キャッチャー一本で25年間メシを食ってきた男・谷繁元信の「財産」と「これから」に江夏豊氏が迫る

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プロ野球史上最も遅い25年目、42歳4ヵ月での2000本安打達成―。それは裏を返せば、現在に至るまでキャッチャーとして圧倒的な存在感を示し、ポジションを守り続けてきたことの証でもある。

プロのキャッチャーとしての基礎をつくり、38年ぶりのリーグ優勝と日本一の美酒を味わった大洋・横浜時代。2002年のFA移籍後、一度もBクラスに落ちたことのない常勝チームの司令塔として投手陣を引っ張り続ける中日時代……。25年間、“最もしんどいポジション”でメシを食ってきた大ベテラン・谷繁元信の神髄に、江夏豊氏が迫る!

■“優しい顔の鬼”が捕手・谷繁を育てた

江夏 まずは、通算2000本安打達成おめでとう。

谷繁 ありがとうございます。自分ではあまりピンとこないというか、本当に打ったのかな?という感覚なんですけどね。

江夏 でも、2000本といえば一流バッターの証だよな?

谷繁 僕の前に達成した43人の方は、皆さん一流だと思います。

江夏 そして、ついにあなたもそこに仲間入りだ。

谷繁 いえ、自分は大したバッターじゃないと思っているので(笑)。2000本まで24年とちょっとかかりましたし。

江夏 それだけ長くやっているのは、谷繁といえば誰もが認める、「ボールを受けるだけ、リードだけでメシが食えるキャッチャー」だからだと思うよ。

谷繁 自分でも、打つほうより守りの意識が強いです。僕が試合に出る理由は、ある程度試合をつくって、なんとか勝っていくこと。常にそう考えながらやってきたおかげで、2000本までいったのかなと思っています。

江夏 捕手としては野村克也氏、古田敦也(あつや)に次いで3人目。「素晴らしい」のひと言だよ。2000本目を打ったのは神宮球場でのヤクルト戦だったけど、達成の瞬間、相手サイドからもたくさんの温かい拍手があった。野球ファンがあなたの功績を本当に認めて、敵だろうが味方だろうが称賛すべきだと感じていることを実証したシーンだったと思うよ。

谷繁 あの一瞬は、本当にうれしかったですね。

江夏 テレビ局もあのとき、うまい具合にご両親を映して、観ている者の胸を熱くさせた。「これで谷繁の野球人生は終わりなんじゃないか」というくらい、よくできた映像だったよ(笑)。

谷繁 はっはっは(笑)。


江夏 まあ、それぐらい心を動かされたし、ヤクルトの宮本慎也が花束を贈ったのも微笑ましかったね。彼も“守備の人”だったから、昨年、2000本安打達成のときは周りが盛り上がって落ち着かない部分もあったらしい。あなたの場合は何か変わった?

谷繁 やっぱり、自分の実感以上に周りのみんなが騒いでくれましたね。プロ野球選手ですから、たまには騒がれるのもいいかなと思いました(笑)。

江夏 そもそも25年前、高校からプロに入って、ここまでやれるという意識はあった?

谷繁 まったくなかったです。40歳を過ぎてもやれるとか、2000本も打つなんて本当に1ミリも考えていませんでした。

江夏 それも宮本と同じだな(笑)。あなたは大洋・横浜(現・横浜DeNA)で13年間プレーして、中日に移ってから今年で12年目。いろんな人との出会いがあったと思うけれど、例えば横浜時代、同じ捕手出身でバッテリーコーチ(1993〜95年)、監督(96、97年)として接した大矢(おおや)明彦氏の指導はどうだった?

谷繁 大矢さんから教わったことは、僕の中ではかなりのウエイトを占めると思います。

江夏 具体的には?

谷繁 まずはひとつひとつの球種、例えばカーブというボールに関するいろいろな知識ですね。それと、人を見るということの訓練。「野球だけじゃなく、日頃の生活から常に人を見る訓練をしなさい」と、よく言われました。

江夏 彼は優しいだろう?

