いよいよ今日から、第3回WBC(WORLD BASEBALL CLASSIC)の予選第1ラウンドが始まる。わが日本代表チーム(侍ジャパン)は、初戦をブラジル、第2戦を中国、第3戦をキューバと戦う。

 あえて3連覇に向け提言をするのなら、監督は選手を信じすぎないことだろうか。
 無闇に選手を疑えと言っているのではない。監督には、選手の実績や情に惑わされることなく、調子や戦況に応じた柔軟な采配が求められる。

 小野俊哉著「日本シリーズ全データ分析―短期決戦の方程式」(ちくま書房)は、1950年の第1回大会から2008年までの日本シリーズをまとめたデータ集だが、同時に2008年開催の北京五輪における野球日本代表についても触れている。

 この大会では、星野仙一が代表監督に就任。選手は前のアテネ大会に次ぐオール・プロで、投手陣にはダルビッシュ有上原浩治杉内俊哉、野手陣には阿部慎之助中島裕之西岡剛川崎宗則青木宣親稲葉篤紀などと、スター選手が顔を揃えた。

 金メダルが期待された日本代表だったが、結果は4位。決勝トーナメントの準決勝では韓国2対6、3位決定戦では米国4対8で破れ、メダルにも手が届かなかった。

 小野氏は、北京大会での敗因の1つに、星野当時代表監督の采配を挙げている。
 星野当時代表監督は、選手を信用し、試合中はあまり動かない監督だ。ペナントレースではこれまで、中日ドラゴンズ阪神タイガースで監督を務め、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスで指揮を取っているが、試合中はどっしりとベンチに構えている。自分が信じた選手たちを、「頼んだぞ」とグラウンドに送り出している。
 それを意気に感じた選手は、ときに期待通りの活躍をする。失敗しても、次こそ監督の期待に応えようと奮起する。
 144試合もあるペナントレースでは、選手を信じ、育てながら勝つこのやり方は、功を奏している。

 だが、短期決戦の北京大会では、通じなかった。例えばドラゴンズから代表入りした岩瀬仁紀。ドラゴンズ監督時代から岩瀬を良く知る星野当時代表監督は、北京大会でも岩瀬をクローザーに指名した。
 その岩瀬が、予選から不調。2敗を喫し、防御率は8.31に跳ね上がった。
 それでも星野当時代表監督は、決勝トーナメントの準決勝、対韓国戦でも岩瀬を起用。8回2対2の同点と、息詰まる展開だったが、はたして岩瀬は調子を取り戻すことなく、わが国の敗退に繋がった。

 星野当時代表監督が起用を誤ったもう1人の選手が、G.G.佐藤。前年に、打率.28069打点25本塁打をマーク。2008年も、5月の月間MVPを受賞する活躍で、代表入りを果たした。
 そのG.G.佐藤は、準決勝の対韓国戦で、3失点に絡む2失策。星野当時代表監督は親心か、そんなG.G.佐藤を続く米国との3位決定戦にも先発出場させたが、3失点に絡む落球を犯してしまった。

 3位決定戦でのG.G.佐藤の先発起用について指揮官は、「名誉挽回のチャンスを与える意味で起用した。オレという人間の弱さがモロに出た」と、述べている。
 岩瀬のケースもそうだが、選手の実績や情に惑わされることなく、調子や状況に応じた采配ができていたら、結果は変わっていたかもしれない。

 第3回WBCで指揮を取る山本浩二代表監督には、先人の反省をしっかり学んでもらいたい。
 チームは万全とは言い難い。エースとして期待されている田中将大前田健太、中継登板での起用が濃厚な涌井秀章は、滑りやすいとされるWBC使用球への対応に苦労している。また、キャプテン・捕手・4番の重責を担う阿部、日米で実績豊富な松井稼頭央は満身創痍だ。
 いずれもペナントレースで実績豊富なビッグネーム。日の丸を背負う意気込みも強い。
 だが、山本代表監督には、それらに目を奪われること無く、冷静な判断を下してもらいたい。

 もちろん、信頼していた選手が復調し、結果を残すケースもある。2009年の第2回大会イチローなどがそうだ。
 この大会、イチローは予選から準決勝まで調子が上がらなかったが、韓国との決勝戦では延長10回、林昌勇から決勝の2点タイムリーヒットを放ち、わが国の大会2連覇に貢献した。最後の最後で、原辰徳当時代表監督の信頼に応えた。

 だが、このようなケースは稀。日本シリーズでもそうだが、短期決戦では往々にして、選手の復調を待っている間に試合が終わってしまう。件のケースは、イチローだからこその芸当だ。

 「選手を信頼していた」は、勝ち試合後のコメントだけで十分だ。試合中は、いかに選手を信頼しないかが、指揮官に求められる。