最低賃金は2016年から3%程度の引き上げが続いてきたが、経済財政諮問会議は引き上げペースを加速する方向へ舵を切った。しかし日本の社会と経済に重大な悪影響を及ぼす恐れがある(写真:共同通信)

「生産性を高められない企業は消えよ」は正しいのか?

政府が今年6月21日に閣議決定した経済財政運営の基本方針「骨太の方針」では、最低賃金の水準について「より早期に全国平均で1000円に引き上げる」という目標を掲げています。過去3年間の最低賃金の引き上げ幅は年3%としてきましたが、今後はその引き上げ幅の拡大を促していくということです。

具体的な引き上げ幅は明記していないものの、政府や与党の念頭には「5%」という数字があるのは間違いないでしょう。



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最低賃金を大幅に引き上げるべきだ」と考える識者が増えてきている中で、政府内では菅義偉・官房長官が、経済財政諮問会議の民間議員では新浪剛史・サントリーホールディングス社長が「5%程度を目指す必要がある」と主張しています。

これに対して、世耕弘成・経済産業相は中小企業の人件費負担を考慮し、「3%程度で検討すべき」と反論していますので、政府内で意見が一致しているわけではありません。それでも5%引き上げ論が優位であるのは、政府・与党内でそう考えている人たちが多数派であるからです。

この5%という数字の背景には、「最低賃金を5%ずつ10年連続で引き上げれば、日本の生産性は高まるはずだ」という考え方があります。最低賃金の引き上げ幅を拡大すれば、日本で大多数を占める中小零細企業は、生き残るためにいやが応でも生産性を高める必要性に迫られるからです。その挙げ句に、生産性を高められた企業は存続できるし、高められなかった企業は淘汰されてしかるべきだという思考回路が働いているのです。

日本生産性本部の「労働生産性の国際比較」によれば、2017年の日本の1時間当たりの労働生産性は47.5ドル(購買力平価換算)であり、経済協力開発機構(OECD)加盟36カ国の中では20位と下位に位置しています。さらには、この労働生産性の水準はアメリカ(72.0ドル)やドイツ(69.8ドル)の3分の2程度にすぎず、先進7カ国の中では最下位の状況に甘んじているのです。これから人口減少が加速していく日本では、生産性の向上が不可欠であるという意見に対して、異論を差し挟む余地は少ないでしょう。


出所:公益財団法人日本生産性本部

先進国にしても新興国にしても、大規模の企業が中規模の企業より、中規模の企業が小規模の企業より生産性が高いという傾向に変わりはありません。日本の生産性が先進7カ国の中で最も低い理由は、企業全体に占める小規模企業(零細企業)の割合が最も高い状況にあるからです。卸売業・小売業・飲食業などで従業員が5人以下、製造業・建設業・運輸業などで従業員が20人以下の小規模企業は、日本の企業全体の90%近くを占めていて、実に雇用全体の25%も担っているのです。

例えば、日本とアメリカの生産性における格差は、とくに卸売店・小売店・飲食店などサービス業の分野で生まれています。これらサービス業の分野は、日本とアメリカの両国で就業者数が最も多いのですが、従業員が10人未満の事業所数のシェアは日本が80%、アメリカが50%と大きな隔たりがあります。それゆえに、日本のサービス業がアメリカの同業と同じ稼ぎを得るためには、2倍以上の従業員を雇っている計算になるというわけです。

小売業の生産性低下に拍車をかけるコンビニの過剰状態

そういった日本の非効率性は、例えば小売店の業界では、ウォルマートなど超大規模な店舗が主流であるアメリカと比べて、日本がコンビニエンスストアを中心に個人経営・家族経営の小売店が多いということでも察することができます。人口減少に伴う需要減とネット通販の急拡大が重なり、日本ではすでに小売業の店舗数が過剰な状態にあります。それでも日本フランチャイズチェーン協会によれば、コンビニエンスストアの国内店舗数は依然として増え続けているといいます。


