FC東京の監督が交代した。現在、後ろから数えて3番目。当然と言えば当然。むしろ、遅すぎる選択というべきだろう。とはいえ、新監督の座に就いたのは、FC東京の元監督であり、岡田ジャパンでどんな役を果たしていたのかよく分からなかった大熊コーチだ。大丈夫なの? と、クビを傾げたくなるのは僕だけではないはずだ。
それはともかく、FC東京に限らず、Jリーグの各クラブは、監督交代のタイミングが遅い。概して頻繁ではない。そうした意味での騒動が少ない。

そのクラブに相応しい順位から、3位ほど後ろの順位に3週間以上低迷すると、海外の地元メディアがまず放っておかない。ピ−チクパーチク、監督交代を囁き始める。
その点こそが日本との大きな違いだ。日本はそれどころか、批判さえしない。地元メディア、つまり日本の地方のメディアは、とても大人しい。日本代表で言う「岡田辞めろ!」と言い出しそうな勢いは、まずうかがえない。

「地方は狭い世界なので」とは、よく聞く台詞だ。批判記事を書くと、クラブから目を付けられることもない話ではないらしい。僕のようなタイプが番記者でもやっていたら、即、閉め出されているに違いない。そうした文化に慣れていないというか、習慣がないのだろう。外国を遠く感じる場所とはこのことだ。日本代表報道の方が、遙かに健全な気がする。
とはいえ、FC東京の本拠地は文字通り東京だ。地方ではない。もっと洗練されていてもいいはずだが、よく考えれば、FC東京の話題を熱心に扱いそうな大メディアはほとんど見当たらない。

プロ野球で言うところの読売巨人軍的な存在ではないのだ。強いて言えばヤクルトスワローズか。メジャーのようでメジャーでない、ある意味で盲点のクラブだ。「FC東京」という王道を行くようなクラブ名を掲げているにもかかわらずだ。
あまりにも王道を行き過ぎていて、あまりにも名前が大きすぎて、取り付く島がない。愛着が湧かない。匂いがしない。名前負けしている。
なにより東京都民が引いてしまうのだ。つまり東京がセールスポイントにはなっていない。

東京は日本の中心(そう言いたくはないけれど、事実上)だ。FC東京とは「我々は日本の中心にあるクラブです」と、宣言しているようなものだ。しかしながらメジャーな匂いはしない。スタジアムがあるのは京王線の飛田給。大都会東京を想像させる場所ではないし、だからといって地方でもない。「さいたま」ではない。
そもそも東京は、都道府県名だ。その昔、23区を東京市と言っていたらしいが、都市名ではない。アントラーズ、ガンバといった他のチームには存在するセカンドネームもない。つまり規定を2つも外しているにもかかわらず、ちょっとばかり、ズルしているにもかかわらず、その割に効果が上がっていない。東京がメリットになっていないのだ。

FC東京がJ1に上がった時にも、どこかに書いた記憶があるが、「FC調布」と言った方がまだ潔い気がする。
かつて、原サンがFC東京の監督を務めていた頃、彼に「攻撃サッカー」を目指す理由を訊ねれば、「東京のチームなんだから、華が必要だ」と答えた。名前負けしないサッカーをしようとしたわけだ。
片や、その前任者だった大熊サンは、酷く守備的なサッカーをした。いったい今度の大熊サンはどっちなのか。

そもそも原サンの発言は、クラブの会長が述べるべきものだ。本来クラブの「色」を決めるのは監督ではない。色を決め、その色に沿った監督を連れてくる。この順序でなければ、クラブのアイデンティティは確立されない。なんかFC東京は、フラフラしているというか、コンセプトが曖昧に見える。

だが繰り返すが、悲しいかな、そうした突っ込みを入れるメディアはほとんどない。「岡田辞めろ!」と言い出す人は。「大熊サンは何をやってるんだ」と言い出す人は、日本代表を取材するメディアにはいても、FC東京をカバーするメディアにはいない。自分で頑張るしかない悲しい立場に身を置いてしまっている。
東京都渋谷区在住のスポーツライターは、そうした目でFC東京を眺めている。(了)