東京電力HD会長 川村隆氏1939年、北海道生まれ。2009年日立製作所会長兼社長に就任し、業績をV字回復させた。17年東京電力HD会長に。

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6月23日、東京電力ホールディングスの新体制が正式に始動した。取締役は大半が入れ替わり、社長には54歳の小早川智明氏、会長には日立製作所名誉会長で77歳の川村隆氏が就任した。川村氏は日立のV字回復を成し遂げた名経営者だ。一部から経団連会長も嘱望されたが、それを固辞。しかし今回、77歳という高齢にもかかわらず、東電会長という重職を引き受けた。栄誉を極めた川村氏は、なぜリスクをいとわず、東電の経営に乗り出すのか――。

■世間を驚かせた名経営者の会長就任

川村氏は1962年に日立製作所に技術者として入社。火力発電所、原子力発電所などの開発に携わり、99年には副社長に就任。2003年に退任後はグループ会社の会長を務めていたが、09年、転機が訪れる。

日立製作所は09年3月期決算で、7873億円という巨額の赤字を計上する。当時、国内製造業では過去最悪の数字だ。川村氏は「沈みゆく巨艦」とも形容された古巣からの呼びかけに応じて、社長に就任。3年後の12年3月期決算では過去最高の純利益を上げるなど、短期間で奇跡のV字回復を成し遂げた。

さらに氏への評価が高まったのは、その身の退き方だ。14年には日立会長職をあっさりと退任し、米倉弘昌氏の後任と目されていたものの、日本経済団体連合会会長就任も固辞している。

「経営者として見事な引き際だ」と多くの経営者に賞賛された川村氏だからこそ、東電会長職就任の知らせは世間を驚かせた。

「こういう言い方は口幅ったいですが、少しでも東電を支援できないかという気持ちから引き受けました」

16年度から東電の経営改革を議論する有識者会議の一員となった川村氏は、原発事故が社会に与えた影響の大きさを改めて感じるとともに、事故の責任を負う東電の経営の難しさを見て、「このままではへこたれてしまうかもしれない」と危惧していた。さらに川村氏の脳裏をよぎったのは40年以上前の日本のエネルギー危機だ。

70年代のオイルショックで、在籍部門は大幅な赤字。原油価格が倍々で上がっていくのを見ながら、日本のエネルギー政策がいかに脆弱かを思い知った。その後、国は火力発電への依存を見直し、原発の比率を増やしたが、東電の事故が発生。

「停止している原発の穴を埋めるために、毎年、何兆円もの燃料代が日本から流れ出している。それでも、電気はついているし、70年代と比べれば日本にはお金があるから危機意識は高まらないままです。しかし、そのお金は、本来、後輩たちが今後使うために残しておけるはずだった。オイルショックを経験した者として、現在の状況は非常に残念で、このままではいけないという危機感を抱いています」

■東電のボトルネックは意思決定の遅さ

7月10日、小早川社長とともに原子力規制委員会に招集された川村会長だが、田中俊一委員長からは「東電には廃炉に対する主体性が感じられない」と厳しい指摘を受けた。川村会長は、その原因の1つに東電の意思決定の遅さがあると分析する。廃炉作業だけではない。昨年4月に電力小売りが全面自由化。自由競争にさらされ、これまで以上にスピーディーな意思決定が求められている状況だが、社員の意識は追いついていないという。

「同じ部門内であっても、セクション間で十分な情報交換がなされず、意思の統合が図られていない。そういう風通しの悪さは東電が地域独占で長い間やってきた弊害の1つでしょう。また、利益を上げていくぞ、という迫力を感じません」

そのような現状で、日立製作所の構造改革のように、東電の改革を成功に導くことは可能なのだろうか。

「取締役会でも話題に上りましたが、日立製作所の構造改革における『100日プラン』と同じような改革工程表が必要になるでしょう」

原発に関する問題だけではなく、20年からの送配電分離、ベースロード電源の検討、社員の企業文化をどうやって変えるか。経営に関係する重要項目は数多く存在する。それぞれの項目ごとに、いつ取締役会に上げ、いつ対外的に公表するかを決めることで、意思決定のスピードアップを図る。

