純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

写真拡大 (全2枚)

 ユニクロやマックの経営が芳しくないとか。そりゃそうだろう。あんなつんつるてんでへたれなもん、体格の良いジョックは着られないし、食べた気がしない。ジョックに嫌われたものが、世間ではやるわけがない。ナード・マーケッターに騙されたのだ。


 ジョック(豪傑)/ナード(貧弱)の対概念は、もともとは米国のスクールカーストの頂点と最底辺。しかし、長年の広域流動の結果、いまや人間そのものの階層格差として世界中に広まり定着しつつある。すなわち、地域を越えて名家の子女は名家の子女同士と結婚し、その他はその他同士とくっついたために、家柄も学歴も身体も屈強優位なセレブ連中と、いろいろとさえない貧弱な庶民とに「人種」が分離してきてしまったのだ。


 この階層分離は、身分制の残った英国では昔から顕著だ。貴族と庶民では、身長や体格が露骨に異なってしまっている。しかし、その英国から独立したはずの米国でさえ、昨今、上記のような状況なのだから、その他のヨーロッパ諸国なども当然。もちろん、城館をホテルに改装して営業しないと喰っていけない貧乏貴族もいるし、ベッカムやザッカーバーグのようなスポーツ成金、IT成金もいるが、これらはまさに例外。現実の人生の安定度は雲泥の差。


 ジョック/ナードでは、生活が違う。ジョックは、三食がっつり肉を喰う。ナードは、四六時中だらだらと炭水化物のジャンクフード。ジョックは、名誉職としてしか働かず、スポーツや余暇を満喫。ナードは、長時間の通勤、長時間の拘束、サービスやパソコンの単一仕事で一生を明け暮れる。そんな違いが何代も続き、何代も交配した結果、体格や発想からして、ジョック/ナードでは、まったく違うことになってしまった。


さて、ユニクロだが、1984年にできたときは、中産階級のための高品質低価格大量生産でヒットした。これを、日本ジョックの典型のようにガタイがでかいタナカノリユキと玉塚元一がフリースやBODY TECHなどのスポーツ系高機能商品で人気ブランドに押し上げた。キャラクターも、チアガール(ジョック・クィーンのシンボル)のごっついゴリエ。カラフルな原色だらけのアメリカン・カジュアルがウリで、店舗店員もまた、体育会系の体力勝負。ところが、2005年9月に玉塚が解任されると、雑誌や若手デザイナーとのタイアップ比重が増し、2006年秋シーズンものから「スキニー」や「スリム」へ急旋回。ジャケットもケツ丸出しで暗いNYユダヤ系風ナード・ファッションで、色数も激減。おしゃれになったつもりかもしれないが、十年前とは、もはやまったく別の、負け犬ブランド。客層も、ちっちゃい若者と老年ばかり。かつて高機能低価格のユニクロ商品を歓迎したアスリートたちは、もはや近寄りもしない。


 マックも同じようなもの。マックができた当初、それは「東京」のジョック連中だけが食べられる、かっこいい新種の「肉」だった。ロードサイドにできたピカピカのマックで、体育会系ノリのクルーとして働く学校の先輩たちは、英語でオーダーを飛び交わせ、きびきびと働いてスターやスウィングマネージャーに昇格して店を仕切り、その様子には後輩たちだれもがみなあこがれた。ところが、94年に競合他社潰しで「エブリディ、ロープライス」を打ち出し、これがたまたまちょうどバブル後のデフレ戦略を先取りしたものとなったが、ジョック連中は、あんな腹の足しにもならないもの、堅くて狭くて座っていられない場所を見捨てていった。まして、それがまともな「肉」ではない、となると、貧乏人ですら見放した。価格を下げず、味と中身とサービスのプレミアム性を堅実に維持したモスやケンチキがジョック御用達(肉汁やアブラがはみ出てきても、がっつくような豪胆な喰いもの)としてその後も生き残ったのに対し、マックは、味も中身もサービスも貧弱な、安いだけ、子供騙しのオマケがウリなだけのナード・バーガーとして市場に位置づけられてしまった。


 困ったことに、編集者やデザイナーは、まさにクセの強いナードだらけ。虚弱な身体と歪曲した精神で劣等心に凝り固まった学生生活を送ってきたやつらは、「華奢」で「繊細」なナードこそが「本当」はかっこいいんだ、という奇妙なルサンチマン(怨嗟)を心底から信じており、その間違ったマーケティング方針を本気で主張する。そして、実際、凡庸なナードこそ、市場全体としては、相当な数がいる。最底辺なのだから、頂点のジョックよりはるかに数が多いのだ。だから、企画会議でも、編集会議でも、多数決で物事を考えるなら、なんとなく、こじんまりと、うまくまとまっている連中の意見の方が通ってしまう。


 だが、市場は、生き物だ。静的ではなく、動的に見なければいけない。ナード連中は、数こそ多いが、もともとひねくれ者の嫌われ者。ジョックが好むものをバカにして、ジョックが嫌う変なものをありがたがり、口数が多く、あーだ、こーだ、と、小難しい能書きや屁理屈を声高に垂れて、組織や業界の中では大きな顔をしているが、人間の「群れ」の末端に所属することすら許されなかった連中の話など、広い外の市場では、誰も聞いちゃいないし、誰も聞く気も無い。一方、豪快な肉食系バーバリアンであるジョックは、全体から見れば少数派で、やること、なすこと、破天荒に垢抜けないが、まさに誰にでも好かれている人気者で、世間では圧倒的な牽引力、波及力を持っている。女王蜂に働き蜂が従うように、人間においてもまたジョックこそが「アルファ」(群れの筆頭)であり、ジョックが好むものにだれもがあこがれ、ジョックが 嫌うものは、その他にとっても、ださい、とろい、貧乏くさい、とされる。


 人間に身分差ができるのは良い社会傾向とは思わないが、実際に市場を引っ張っているのは誰か。それは、セレブのでかいジョック連中。それが、我々の経済の現実だ。「仕掛け人」を自称する体格も精神も貧弱な、口先ばかりのナード・マーケッターなどではない。そんなルサンチマンの屁理屈に振り回されていたら、ジョックはいよいよ遠ざかり、それに従う一般庶民も寄りつかなくなる。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)