【インタビュー】相思相愛での“帰還” 大卒ルーキー・矢島輝一の誓い「プレーでFC東京愛を示す」

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 FC東京を離れ、中央大学で過ごした4年間。揺るがないはずの「戻りたい」という願いさえ、見失いそうになるほどの苦悩も経験した。それでも矢島輝一は、覚悟を決めた。「プレーで、ゴールで“東京愛”を示す」。誓いの言葉を胸に今再び、青赤のエンブレムを背負って――。

インタビュー・文=平柳麻衣  写真=兼子愼一郎、内藤悠史

 2017年3月。矢島輝一は悲劇に見舞われた。全日本大学選抜の遠征中に左ひざ前十字じん帯を損傷。全治8カ月の大けがで、その時点で大学ラストシーズンをほぼ棒に振ることとなった。所属する中央大学の関東大学リーグ1部昇格、ユニバーシアード日本代表での金メダル獲得、そして幼い頃からの夢であったプロ入りに向け、強い覚悟を持って足を踏み出した矢先の出来事だった。

 

■「FC東京に戻りたい」。でも、即答できなかった

――大学4年目の開幕前という時期にけがを負い、大きな不安があったと思います。
矢島 大学に入ってからもずっと、スクール時代からお世話になってきたFC東京に「戻りたい」と思っていたんですけど、客観的に見たらこの時期に大けがをするというのは本当に難しい状況ですし、正直「どうなるか分からないな」と思いました。ただ、僕としては「FC東京に関わりたい」という思いが強かったので、もしFC東京からオファーが来なかった時にサッカーを続けるのかどうか、アカデミーの先輩の小泉将来さんが日体大を卒業してFC東京のスクールのコーチになったので、「スクールのコーチってどうですか?」と聞いてみたり、いろいろな選択肢を探しました。

――実際にFC東京からオファーが来たのはいつ頃でしたか?
矢島 けがをしたのが(2017年)3月1日だったんですけど、5月1日に「今日でちょうど2カ月か……」と思っていたら、中大のGMの佐藤健さんから電話で話を聞いて、一瞬で鳥肌が立ちました。実はその前にJ2のクラブからオファーをいただいていたので、サッカーを続けることはできそうだなと思っていたんですけど、やっぱり僕にとってFC東京は特別で、その時は本当にうれしかったです。でも、当時スカウトだった宮沢(正史/現FC東京コーチ)さんから電話で「迷いはないか?」と聞かれた時、すぐに答えられなくて……その時が一番、サッカーに対する自信が持てなくなっていた時期だったので、やっぱりFC東京は日本を代表するクラブだと思っているし、「試合に出られるのかな?」という不安もありましたし、FC東京でプロになることが「怖い」と思ってしまったんです。もし、けがをしていなかったら「迷いはないです」と即答できたと思うんですけど、その時はすぐに答えられないほどすごく心が病んでいたというか、本来の自分ではなくなってしまっていたのかなと思います。

――改めてけがをしてしまった時の状況について聞かせていただけますか?
矢島 4年生になる年の3月で、自分も「これからだ」と楽しみにしていたところを一瞬で……全日本大学選抜のヨーロッパ遠征中の紅白戦だったんですけど、その瞬間、痛すぎてめちゃくちゃ叫んだんです。あまりに衝撃が強くて、ひざが取れてしまったんじゃないかと思ったほどでした。ひざを見るのも怖くて、恐る恐る触ってみたら全然普通で、「意外と大丈夫かな」と思ったらその後だんだん腫れてきて、「あぁ、これは重傷だな」って。「左ひざ前十字じん帯損傷」という診断で、全治はオペをしてから8カ月くらいと聞いて、8カ月後と言ったらもう大学リーグも終わっている時期になるので、その時はもう何も考えられなかったです。

――かなりツラい状況だったと思います。
矢島 最初のうちは、まだけがをした事実を完全に受け入れられていなかったので、グラウンドに顔を出したり、チームメイトと話したりすることも普通にできました。でも、4月にオペをしてから入院生活で一人の時間が増えて、左足が全く動かないことを感じた時にやっと「大きなけがをしたんだな」と実感しました。病院の消灯時間が21時半だったんですけど、そこからの寝付けない時間が毎日キツかったですね。