谷繁 そう思いますよね? 実は“鬼”です。

江夏 ウソやろ!(笑)

谷繁 いや、本当です。練習だって本当にキツいですから……。優しい顔をした鬼なんです。

江夏 じゃあ、われわれはあの顔にだまされてたのか(笑)。

谷繁 そうです。妥協は一切なし。「もう無理!」とこっちが思っても、平気な顔でノック打ちますから。「もうダメだ」とちょっと演技すると、普通は「よっしゃ、じゃああと3本!」とかいうことになるんですけど(笑)、大矢さんはまずないです。

江夏 はっはっは(笑)。そのあたり、現役当時はチームも違ったし、よう知らんかった。まして、ピッチャーの立場から見たら“優しいキャッチャー”という印象もあったしね。たとえ打たれても決して「ピッチャーの投げた球がどうだった」とか、「俺のサインに首振った」とか言うような人じゃなかったからな。

谷繁 まさに、そのことも教えられました。「とにかく我慢しなさい」と。「キャッチャーは自分の思いどおりになるわけがないんだから、そこをグッと我慢して、ちゃんと次に答えを出しなさい」と、よく言われましたね。




■バッテリー関係は小さいことの積み重ね

江夏 いい出会いだったんだな。その後、中日では8年間、落合博満(ひろみつ)という監督の下で戦った。最初の印象はどうだった?

谷繁 落合さんが就任される前年、僕は一応レギュラーとして試合に出ていたんですが、「レギュラーとは思っていない」というようなコメントを、新聞を読んで知ったんです。しかも、「2月1日、キャンプ初日に紅白戦をやるから、それまでにしっかり体をつくってこい」という通達があった。こりゃ、そこにしっかり合わせて、自分を見てもらわなきゃいけないと思いました。

江夏 キャンプといえば、落合監督は通常の「4勤1休」をやめたことも話題になったよな。

谷繁 基本は「6勤1休」でした。

江夏 一種独特の指導者だったからね。練習方法にしたって、言葉ひとつにしたって、いろいろとまあ……カチンとくることもあったと思う(笑)。

谷繁 まあ……人間ですから(笑)。ただ、今振り返ってみると、あのキャンプを経験したからこそ、選手として長くできているということもあると思います。

江夏 プラスになった?

谷繁 練習の内容にしても量にしても、ある程度の体をつくってキャンプに入れるように、シーズンオフの過ごし方を前以上に考えるようになりました。昔はそこまでじゃなかったですから。

江夏 自分も現役時代はそうだったけれど、オフは遊び疲れて、「さあ、ぼちぼち野球したいから始めるか」という。

谷繁 ええ、昔は4割、5割という感覚で2月のキャンプに入っていたのが、最初に7割から8割で体をつくってから入ってみると、たとえ6勤1休でも意外に楽だったんです。

江夏 それと、これは横浜時代もそうだったけれど、あなたはキャンプでよくブルペンに行ってボールを受けているよね?

谷繁 できる限り受けるようにしています。

江夏 実際、受けるだけで相当スタミナがいるよな。

谷繁 そうですね(苦笑)。特にキャンプの初めの頃はキツいです。

江夏 立ったり座ったりの繰り返しで、周りで見ている以上に疲れる練習内容だよ、あれは。いつもキャンプでブルペンを見させてもらいながら、「もう若くないのに、よくやっているなあ」と感じていたんだけどね。


谷繁 逆の立場になって考えれば、それをやらないとピッチャーは「なんで受けてもいないのに俺のことがわかるんだ?」という気持ちになると思うんです。僕だったらそう思いますよ。だから、ちょっとでも時間があれば見に行くし、ちょっとでも受けたいんです。

江夏 うれしいんだよね、若いピッチャーにしてみれば。レギュラーキャッチャーが受けてくれるというのはね。

谷繁 だと思います。いくらベテランのレギュラーキャッチャーでも、「なんで受けに来ないの?」という疑問を感じたピッチャーは信じてくれないですから。

江夏 そういう気持ちが、試合でバッテリーを組んだときにフッと出てきてしまうケースがある。それも大事な試合、大事な場面ほど出やすいものだから、やっぱりちょっとでもボールを受けたほうがいいよな。

谷繁 小さいことかもしれないですけどね。

江夏 でも、バッテリー関係は小さいことの積み重ねだから。

谷繁 確かにそうですね。

■3位狙いは絶対ダメ。必死に優勝を目指す

江夏 バッテリーといえば、あなたは横浜で“大魔神”佐々木主浩(かづひろ/日米通算381セーブ)と組み、中日では今年4月に通算350セーブを達成した岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)と組んでいる。どちらも日本を代表する抑え投手だけど、まったくタイプは違うんだよな。

谷繁 全然違いますね。でも、ひとつだけ共通点があるんですよ。

江夏 ほお。それはどんな?

谷繁 優しいんです。ふたりとも。

江夏 打たれたら、「俺が悪いんだ。キャッチャーのリードは悪くない」と言ってくれる?