生産性がいっそう低下する圧力がかかっている環境下で、最低賃金を5%ずつ10年続けて引き上げようとすれば、現在の最低賃金(全国平均で時給874円)は3年目に1000円を突破し、5年目に1100円、10年目に1400円を超えることになります。

そうなれば、地方でアルバイトやパートで成り立っている零細企業の大半は、5年もしないうちに倒産か廃業に追い込まれる可能性が高まります。確かに、最低賃金の引き上げに備えて、自動化の投資などで生産性を上げる体力がある企業は生き残ることができますが、大半の零細企業は淘汰されると覚悟する必要があるでしょう。

最低賃金の引き上げを目的化する弊害として、従業員を解雇しなければならない、または、自らが事業を止めなければならない経営者が増えていくことが予想されます。そのときに失業に追い込まれるのは、低賃金だからこそ仕事を得られる、特別なスキルを持たない人々です。結局のところ、最低賃金の無理な引き上げは、最も社会が助けなければならない人々をさらなる窮地に陥らせてしまうのです。実際には、そういった現実が社会問題としてクローズアップされるに従い、政府は3年以内に最低賃金の引き上げ幅を縮小、あるいは凍結していくことになるのではないでしょうか。

原因と結果を間違えているアベノミクスと同じ轍を踏む

最低賃金を5%引き上げるべきだと主張する識者の本質的な誤りというのは、アベノミクスの犯した失敗と同じように、「原因」と「結果」を取り違えているところにあります。どういうことかというと、物事の本質や因果関係から判断すれば、「インフレ経済になる」ことによって、「国民生活がよくなる」のではありません。「国民生活がよくなる」結果として、「物価が上がる」というものでなければならないのです。

ですから、2012年12月の衆議院選挙で自民党が大勝した直後に、複数の週刊誌から「アベノミクスは正しいのか?」という取材を受けたとき、私が一貫して何を申し上げたかは今でも鮮明に覚えています。「原因と結果を取り違えているので、悪いインフレになり、実質賃金は不況期並みに下落するだろう。その結果、国民の生活は苦しくなり、消費は停滞するだろう」と強く訴えていたのです。

現実に、2013年以降の実質賃金は、輸入インフレと消費増税によって大幅に下落し、2013年〜2015年の実質賃金の下落幅はリーマンショック期に匹敵するほどになりました(私の試算では、2013〜2015年の実質賃金〔2000年=100で計算〕の下落幅4.2ポイント減のうち、輸入インフレの影響は2.5ポイント減、消費増税の影響は1.7ポイント減です)。その影響を受けて統計開始以来、個人消費は初めて2014年〜2016年に3年連続で減少するという深刻な事態が起こったのです。(『実質賃金下落の本質は国民への「インフレ税」だ』(3月30日)参照)


「日本の名目賃金と実質賃金の推移」(左)、「実質賃金と個人消費の推移」(右)

経済学の不可解な世界では、「ニワトリが先か、タマゴが先か」という理論が成り立ってしまうことがありますが、現実の経済活動は必ずしもそのようには動いていかないものです。私たちの暮らしにとって重要なのは、「どちらが先になるのか」ということなのです。数式で理論武装しているように見えても、それ以前に本質や因果関係を無視した理論や議論が多いことには非常に驚かされます。

ご多分に漏れず、「最低賃金を引き上げれば、生産性が向上する」という考え方も、そういった理論や議論にぴったりと当てはまります。「最低賃金が上がる」結果として「生産性が上がる」のではなく、「生産性が上がる」結果として、「最低賃金が上がる」というのが、正しい因果関係を示しているからです。すなわち、「最低賃金を引き上げる」という結果をもたらすためには、順序が逆で「生産性を引き上げる」という原因が必要だというわけです。(『生産性は最低賃金を引き上げれば向上するのか』(6月5日)参照)

実質賃金は上がらず、消費拡大につながらない

また、見逃してはいけない視点は、「最低賃金を引き上げれば、生産性が向上する」という考え方が、「最低賃金を引き上げれば、消費が拡大する」という見方とセットになっているということです。政府の推計によれば、2012年〜2018年にかけて最低賃金を125円引き上げたことで、国民の所得を1兆2200億円押し上げ、消費を9200億円喚起する効果があったといいます。

