■去る3月11日、法政大と東京国際大のオープン戦が行われた。一見、ただの大学生の練習試合に過ぎない。でも法政大の監督が金光興二さん、東京国際大の監督が古葉竹識さんということで、試合結果ではなく、過去2人にあった経緯から、ボクはこの対戦に興味が湧いた。

金光さん「あのときは、なぜ・・・ですか?」
古葉さん「いやぁ、すまん、すまん。実は・・・」

ひょっとして、こんな会話があったかな?
このことは、今から35年前、1977年のドラフトに遡って説明する必要がある。


■高校時代からプロ球界から注目されていた金光さん、1973年夏の甲子園では、主将として広島商高を優勝に導くなど傑出した選手だった(同期に達川光男佃正樹)。その後進学した法政大では東京六大学リーグで優勝5回、さらに明治神宮大会連覇に大いに貢献した(大学の同期生はスター揃い。江川卓袴田英利島本啓次郎らがおり、「花の(昭和)49年組」と呼ばれた)。

そして迎えた1977年のドラフト。
当然プロ球界は金光さんに熱い視線を送った。本人もプロ入りを希望、そして地元・広島への入団を熱望した。広島もその気で、両者は相思相愛だという報道もあった。だが結局、広島が金光さんを指名することはなかった。広島が1位指名したのは盈進高の田辺繁文という投手。そして4位に指名したのは、広島商高で金光さんのチームメイトだった東洋大の達川光男だった。

広島の名スカウトだった木庭教さんが金光さんを推さなかったことが理由と聞いたこともあるが、その真偽はわからない。実はこの時、広島の監督は古葉さんだった。

代わって金光さんを指名したのは近鉄だった。ドラフトで選手と球団のすれ違いがあることはよくあること。最近では菅野智之のケースもそう。菅野は浪人の道を選んだが、金光さんは近鉄の指名を受けることなく、それを拒否してノンプロに進んだ。以降、指導者の道を歩むことになった。プロ入りすることなく、アマチュア球界に身を置き続けるきっかけになったのが、このドラフトだった。

もし古葉さんが金光指名を決断していたら? ボクはそう考えたことがある。金光さんなら、きっとプロの世界でも好成績を残して、今頃は広島の監督に就任していたかもしれない。そんな妄想をしてしまうのだ。

あれから35年が過ぎた。2人はプロ野球とは違う、大学野球という世界で相対していることに不思議な縁を感じる。冒頭に書いた会話が実際にあったわけないけれど、江川卓さんと小林繁さんがTVCM(清酒・黄桜)で相対した時のような、緊張感をもって会話するシーンがあるのなら、ボクはこっそり覗いてみたいと思う。


■妄想ついでに、もうひとつ。
ドラフトがあった2年後の1979年、日本シリーズは広島と近鉄が戦った。両者3勝3敗で迎えた第7戦、後に『江夏の21球』で有名なった9回裏の攻防を、ボクは妄想することがある。

第7戦、11月4日、大阪球場
広島  101 002 000 =4
近鉄  000 021 00 =3

もし、ポジションがショートの金光さんが近鉄に入団していたら、この戦いはどう変わっていたろうか、と。当時、近鉄のショートは石渡茂だったが、プロ2年目の金光さんなら、ポジションを石渡から奪っていた可能性がある(石渡さん、申し訳ない!)。打順はもちろん、石渡と同じ1番だ。

だとすれば、そもそも一死満塁の場面で、石渡のスクイズ失敗は球史に存在しなかった。金光さんが打席に入り、スクイズをばっちり決めていたかもしれない。はたまた逆転適時打をかっ飛ばしていたかもしれない。

だとすれば、この時、近鉄にとって悲願の日本一が成就していたかもしれない。所詮、大の近鉄ファンだったボクの戯言であるけれど。


いや待てよ、もし金光さんが広島に入団していたら、どうだったろうか。妄想が膨らむ。

当時、広島のショートは難敵・高橋慶彦だったため、金光さんのポジション奪取は叶わない。では仮に、三塁を守っていたらどうだったか、ボクは想像してみる。

9回裏、近鉄が無死満塁のチャンスで打席に立ったのは佐々木恭介。カウント1−1から江夏豊が投げた3球目を佐々木は強振した。打球は大きくバウンドして、ジャンプした三村敏之三塁手が差し出したグラブのわずかに上を通り過ぎて、三塁線左側にポトリと落ちた。一瞬、逆転サヨナラ適時打かと思ったが、判定はファール。

三村は後に「あの時、自分の身長が低くて助かった(173cm)。もし衣笠(祥雄)が三塁を守っていたら、グラブの先に打球を当てて、フェアになっていたと思う」と語っていた。ちなみに衣笠の身長は175cm。

もしこの場面で、身長179cmの金光さんが三塁を守っていたらどうだったろうか。きっとグラブの先に当てて、打球はフェアになっていたに違いない。

だとすれば、三塁走者の藤瀬史朗、二塁走者の吹石徳一が相次いで生還し、近鉄は日本一を達成していたかもしれない。


■もし金光さんが近鉄もしくは広島に入団していれば、球史は大きく変わっていたかもしれない。そして山際淳司さんが『江夏の21球』をテーマに作品を書くこともなかったかもしれないのだ。

※金光さんの身長が179cmもあったら、打球はグラブに収まり、5−2−3の併殺が成立したのでは? といった指摘もあると思いますが、それはボクの妄想には存在しません。念のため