純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 いまWOWWOWでやっている『メガバンク』がものすごく不愉快。行員たちを守るため、この銀行を潰すわけにはいかない! だってさ。てめぇ、人のカネで好き勝手にマネーゲームやってて、よく言うよ。行員より、顧客を守れよ。顧客なんか紙の見せ金を積むだけでごまかせる、ちょろいもんだ、って、いったいどこまで人をなめているんだか。


 金融は経済の潤滑油で云々、とか、さんざん教科書でならったけれど、あれ、原発は安全、原発は必要、というウソと同じ。やっぱり屁理屈だと思う。結局、やつら、人のカネを集めて使っているだけで、何にも作っていないし、何も「社会」に貢献していない。どこか別の「社会」にカネを持って行ってしまって、それっきり。それがすべて。そのくせ、高給をせしめ、やばくなると、国に特例救済を袖の下で求める。自分たちを潰したら大変なことになるよ、って。


 嘘つけ。少子化で衰退確実のいまの日本には、もはや大手銀行が多すぎる。重厚長大産業の時代が終わって、資本では世の中は動かない。だから、資金需要そのものがない。それで、マネーゲーム以外、増やす方法が無い。保育所作れよ、介護ホーム入れろよ、活躍できないじゃないか、日本死ね、と思うなら、そもそも少額とはいえ苦労して貯めてきた大切な自分のカネを守りたいなら、ろくに顧客に金利もつけられない無能な大手銀行なんかからカネを引き上げて、地元の地方銀行や信金、農協などに預け替えた方がいい。


 カネは、力だ。もちろん、大手銀行からすれば、個々の個人の預金なんて、ゴミのようなもの。だから、金利をつける気もない。ほっておいても、カネはやってくる。そのゴミのような小銭の決済サービスを片手間でやってやっているのだ、くらいの高飛車。ところが、じつは、日本経済において、年金の総額は莫大だ。年間50兆円にもなる。つまり、国家予算の半分にも相当する巨額のカネが、毎年、高齢者などの年金口座に振り込まれている。給与も同じ。昔は企業グループの縛りがあったが、いま、どこの金融機関で給与を受け取るか、など、個人の自由。ローカルなところでも全国提携は当たり前。


 大手銀行は、長年、苦労して貯めきた年寄の貯金、サラリーマンやパート主婦の貯金を、小口とバカにして金利もつけずにいるが、老人たちが、サラリーマンやパート主婦がこぞって年金受取口座や給与受取口座を大手銀行から引き上げたら、その経営の根幹が揺らぐほどの影響力がある。


 老人やサラリーマン、パート主婦をなめるなよ。一票が軽すぎて選挙では日本は変えられない。だが、大手銀行を締め上げれば、日本全体のカネの流れが変わる。トリクルダウン(大企業が儲かれば、いずれ地方の中小企業にも、そのおこぼれが来るはず)などという子供だましのインチキ話に乗せられ、不正経理や人員整理でごまかし続けている見掛け倒しのアホな大企業の延命なんかしても、あなたのカネは永遠に、あなたの手元には戻っては来ない。ただでさえ銀行は、株式や債券の市場で、あなたの預金をスリまくり、そのくせ、業績に無関係に自分たちの高給で喰い潰してしまっている。


 いったい、やつらになんの義理がある? それほどサービスをしてもらったという覚えがあるか? いや、やつらではない。あなたの惰性こそが、この日本をダメにしているのだ。あなたが年金や給与を大手銀行任せにしているせいで、地元からカネがマネーゲームに吸い取られ、街がどんどん干からびていってしまっている。こんな日本が嫌なら、カネは地元の金融機関に預けて、保育所や介護ホームなど、地元で本当の需要のある事業への貸し出しを、直接、支店長に訴えよう。もっとみんなが必要としている「社会」を地元に作るように、地元の金融機関に働きかけよう。


 金融機関は、どこでも同じ、ではない。ローカルでも、城南信金や静岡銀行など、カネ儲け以上の気骨と理想を持つ金融機関もある。こんな時代、どうせどこでも大して金利など期待できないのだ。だったら、ふるさと納税などと同様、金融機関の経営方針やその実際の融資状況、地元の支援活動を見て、自分がほんとうに応援したいというところにこそカネを預け、そこで年金や給与を受け取ろう。大したことではないが、それが、下手な政治デモなんかより、よほどインパクトのある、あなたの社会参加。自分たちの生き残りのことしか考えていないやつらに任せっきりにしていたって、このままではけっして良い日本にはならない。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)