確かに、最低賃金を大幅に引き上げることによって、淘汰の中で生き残ることができた企業はパート・アルバイト従業員に対して、今までより高い賃金を支払うことができるようになります。ところが、生き残ることができた企業が従来と同じ水準の収益を維持するためには、賃金の引き上げ分を価格に転嫁しなければなりません。賃金の引き上げから少しタイムラグを置いて、物価も上昇することが避けられないのです。つまり、従業員の名目賃金は上がっても、実質賃金は期待したほど上がらないというわけです。

そのうえ、企業の淘汰がある程度進むことによって、地方の零細企業を中心に多くの雇用が失われるのは間違いありません。その結果として、生き残った企業の経営者や従業員が消費を増やすことはできるかもしれませんが、国民全体としては消費が拡大するかどうかは極めて怪しいといえます。むしろ失業者の増加や景気への不安から、消費の伸び悩みが続くほうが可能性は高いかもしれないのです。

なお、実質賃金を算出する際に必要なデータである名目賃金の調査では、従業員5人未満の事業所は調査の対象となっていません。わかりやすくいうと、企業の中で最も弱い立場にある零細企業のうちの多くが、賃金の調査には反映されていないということです。そういった意味では、実質賃金にしても名目賃金にしても、数字が示しているよりも実態はかなり悪いと考えるのが適当なのではないでしょうか。

政府の方針よりさらにひどいのが立憲民主党の「5年以内に全国一律で最低賃金を1300円に引き上げる」という参院選の柱となる公約です。政府との大きな違いは、「1300円」という金額もさることながら、「全国一律」という条件が現実離れしているという点です。

立憲民主党の全国一律1300円が現実離れしているワケ

実のところ、最低賃金が全国平均の874円に達しているのは、47都道府県のうち7都府県しかありません。東京都(全国1位・985円)や神奈川県(2位・983円)、大阪府(3位・936円)など上位の都府県が、全国平均の値を大きく引き上げているのです。

そのため、47都道府県で中央値に当たる石川県(24位・806円)でみると、最低賃金が5年で1300円に達するには、毎年10%超の引き上げが必要な計算になります。その引き上げ率が異常であるのは、経営側から見ても労働者側から見ても明らかなことでしょう。

共産党も参院選の公約の一つとして、最低賃金については「ただちに全国一律で1000円に引き上げ、すみやかに1500円を目指す」という考えを示していますが、野党の幹部の方々にお願いしたいのは、韓国で今起こっている現実を直視して最低賃金の取り扱いを決めてほしいということです。

韓国では文在寅政権が所得主導の経済成長を掲げたうえで、最低賃金を1万ウォン(約930円)に引き上げるという公約の実現に向けて突き進んでいます。最低賃金を2017年に16.4%、2018年にも10.9%引き上げた挙げ句の果てに、中小零細企業の倒産・廃業・雇用削減が相次ぎ、失業率が悪化の傾向を鮮明にしています。足元の2019年4月の失業率は4.4%となり、19年ぶりに過去最悪の水準を記録しているのです。

とくに若年層(15歳〜29歳)の雇用の減少が著しく、若年層の失業率は11.5%と2桁の大台に達しています。それに加えて、解雇される雇用形態で圧倒的に多いのは、非正規雇用に該当する人々です。経済的に弱い人々にしわ寄せが片寄るという現象は、左派政権が目指したものとは真逆の結果をもたらしているというわけです。

私は政府が目論む「最低賃金の5%引き上げ」にすら懸念を表明してるわけですが、立憲民主党の公約では日本経済は地方を中心に壊滅的な打撃を受けることになるのではないでしょうか。同党の公約は韓国の大失政を無視しているとしか思えず、経済政策を立案する能力が皆無だと見事に露呈してしまった事例であるといえるでしょう。

