アメリカ国立公文書記録管理局のアーカイブス・カレッジパークに保存されている写真をもとに、第二次世界大戦時に日本へ投下された原子爆弾「リトルボーイ」と「ファットマン」が製造&運搬される様子を詳細に追った貴重な写真が公開されています。

An illustrated guide to the Atomic Bombs By Ryan Crierie

http://www.alternatewars.com/Bomb_Loading/Bomb_Guide.htm

第二次世界大戦中に原子爆弾を製造するため、アメリカ・イギリス・カナダの科学者が総動員されたのが「マンハッタン計画」です。この計画は1942年にスタートし、1945年の7月には世界初の原爆実験を実施し、8月6日に広島、同月9日に長崎へ原子爆弾を投下。たった2発の爆弾で合計30万人以上の死傷者が出ました。この「マンハッタン計画」の名前の由来は、プロジェクトが進められたのがアメリカのマンハッタンであったから、とのこと。計画の最初の本部となったのは、マンハッタンの市庁舎から通りを渡った筋向かいにある高層ビル。他にも世界屈指の名門私立大学であるコロンビア大学や、さまざまな倉庫や高層ビルの一角など10箇所を超えるさまざまな場所でマンハッタン計画は進められており、これらはすべてマンハッタンにあったため計画の名前が「マンハッタン計画」という名前になった、とのことです。

以下の画像に複数本写っている筒状のものは、マンハッタン計画の中で作られた核分裂弾頭型(ガンバレル型)の「シンマン」と呼ばれる試作原子爆弾の実験用ケーシング(外殻)。その背後で重機と人の手により運ばれているのが、1945年8月9日に日本の長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」です。このファットマンは初期型の1222型(ケーシングに1200本以上のボルトが必要であったためそのような呼び名になった)なのか、より組み立てやすく丈夫に進化した1561型であるのは不明とのこと。



◆初期の爆弾組立・運転作業

以下の画像は原子爆弾の外殻部分をチェックしている様子を撮影したもの。爆弾の内部装置を包むことになる外殻パーツは、核分裂性物質は入れていないものの、原子爆弾に実際に使用されるパーツを搭載した状態で多種多様なテストが行われたそうです。



左側に写っているのがファットマンの爆縮レンズなどを搭載した内部装置で、これは右側の外殻パーツに取り付けるところ。



こちらはLos Alamos National Lab(LANL)のサイト上に掲載されている、「リトルボーイ」の組み立て中の写真。



リトルボーイは1945年8月6日に広島へ投下された原子爆弾で、以下の写真は内部ユニットを外殻に収納してしまう前にパーツのテストもしくは充電を行っている様子。



リトルボーイに触れている左の男性はFrancis Birch氏。彼は外殻パーツにリトルボーイのユニット番号である「L-11」と書いているところで、Birch氏の様子を見守っている右側の男性はNorman Ramsey氏。共に第二次世界大戦中に原子爆弾の製造に関わった科学者です。



◆最終組み立て作業

最終組み立ての終わったファットマンは、ケーシングの隙間をパテで補修され、その上から封かん剤を吹きかけられ、そして飛行機で目標地点まで運ばれます。

組み立てられた状態のファットマンはコレ。ファットマンの先端部分でせっせと男性がパテで隙間を補修しています。



そして封かん剤をプシューっと吹きかけて完成。



テールフィン部分と爆弾の先端部分、そして男性が着ている作業着にはファットマンのロゴが入っています。



パテを塗り、封かん剤を吹きかけたあとのファットマンのカラー写真はこんな感じ。外殻は放射能標識を思い起こさせるイエローカラー。



原子爆弾が完成すると、組み立て作業員は自身の名前やサインを書き込んだそうです。



テールフィン部分にもこんな具合に作業員のサインがぎっちり。



「A Second Kiss for Hirohito!(ヒロヒトは、第二次世界大戦時の日本の天皇であった昭和天皇の諱)」とファットマンにサインしたのは、アメリカ海軍のW.R. Purnell少将。なお、最初に日本に落とされた原子爆弾リトルボーイには「First Message For Hirohito」というメッセージが書き記してあった、とのこと。



関係者による外殻へのサインが終わり、いよいよ飛行場へと輸送される段階となったファットマン。



◆爆弾を運搬

完成した爆弾はカバーをかけられた状態で、牽引車に引かれて飛行場へ向かいます。



これは飛行場内に作られた原子爆弾を収納しておくためのスペース。



この穴は現在こうなっています。





運び込み中。原子爆弾の運搬作業を行っている人々は皆上半身裸で、とても核兵器運搬中の物々しい作業とは思えません。



そして収納スペースに……



ようやく到着。大きく掘られた収納スペースの上に金属の棒を掛けて、その上に牽引車を配置します。



牽引車からケーブルが外され……



牽引車ごと爆弾を油圧リフトで持ち上げ、その隙に牽引車が載っかっていた金属の棒をせっせと人力でどかします。



そしてリフトでゆっくりと降ろし……





無事収納完了。セキュリティ的な理由から防水シートはかけられたままであったそうです。



その後、日本まで原子爆弾を運ぶための爆撃機「エノラ・ゲイ号」が姿を現しました。



多くの関係者が見守る中ゆっくりと後退しながら原子爆弾の元に到着。





積み込み段階になってようやく姿を現したリトルボーイ。





油圧ポンプで持ち上げ……







そしてリトルボーイは爆撃機の爆弾倉に収納&固定され、運搬されます。



エノラ・ゲイ号内に収納されたリトルボーイがこれ。



なお、「マンハッタン計画」に携わった全科学者の顔写真をまとめた、という一風変わったページも存在します。

Faces of Project Y by Alex Wellerstein

http://blog.nuclearsecrecy.com/misc/faces-of-project-y/