颯爽として国政の場に登場した石原慎太郎は、3年後の昭和46年(1971年)6月の総選挙に、それまでの参院議員を辞めてクラ替え出馬、衆院議員に転じた。参院議員では、将来、目指す首相の座は難しいことを知ったようである。いわゆる“タカ派集団”の「青嵐会」を結成したのは、衆院議員に転じたその翌年のことだった。一方の首相の座についた田中角栄は、世論の「今太閤」「庶民宰相」の声のもと、早々と「日中国交正常化」に踏み