本来であれば、失礼ながら批判するにも値しない事例なので、政府の方針に関する話に戻しましょう。

国民が老後を心配して貯蓄に励み続けるのは、我が国の年金制度をはじめ社会保障制度に対して不安感や危機感を持っているからです。

金融庁の金融審議会が今年6月初旬にまとめた報告書では、「平均的なケースで男性65歳以上・女性60歳以上の夫婦では、今後30年にわたって生きるとすると2000万円が不足する」という推計結果が耳目を集めていますが、もともと現役世代(とくに若い世代)は年金制度をほとんど信用していないので、個々の努力で節約をしながら貯蓄額を増やし続けています。それは、世代別の消費性向の推移を見れば明らかです。


2人以上勤労者世帯の平均消費性向、単身勤労者世帯の平均消費性向」(総務省)

国会の審議を見ていて辟易するのは、野党が「2000万円不足する」という言葉をクローズアップして政府批判を繰り返している一方で、政府・与党は「報告書はないものとする」として、本質的な議論がなされない状況になっているということです。

少子高齢化が加速していく社会では、公的年金の制度をどのように維持していくのか、それと同時に、自助努力を支える仕組みをどのようにつくっていくのか、先送りをせずに早急に議論すべきです。

今回の金融庁の報告書など出なくても、国民はずっと前から将来への不安感を和らげるために、消費を抑えて貯蓄するという堅実な行動を取ってきています。

国民が持っている将来への不安を解消しようと努力することもなく、企業に賃金の引き上げを強いたりすれば、弱い立場の零細企業の倒産・廃業がじりじりと進む中で、国民が抱える不安感はますます高まり、国民はいっそう節約を心がけ、貯蓄に励むようになるのではないでしょうか。すなわち、国内における企業の稼ぎは思うように伸びず、淘汰によって少しだけ伸びた生産性は、再び低下していく可能性のほうが大きいように思われます。

雇用も産業も創出できなかった「成長戦略」の無策

仮に100歩譲ったとして、最低賃金を引き上げることで生産性の向上を達成したいというのであれば、それによって失われる雇用が容易に他の雇用に移動できる環境を整備しておかなければなりません。

中小零細企業の淘汰をドラスティックに促したいというのであれば、それによって失業する人々の受け皿となる雇用や産業をつくりだす必要があるのです。結局のところ、倒産・廃業する企業や産業の代わりに、成長戦略によって既得権益を打ち壊し、生産性が高い雇用や産業を育成しておかなければならなかったというわけです。

政府が成長戦略として実行しなければならなかったのは、生産性の低い産業・企業を金融緩和や補助金漬けで延命させることではなく、そういった産業・企業で働いている人々のために新しく強い雇用を生み出すこと、すなわち、従前より生産性の高まった成長産業を育成するということでした。本来であれば、アベノミクスの第3の矢とされる成長戦略でその偉業を成し遂げてほしかったのですが、実際には6年余りの年月を空費してしまっているのは非常に残念でなりません。

失業者の新たな受け皿となる雇用や産業が育っていない現状で、安易な発想に基づいて最低賃金の引き上げだけを先行させるようなことがあれば、最低賃金が1000円を突破する3年後には、失業率が直近の2.4%(2019年4月)から3.0〜3.5%へと上昇していても不思議ではないでしょう。

生産性の向上が手段として目的化してしまうと、少子高齢化に伴う人手不足で失業率が上昇するはずのない日本において、失業率が徐々に上昇するという奇妙な出来事が生じるようになるのです。そのようなわけで、政府が成長戦略を長年にわたってさぼってきたツケはあまりに大きいといえるでしょう。

実のところ、2ページで掲載した「OECD加盟諸国の労働生産性」は、日本の生産性を考えるうえで無視することができない欠陥を持っています。〔労働生産性 = 国内の生産量(付加価値額)÷ 労働投入量(労働者数×労働時間)〕という数式で計算されているため、日本企業の生産性が海外進出によって飛躍的に向上しているにもかかわらず、国内の生産性が上昇するという結果にはまったく結び付いていないのです。