谷繁 そうですね。佐々木さんなら「わりぃ、わりぃ」とか、岩瀬なら「すいませんでした」とか、謝ってくれます。

江夏 自分なんか、打たれたら「おまえのリードが悪いんだ、しっかりしろ!」って言いたくなったもんだけど(笑)。

谷繁 はっはっは(笑)。グラウンド上だけじゃなく、ふたりとも普段から本当に優しいですよ。

江夏 その優しい男たちが、日本の野球史に残る名リリーバーだもんな。あなたが育て上げた、という言い方は変かもしれないけれど、共に苦労して一時代をつくったと思う。




谷繁 最初は僕が佐々木さんに育てられたほうです。あのワンバウンドを止められるようになって、1回から9回まで全部出られるようになったんですよ。それまでは、佐々木さんが登板するとキャッチャーも代えられていました。

江夏 あのフォークボールを捕るのはひと苦労だったと思うよ。

谷繁 もともと僕はワンバウンドを止めるのがヘタクソだったので。でも、慣れればあれほど簡単なワンバウンドはないですよ。

江夏 そういうもんか。

谷繁 佐々木さんのフォークは少し回転しながら落ちてくるので、軌道が一定で、そこに体を持っていけば止められるんです。ほかの人のフォークは回転が少なくて揺れたり、軌道も跳ね方も不規則で止めにくいんです。

江夏 それはもう、受けている人しかわからない感覚だね。じゃあ、岩瀬のスライダーは?

谷繁 最初は難しかったです。横浜時代には打者として対戦した経験もあって、膝元に投げられたら「消える」くらい曲がるという印象だったんですが、受けてみて、やっぱりすごいなと。

江夏 何もなければいいけれど、バッターが空振りしたときは捕球も難しいんじゃないか?

谷繁 でも、岩瀬はコントロールがいいので、軌道に対してミットを出せばそこにくるんです。

江夏 それはあなただから言えることじゃないかな。ともかく、球史に残る両投手と組んだ経験は大きな財産だし、今後にもつながると思うよ。これからの谷繁の野球人生、どうなるかまだまだわからないと思うけれど、何か希望、願望はある?

谷繁 希望ですか……。いや、特にないですね。

江夏 今のまま?

谷繁 はい。今と同じプレーができて、精神的にも「もうダメだ」と思わず、何よりチームに必要とされていれば、できるところまで現役でやりたいと思います。

江夏 チームの成績が下がって、低迷したらどうだろう。

谷繁 それでも最後まであきらめずに戦うことが第一です。今のルールではクライマックスシリーズがあるといっても、あくまで優勝を狙って戦わないと3位には入れません。最初から「3位でいいや」なんて思っていたら、絶対にズルズルいきますから。


江夏 今年はスタートに失敗したけれど、中日はこのまま終わるようなチームじゃないよな。

谷繁 終わらないようにしたいと思っています。

江夏 そうなるかどうか、正捕手のあなたにかかっている部分も大きいと思う。試合前までは監督がなんだかんだ言うけど、いざ始まれば、試合をつくっていくのはキャッチャーだから。

谷繁 試合をつくることはできるので、なんとか頑張ります。

江夏 そして、野村克也氏の通算最多出場記録「3017試合」までという思いは?

谷繁 その数字を目標にしてはダメだと思うんです。とにかく今日の試合に対してちゃんと準備をして、必死になって戦って、終わったら次の試合に向けて準備していく。僕はその繰り返しで今までやってこれたと思っているので、あと何試合出るためにこうしなきゃ、というのは……。

江夏 そういうのは一切ない?

谷繁 ないです。

江夏 今までとまったく同じスタイルで戦っていくと。

谷繁 はい。そうでないと、僕はたぶんできないと思います。

江夏 よっしゃ、ぜひそれで頑張って。今日はありがとう。

谷繁 ありがとうございました!

(構成/高橋安幸 撮影/五十嵐和博)

谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)


1970年生まれ、広島県出身。江の川(現・石見智翠館)高校時代は強肩強打の捕手として通算42本塁打を記録し、夏の甲子園に2度出場。88年、ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)入団。02年、中日ドラゴンズへFA移籍。今季、史上44人目の通算2000本安打と史上3人目の「2球団で1000本安打」を達成。5月22日現在、通算1000打点まであと2、野村克也氏が持つ3017試合出場のプロ野球記録まであと204に迫っている

江夏豊(えなつ・ゆたか)


1948年生まれ。阪神、南海、広島、日本ハムなどで活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などの記録を持つ伝説の名投手。通算成績は206勝158敗193セーブ。現在は野球評論家