折り折りの「反佐藤」勢力を封じ込め、7年8カ月という戦後最長の政権維持を誇った“不倒”の佐藤栄作が倒れた。政権の座を降りて3年足らずの昭和50年(1975年)5月19日、東京・築地の料亭『新喜楽』である。
 当時、その場に同席していた大物代議士の証言が残っている。
 「夕方からの親しい政財界人が佐藤を囲んで懇談する“長栄会”の場だった。佐藤元首相のそばに福田赳夫(のちに首相)がいて、佐藤は『君、核防止条約は頼むよ。なにしろオレはノーベル平和賞だからね』などと、一杯入っているからかふだんより冗舌だった。そのあと、トイレにでも立とうと思ったのか、立ち上がったときだった。ひっくり返った。何度か一人で立ち上がろうともがいていたが…」

 その場に寝かされた佐藤は、昏々と眠り続けた。その後の入院先では、後頭部の静脈が切れての脳内出血であることが判明した。
 妻の寛子は、その日の夕方、美容院に出掛けていた。6時半、私邸に戻ったところで佐藤秘書からの一報の電話でこれを知った。
 寛子は筆者のインタビューで、当時の心境などをこう答えてくれたものだった。
 「初めは、脳貧血かと思っていました。しかし、病院では主人の体をつねってみたけど、いびきをかいているだけ。このまま死に至るとは、これっぽっちも思っていなかった。意識不明、眠り続ける主人を見ながら、私は主人が意識が戻ったらまず何を言おうか、そんなことばかり考えておったですよ。主人に、『おまえに苦労をかけてすまんな』などと言われたら何と答えていいかと」

 佐藤は倒れて16日目の6月3日、昏睡状態のまま臨床を迎えた。寛子は、こう言葉を続けた。
 「16日間の時間は、『この辺であの世へ行けば、寛子もあきらめてくれるだろう』という栄作の精一杯の演技じゃなかったかと思っていますね。倒れてすぐ亡くなったら、私は間違いなく狂っていたと思う」

 ちなみに、佐藤の仮通夜の日、弔問客の往来で取り込み中の佐藤家には、親しい関係者から弔問客用に腹が減るだろうとのことから丼物などが届けられた。なかに、これは旨いと皆がうなずいた丼物があった。誰からの差し入れか、丼を何気なく裏返した人物が言った。「“竹下”と焼きが入っている。万事に目配りの利いた佐藤の子分であった竹下登からのものだった。竹下はその後、佐藤派、田中派と派閥が流れる中で、求心力を集め、ついには首相の座を手にすることとなる。弔問客はあの竹下さんなら、さもありなん」と頷き合ったとされている。

 一方、寛子はインタビューで、こんな秘話も語ってくれていた。
 実は、佐藤は事のほかパチンコ好きで、一人ふらりと私邸から徒歩5分ほどの小田急線・下北沢駅近くのパチンコ屋に通っていたのだった。「花輪が出ている店はよく入る」と自信を示し、しばしば嬉々として景品の入った袋を抱えてきたそうだ。もっとも、これは大蔵大臣になったことを契機に、「税とバクチ」の関係から行かなくなった。
 また、密かに馬券も買っていたようで、秘書に買いに行かせるそれは佐藤の政治手法同様、穴狙いにあらずの“堅い”馬券専門だったそうである。やがて首相の座に就き、ノーベル平和賞も受賞した佐藤は、ナカナカだったということである。

 そのうえで、寛子にはこんな忘れられない思い出がある。
 佐藤が亡くなる1年ほど前、寛子は寝室のテレビの上に1枚の紙切れが置いてあるのを発見した。見ると、「良寛戒語」20カ条のコピーであった。「良寛戒語」とは、江戸時代後期の僧侶・歌人のあの「良寛さん」の訓話である。良寛は俗世に嫌気がさし、弟に家督を譲って出家、20年間の放浪の旅に出て修行を重ね、そこから得た“人生訓”というものであった。

 寛子が手にしたその「良寛戒語」の下記の言葉に、○印が付けてあった。
一、言葉の多さ
一、口の早さ
一、さしで口
一、よく心得ぬことを教ふる
一、すべて言葉は惜しみ言うべし
 寛子はこの○印を「あなたが私のために付けたのか」と佐藤を質したことは、一度としてなかったそうだ。

 「主人が亡くなったのは、『もうこの辺でオレがいなくなってもやっていけるだろう』と思ったからじゃないかしら。夫婦というものはよく愛しているとすぐ迎えに来ると言いますが、栄作は…」
 こうも述懐してくれた寛子が、その栄作がいる泉下に旅立ったのは、夫の死後から12年後の昭和62年4月。葬儀のあと家族が寛子愛用の文箱を開けてみると、かつて「吉田(茂)学校」優等生として佐藤と互いに張り合った池田勇人元首相の未亡人・満枝と一緒に、ゴールデン・ウイークに伊勢志摩旅行に行く予定のメモが残されていたそうである。
(次号は田中角栄・はな夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。