日本の製造業ではかつて、国内の工場で自動車や家電などを生産し、それらを海外に輸出して収益を伸ばすことが、お決まりの成長モデルとなっていました。ところが今では、輸出から輸入を差し引いた貿易黒字は、経済のグローバル化に伴って減少の傾向をたどってきています。財務省の国際収支統計によれば、2018年の貿易黒字は1兆1877億円にまで減少し、2000年の12兆7000億円と比べて10分の1以下にまで縮小しています。


それに代わって、日本の企業が海外の消費地に進出する動きは、製造業だけでなく小売業やサービス業にまで広がってきています。大企業や中小企業の区別なく、収益性や生産性が高い企業ほど、アメリカ、中国、東南アジアなどに工場や拠点を持つようになっているのです。

その結果、2018年の経常黒字は19兆932億円となり、平成の30年間で黒字額が2倍超に膨らんでいます。その中で、日本企業の海外での稼ぎを示す直接投資収益は、2018年に10兆308億円(第1次所得収支の約半分を占める)と過去最大になっているというわけです。

「国際比較のワナ」に気をつけよ

現状の国際比較の方法では、グローバルに事業を展開する企業が海外で高い生産性を達成したとしても、それが国内の生産性には算入されない仕組みになっています。それは裏を返せば、生産性の高い企業が国内での生産を縮小し、海外での生産を積極的に進めれば進めるほど、日本の生産性は私たちが実感している以上に低下していくということを意味しています。

経済統計の背後に潜んでいる問題点を考慮せず、単純に国際比較してしまうという状況を私は「国際比較のワナ」と名付けていますが、労働生産性に関しても国際比較のランキングだけを見ていては、日本企業の正味の生産性が着実に上がっているという事実を読み取ることができません。

今後もグローバルに活躍する企業が増えていく流れの中で、それと反比例するように国内の生産性が低下していく関係にあるということを鑑みると、日本の生産性が国際ランキングで示されているほど悪くはないと理解する必要があるでしょう。

「国際比較のワナ」は労働生産性だけでなく、最低賃金についても当てはまります。日本の最低賃金は先進国の中で、比較的低い部類に属しているといわれています。2018年の最低賃金をドル換算して比較すると、日本は7.7ドルであるのに対して、フランスは11.7ドル、イギリス・ドイツは10.4ドル、カナダは9.6ドルと高く、アメリカは7.3ドルと低い水準にあります。

海外では最低賃金の引き上げは、経済政策として活用される動きが広がっています。例えば、その先駆けとなったイギリスでは、1999年から2018年にかけて最低賃金を2倍以上に引き上げてきたといいます。その成果として、イギリスの生産性は大いに高まったと評価している識者もいるのですが、果たしてそれは本当でしょうか。さらに、イギリス国民の生活は以前と比べて豊かになったのでしょうか。

実のところ、イギリスの生産性は過去20年にわたって、先進7カ国の中で下位が定位置になっています。それに加えて、ロンドンを除いた多くの地方では、製造業の労働者を中心に国民生活が悪化の一途をたどってきました。その挙句の果てにポピュリズムが蔓延し、国民投票でEU(欧州連合)を離脱するという愚かな選択をするに至ったわけです。

いずれの国の人々も、日々の生活が苦しくなってくると、冷静な判断ができなくなってしまうものです。今ではイギリス国民はEU離脱派とEU残留派が対立し、議会はEU離脱の決断を何回も先送りし続けています。

ドル換算による最低賃金の国際比較は無意味だ

そもそも最低賃金をドル換算で比較すること自体、経済の分野で議論するという以前に、本質的に大きな間違いをしていると思います。というのも、各国の通貨とドルとの為替相場はつねに変動していて、例えば日本のケースでいえば、ドル換算の最低賃金は2012年と2015年で40%以上も変わってしまうからです。国民生活の視点から見れば、ドル換算の金額で比較するのは無意味であり、実質的な金額のほうがはるかに重要であります(※労働生産性は購買力平価に基づいて計算されているので、ここで提起している問題はクリアしています)。