規制委員会では放射性物質であるトリチウムを含んだ汚染水処理も話題に上がった。

「技術的な問題はすでにはっきりしているのに、具体的な解決につながらないまま、資金を投入し続けている。それは不まじめだというのが田中委員長の意見であり、私も同意します」

トリチウム水の処分については、希釈して海洋に放出するのが最も低コストで、現実的な解決案であるとされている。しかし、環境に影響がないようにすると説明しても、すべての関係者からの理解は得られていない。

「これまで東電が全社員でやってきた、現地に行って膝詰めでお話しする、草刈りをするということも、それはそれで非常に大切です。しかし同時に、大きな課題についての意思決定を早くして、実際に対処していかなければ。トリチウム水にしろ、福島第2原発の今後にしても、今まで東電が想定していたよりも前倒しで結論を出すにはどうしたらいいか知恵を絞りたい」

■日本中が注目する若い社長との二人三脚

生え抜きで営業畑の小早川社長と外部から迎え入れられた技術畑の川村会長。どのように連携を取り、お互いの強みを生かしていくか。

「真夜中の便でバンコクを立ち、朝6時に羽田に到着し、そのまま会社に向かう。グローバル企業の社長はそんな働き方が当たり前になりつつある。そういった企業と比べると東電は遅れていますが、体力勝負という側面があるのは事実で若い社長じゃないと難しい。ただ、若い社長は経験が足りないことがあって、“年寄り”が補う必要があるかもしれない」

小早川社長も先日の弊誌の取材にこう語っている。「経営陣が若返ったことで、主体性を持って様々な問題に取り組める体制になると同時に、経営に対する稚拙さも出てくるかもしれない。ある程度の距離から、経営がおかしいことにならないように、早めに審査いただき、助言、指導をいただけるような関係をつくっていきたい」。

理想的にも見える新体制だが、スタート直後、トラブルが起こった。6月27日、小早川社長は双葉町の仮役場を訪れた。双葉町は言うまでもなく、福島第1原発の所在地。事故後6年たった現在も全町避難が続いており、仮役場もいわき市に置かれている。伊澤史朗町長との面会後、小早川社長は記者会見に臨んだ。

「一部、避難が解除された区域がございますので、まずはそちらの方にご帰還いただけるよう、しっかりと取り組んでまいりたい」

社長のこの発言に、複数の記者が即座に反応した。

「双葉はまだ解除されていない。誰一人帰ってない」「解除されていないがそのあたり、認識をされているのか」

双葉町は事故後、全域が警戒区域とされていたが、13年5月に町のほとんどが帰還困難区域に変更され、町のごく一部、北東部分が避難指示解除準備区域となった。しかし、避難指示解除準備区域であっても、住民は、原則、宿泊も不可能で、一時的な帰宅しか許可されていない。

その後、小早川社長は「避難指示解除準備区域の今後の復興拠点のことが念頭にあり、春から避難が解除されたエリアと取り違えて誤解を招いた。おわびする」と陳謝したが、被災地住民を中心に、新体制への不安を残してしまった。川村会長はこう話す。

「間違い自体は大変よくないことで、現地の方々の気持ちを傷付けてしまいました。ただ、いろいろな地域を回り、首長の方々とお話ししたことは、社長も大変勉強になったと話している。その経験は、言い間違いも含めて、この後いろいろ役に立つはずです」

名経営者とされる川村氏の手腕は確かなものだろう。ただし、日立製作所と東電では大きな違いが1つある。そもそも東電が改革を迫られている背景には、今なお住み慣れた土地から避難せざるをえない住民たちをはじめ、原発事故の被害者が数多く存在するということだ。決して容易ではない、川村氏の新たな挑戦。その舵取りに日本中が注目している。

(ジャーナリスト 唐仁原 俊博 撮影=村上庄吾 写真=時事通信フォト)