褒めすぎを承知で言わせてもらえれば、清水エスパルスの前半20分までのサッカーはとっても良かった。Jリーグ第5節、対横浜Fマリノス戦の話だ。

まず中ありきではなく、まず外ありき。外にポイントを築いておいて中を突く、ピッチを広く使ったワイドな攻撃。ボールの奪い方も洒落ていた。バックラインがもう数メートル高ければ、20分で終わらずに済んだのだろうけれど、それでも、僕はかなり感激した。日本で見た試合の中で、過去最高と言っても良い。今季の清水のサッカーには、注目する必要がある。

とはいえだ。その良さは、スタンドの観客席からは、なかなかわかりにくい。そう言うべきだろう。横浜国際競技場=日産スタジアムは、スタンドの傾斜角が目茶苦茶緩い。スタンドからピッチまでの距離も異常に遠い。視角は必然さらに緩くなる。世界で最も見にくいスタジアム。「ピッチに描かれるデザイン」を、読み取るのは至難の業だ。というか、このスタジアムは、そうした気さえ湧いてこないスタジアムだ。

日産スタジアムに限った話ではない。日本の多くのスタジアムに共通する話だ。ピッチを俯瞰で眺めることができるスタジアムは限られている。陸上トラック付きのスタジアムでサッカーを見ても、サッカーの魅力は半分も伝わっていないのではないかと僕は思う。

俯瞰の目は言い換えれば「上から目線」。偉そうな目線だ。監督目線と言いたいところだが、ベンチに座る監督よりピッチ全体の様子はよく分かる。選手の目を1次元とすれば、監督の目は2次元。スタンドのファンの目は3次元になる。ファンはある意味で、ピッチの様子を、選手より監督より的確に捉えることができる。

サッカー先進国のファンは、全員が監督のつもり、評論家のつもりでピッチを眺めている――とは、よく言われる台詞だが、それは客席からの視角が急であることと深い関係がある。「上から目線」は、そこに座るだけで養われるのだ。

その点で最も優れているのが、バルセロナのカンプノウだ。その正面スタンドの最上階に、ピッチにせり出すように設置されている記者席からの眺めこそ、世界最高の観戦ポジションだと僕は思っている。初めてそこに座ったとき、サッカーというスポーツが、全く別のスポーツに見えた記憶がある。価値観をひっくり返されたような、止めどもない衝撃に襲われたものだ。

何を隠そう、そこから俯瞰でピッチを眺めている瞬間こそが、僕にとって、最もサッカー好きでいられる瞬間になる。このあたりのことは、先月発売になった僕の著書「バルサ対マンU」や、今月下旬に発売になる最新刊(サッカー見るプロになれる50問50答・三笠書房)でも触れているが、1次元も2次元も3次元の目も利かない、ただ単に見にくい場所に設置されている日産スタジアムの記者席からピッチを眺めていると、サッカーは魅力的に移らない。日本のサッカーファンの不幸を思わずにはいられない。最近、いわゆる戦術本が数多く出版されているが、やっぱり、いくら本を読んでも、実際に「上から目線」で「ピッチに描かれるデザイン」を眺めなければ、会得することは難しいと僕は思う。

それはさておき、横浜対清水の話に話を戻せば、小野は前週に引き続き、高級感のあるボールタッチを披露した。先制点のシーンでも、右サイドで軽やかなタッチを見せ、右サイドバック辻尾の推進力を引き出していた。

その背番号30は、横浜Fマリノスの背番号25に比べて、遙かに躍動していた。プレイする喜びに満ちていた。来るセルビア戦の招集を25番が辞退するなら、代わりに小野を入れてくださいよと岡田サンに懇願したくなる。4-2-3-1の3の右は、かつてフェイエノールト時代にもこなしたことがあるわけで。

小野は、僕の中では最近になって浮上した選手になるが、何を隠そう1年前には、僕は別の選手をプッシュしていた。

大迫だ。鹿島ではもっぱら交代選手に甘んじているので、あまり大きな声では言えないが、その思いはいまも全然変わっていない。彼には縦方向に相手の逆が取れる貴重な才能があるので、それこそ4-2-3-1の3は、おあつらえ向きのポジションになる。本当は、4-3-3のウイングのポジションで、いま流行のウイング兼ストライカーとして活躍してもらうのが一番良いと思うのだけれど、さすがにここまで来ると、それも無い物ねだりになってくる。

両者が最終メンバーに残ることはまずあり得ないが、アーだコーだ言うのはいましかない。僕が監督だったら……。誰を入れる、誰を外すと、いまこそ、監督目線、評論家目線で、ファンは(メディアもだが)大いに言い合って欲しいものである。

■関連記事
突出している小野伸二
二足のわらじは履かない方が良い
バルサのモチベーション
「勝利」に重みが感じられない
勝負する精神