経済学者の中には、「アメリカを見習うべきだ」という考えの人が実に多いという事実があります。私は企業経営の一面では見習うべき部分もあるとは考えますが、国民生活の立場ではまったく見習うべきところはないと確信しています。アベノミクス(日銀の金融緩和)が格差を拡大させたのは間違いなく、その恩恵を最も受けた2人の人物を挙げるとすれば、柳井正・ファーストリテイリング会長兼社長と孫正義・ソフトバンクグループ会長兼社長の両者しかありません。

そうはいっても、日本、アメリカ、欧州における国民の生活水準を比較すると、日本は経済学者の間でいわれているほど低迷などしていません。その証拠として、実際にアメリカや欧州で生活をしてみれば、日本よりも明らかに落ち込んでいる人々の生活水準がわかるからです。これは、平均的な所得の日本人がアメリカや欧州に行って、その国で生活してみればたちどころに理解できることです。

例えば、世帯年収が600万円の日本の家族がアメリカにそのまま移住して、日本と同じ生活水準を維持するのは、極めて難しいことです。肌感覚でいえば、日本の600万円はアメリカにおける400万円くらいの価値しかないのではないしょうか。確かに、日本人の所得は1997年のピーク時と比べれば下がっていますが、物価を考慮した生活水準は当時のアメリカほど落ちていないことをはっきりと認識するべきでしょう。

日本とアメリカを頻繁に行き来しているビジネスマンが帰国したとき、「どうして日本はこんなに食べ物が安くておいしいのだ。日本は本当に恵まれた国だ」と感激するという話は、そうした肌感覚を裏付けています。あれだけおいしい牛丼がたった300円台で食べられる国など、先進7カ国の中ではありません。イギリスやフランスで同等の食事をしようと思ったら、2000円程度は支払わなければならないでしょう。

政府の怠慢を国民に押し付けてはいけない

IMF(国際通貨基金)やOECDなど国際機関の経済統計を見ていてすぐ気付かされるのは、国際的な比較をした統計の多くが、比較するのが適当であるのか疑わしい場合が多いということです。

ドル換算で統一して比較すること自体に、さきほどの最低賃金の例で示したように、相当な無理があるからです。とりわけ生活や賃金に関連する統計では、為替の変動や物価の違い、税制や社会保障制度の違いによって実質的な水準が変わってくるので、どこの国が優れていて、どこの国が劣っているとは、本当の意味ではいえないのです。

例えば、日本国民の生活水準を分析するときに、私は「実質賃金を最も重視すべきだ」と主張し続けてきましたが、これとまったく同じ条件で統計を出している先進国はありませんし、そもそもアメリカのように実質賃金を算出していない国もあります。ですから、日本の実質賃金と他の国々の所得に関する統計を、同じ土俵で比較するのは非常に難しいといわざるをえません。

さらには、それぞれの国々の格差や生活様式、文化、価値観などの違いにより、所得という概念を平均的な数字だけで判断するのが難しい場合があります。IMFやOECDの国際比較の統計などを見ていても、日本国民はいちばん生活水準が高いと考えられる統計もあれば、日本国民とアメリカ国民の生活水準はあまり変わらないと思わせる統計もあるのです。そういった意味では、国際比較だけを見て経済政策を決めることは、あまり賢い方法であるとはいえないと思います。

最後に、日本の最低賃金の引き上げの話に戻しますと、最低賃金の引き上げ幅の目安となる額は、毎年の夏に厚生労働省が設置している「中央最低賃金審議会」で決められています。とはいえ、政府の「骨太の方針」が、審議会における議論の方向性をつくっているのは確かなことです。

それゆえ、私が審議会に出席する学識者や労使の代表に求めたいのは、政府の方針に完全に服従することなく、本質的な議論をしてもらいたいということです。政府は成長戦略をおざなりにしてきたからこそ、最低賃金の引き上げという安易な発想に行き着いてしまったのです。「政府の怠慢を国民に押し付けてはいけない」と、強く思っている次第です。