んでくれるヘリコプターの操縦士は軍人上がりが多くて、大体イカレてる。「ベトナム戦争ではヘリがいっぱい落ちたけど、理由、わかるか」とか言いながら「こうやったら落ちたんだ」って急旋回してみせる。

──(笑)。現場には年にどれほど。

3〜4カ月ですね。北米からアジアへの恐竜の移動をテーマにしているので、アメリカ、カナダ、モンゴルが主体です。

──期間は資金面の制約ですか。

日本で工面できる資金は多くはないですが、海外では共同研究者が調達した公的資金や寄付金がありますから。南米でも、渡航費以外は面倒を見るから掘りに来ないかという話はある。南米、南極、豪州が地続きだったので、南米から豪州への恐竜移動というストーリーが描ける。でも、南半球の夏って日本の冬でしょ。年に6カ月いなかったら大学をクビになります。

「時間のギャップ」に興味があった

──ただ、限られた時間で多くの発見をしているように見えます。

「むかわ竜の全身骨格」のようなわかりやすいものだけが発見ではありません。発掘の現場って刺激的なので、いろんな興味が湧いてきます。化石が出た地層を調べれば当時の植生やほかの動物がわかる。いろんな素材に食らいついて情報を引き出す。そうすることで大きなストーリーができてくると、より広い視野で恐竜を見ることができ、さらに面白くなる。

──何に興味を持ったかが大切そうですね。どんな子供でした?

自分では普通だったと思いますが、親は「変わっていた」と言いますね(笑)。小学生のときは仏像、城、古墳などにのめり込みました。まあ、小学生で仏像は珍しいか。

──生物というより歴史ですね。

文系理系という考えはしません。小さい頃から時間のギャップに興味があったんだと思います。城、仏像、古墳とさかのぼって、次は日本人のルーツ、そして恐竜。数百年を経てきた仏像と現在の自分が向かい合う。自分の経験した時間をはるかに超えた時間を体験してきたものに興味を感じます。

──長期で物を見るので気が長いのでしょうか? むかわ竜は発掘までに2年以上かけていますよね。

そりゃあ、すぐにでも掘りたいですよ。でも、対象が大きければ大きいほど慎重になる。第1発見者が「骨を見つけた」って周囲の人に言っている状況で、中途半端な状態にしておくと、アマチュアの人が来て掘るおそれがある。一つひとつの化石からは、生命の営み、進化がわかるんですよ。それに頓着しないで掘って壊しちゃうと、貴重なデータが失われる。触っていない状態にして、万全の準備をして掘らないといけない。

それに、全長8メートルともなると掘ってから運ぶのも大変。林道をどうつけるかとか、抜いた木は植え直せと森林管理署から要請されたりとかで2年かかりました。植え直しなんてできませんから、そういう了解を取るのに時間がかかった。短気に出て相手を怒らせてもいいことはないですからね。関係各所の理解を得て、みんなハッピーな状態でやる必要があるんです。

恐竜化石は「地下資源」

──意外だったのは、掘ったものは現地に残すという考えです。

昔は中央が集めていた。でも、例えばむかわ竜を掘り出して、北大が持っていく、科博(国立科学博物館)が持っていく、ハイお疲れ、となったら、地元は何これってなりますよね。迷惑でしかない。


恐竜化石は地下資源だと思っています。掘ったら価値のある形にして地元に残し、生かしてもらう。地域の活性化が言われている今、自治体はどこも売りになるものが欲しい。僕はたまたま、恐竜という人を引きつける力がある素材を扱っているので、町おこしのお手伝いをしたい。恐竜は、子供たちにサイエンスの面白さを伝える導入部分にもなります。

──恐竜を使った町おこしがすべて好調ではないようですが。

僕がベースとする北海道では、道と市町村、大学、社会、民間企業が手を組んで、それぞれの役割を果たして盛り上げていこうと思っています。とくに県レベルと市町村のすり合わせが不調だとうまく進まないと感じています。

──北海道赴任の30代で後進の育成を開始。早くないですか。

20歳くらいでアメリカ留学する際に、お世話になった先生から「しっかり教育を受けてきなさい。終わったら、日本に戻って研究のレベルを上げてほしい」と言われました。個人の選択としてはアメリカでの就職もあったけれど、その言葉が頭にあった。それに、研究者を育てるには10年以上かかる。最初に教えた世代が今、やっと大学の先生になり始めました。次は彼らが後進を育ててくれるでしょう。僕はできる限り今の発掘スタイルを続けたい、南米にも行きたい(笑)。その後は教え子の発掘を手伝いますよ。