約45年前から熱狂的なファンは存在した!

 先日富士スピードウェイで開催された「STI MOTORSPORT DAY」には、敬虔なスバリスト多数集結! どのメーカーにも熱心なファンはいるが、SUBARUのファンは「スバリスト」と称され、とりわけ熱心なファンが多いというイメージが強い。ひと言でスバリストと言ってもタイプはさまざまで、明確な定義があるわけではないが、なぜSUBARUのファンだけが特別な存在になったのだろうか。

 スバリストが他メーカーのファンよりも特殊な存在に見えるのは、SUBARUというメーカー自体が自動車メーカーとしては小規模ゆえに独自性を強め、今もなお個性が強いからだろう。

 東洋一の航空機メーカーをルーツとし、航空機の設計/安全思想を自動車に応用。FFレイアウトやモノコックボディ、乗用車の四輪駆動車、運転支援システムなど、現代では当たり前のように普及している多くの技術やシステムのパイオニアであるなど、マニアの心を掴む要素がどのメーカーよりも多いことが挙げられる。

 スバリストの歴史を振り返れば、「スバリスト」という言葉が使われるようになったのは1975年からと言われるが、旧富士重工業のモノづくりの姿勢に強く共感する熱心なファンは、最初の大量生産四輪車のスバル360が発売された1958年ごろのSUBARUの黎明期から存在していた。

 スバル360/1000時代の崇高な設計思想を高く評価していた層から堕落、大衆迎合などと評されることもあったレオーネが主力車種になってからは、乗用車の悪路走破性能に磨きをかける独自性の強い姿勢に共感し、雪上での安定性の高さなどに心酔するファンが定着。SUBARUは積雪量の多い地域のユーザーやウインタースポーツの愛好家から強く支持されるブランドとなるも、そのファンの絶対数は多くなかったことから、スバリストは「SUBARUの信者」なイメージを強めていくことに。

スバリストを一躍有名にしたのはやはりWRCの功績

 マイノリティだったスバリストが、その数を一気に増やして大勢力となったのは、主力車種がレオーネからレガシィとインプレッサに切り替わった90年代だった。悪路での安定性だけでなく、舗装路でも世界トップレベルの走行性能を得たことでSUBARU車ユーザーが激増。WRCでの派手な活躍もあって、年齢層も大幅に若返った。1996年にマイナーチェンジで280馬力となった2代目レガシィは1997年3月に月販1万4509台を記録するなど、SUBARU車としては未曾有の大ヒットに。

 年間販売ランキングでもベスト10入りを果たすなどしたが、当時のレガシィ(2代目)とインプレッサ(初代)は、2リッター車としては世界でも突出した高性能を誇り、WRCでは3年連続マニュファクチャラーのチャンピオンに輝くなど、名実ともに「SUBARUは世界一」となったことで、スバリストと熱狂的なSUBARU信者が大激増した。

 この頃から「スバリスト」という言葉がクルマ雑誌に取り上げられる機会も多くなり、やがては民放テレビの報道番組でもその名が使われるほどになる。

 SUBARUはWRC参戦を休止してからもスーパーGTやニュルブルクリンク24時間耐久レース、全日本ラリー選手権などモータースポーツ競技に参戦し続け、衝突安全試験でも世界トップクラスの評価を獲得し続けるなど「挑戦」を継続。そして、不祥事や品質問題などの懸念や不安要素を抱えつつも、今もなお「挑戦」をし続け、個性的なメカニズムや技術を磨いて独自性を保とうとしている姿勢に魅了されるファン=「スバリスト」が一定勢力を誇り、他銘ファンを圧倒する勢いをみせているのである。