美馬寛子 (photo by Jun Sato)

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 2008年のミス・ユニバース日本代表に輝いた美馬寛子は、知花くらら(06年、2位)、森理世(07年、優勝)に続いて世界に挑み、トップ15という成績を収めた。中学1年生のときにギラン・バレー症候群という難病にかかるも、その後、始めた陸上走り高跳びで全国大会に7度出場した経験を持つ。現在、日本大学文理学部体育学科に通う彼女が、ボーイッシュなハイジャンパーから、エレガントなミス・ジャパンに変貌するまでの道のりを語ってくれた。

 ミス・ユニバース・ジャパンは、8月11日に、2009年度オーディションの応募受け付けを開始した。

知花くらら、美馬寛子の待ち受け画像、09年オーディションの応募も可 - 公式携帯サイト

美馬寛子の意外な少女時代/インタビュー(1)
美馬寛子が他の候補者に勝ったワケ/インタビュー(2)

――ミス・ユニバースの世界大会では、しばらく各国のミスと共同生活をするんですよね?
美馬寛子(以降、美馬):一カ月間、共同生活をして、チャリティーイベントやパーティに出席して、最後の大会の一週間前に5分間のパーソナルインタビューをして、その次の日に、ショーで水着とイブニングドレスのウォーキング。それと、それまでの生活で、トップ15を決めるんですね。ファイナルの日にトップ15が発表されたら、舞台に立てるのは、その15人だけなんです。ウォーキングやインタビューもありますが、それよりも一カ月間の生活を重視して審査していると思います。

―― 一カ月間、審査員が一緒にいるのですか?
美馬:いや、一週間前に、トップ15を決めるための審査員が現地入りするんです。各国代表4人につき1人、お手伝いをしてくださる方がいて、あとセキュリティの方やホテルの方だとか、バスの運転手さんなどに、一週間前に現地入りした審査員が、ミス・ジャパンはどうだった?と聞いたりします。なので、一時も気が抜けない状況なんですけど、楽しかったです。各国代表の方とルームシェアをして2人で一部屋だし、キツいスケジュールなんですが、それでも、私が目指していた世界なので、つらいとは感じませんでした。

――どなたか仲良くなった方はいますか?
美馬:ルームメイトのミス・エルサルバドルはもちろん、ミス・UK、ミス・ポーランドと仲よくなりました。今でも連絡を取り合っています。

――コミュニケーションは英語なんですよね?
美馬:英語かスペイン語ですね。一カ月の中で、説明会やスケジュール発表は英語。通訳はスペイン語なんですね。全て自分で聞き取って、理解しなければなりませんでした。日本だと聞ける方が周りにいるのですが、世界大会に行ったら、日本語を理解できる方が誰もいませんでした。一週間前のインタビューのためだけに通訳が来ますが、私生活での通訳はいないんです。

―― 一番印象に残っている出来事は?
美馬:ある日、朝4時に起きて、4時半に出発しなきゃいけない。でも、そのホテルにアラームが無かったんですね。私のルームメイトが、iPodでアラームを掛けようということになって、私が持っていったスピーカーにセットしていたんですけど、鳴らなくて(笑)。電源を抜いちゃっていたんですね。それで、4時半に、もう出発するよっていう呼び出しのノックで起きて、大慌てでした。その日はホテルの移動日だったので、トランクを出さなきゃいけないし、メイクも、髪も…。そういうハプニングはたびたび起きるんです。

――ハプニングを乗り越えて、ミス同士の絆が深まったり。
美馬:そうですね。幸いなことに私のルームメイトは、ほんとに良い子で、私が全く英語がしゃべれずに応募したので、英語で言いたいことをなかなか伝えられなかったんですね。それを、一カ月も生活したら、疲れもたまってくるのに、私の言いたいことを必死で聞き取ろうとしてくれていました。会話も成り立っていたと思います。

――世界大会での結果はトップ15でした。その結果については、どのように受け止めていますか?
美馬:トップ15に残ることは信じていたし、トップ5に絶対に残ると信じていたので、トップ15の発表のときに、ミス・ジャパンとコールされたときは嬉しかったです。外国で生活するのが始めてで、その上、英語が苦手。ボーイッシュでエレガントではなかった私が、女性の大会で、世界で15位に選ばれたっていうことは、本当に光栄なことだと思って、素直に喜びました。

でも、トップ10の発表のときに、私の名前が10人目でも呼ばれなかったときは、真っ白になっちゃって、顔は笑っていたと思うんですけど、ショックが大きくて、他のミスへの拍手ができませんでした。2位(06年、知花くらら)、1位(07年、森理世)ってきてて、すごく注目されていたのに、イネスやスタッフの方にゴメンっていう気持ちしかなくって。無事、舞台が終わっても、なかなかショックで控え室から出られませんでした。

絶対に泣いちゃうって分かってたので、気持ちを抑えてから、外に出たんですが、イネスに会ったときに、ずっとゴメンねって謝っていて…。でも、イネスは、日本人女性が世界で認められるっていうことを証明してくれたからっていうので、喜んでくれていました。今年、トップ15に残ったアジア人が地元のミス・ベトナムと、私しかいなかったので、光栄なことなんだよと通訳の方に言われて、やっと自分が残した結果が、これで良かったんだと思えるようになりました。もちろん、もっと上を目指したかったですけどね。

――もう一度、その舞台に立つことが出来るとしたら、何をしますか?
美馬:きっとウォーキングとかポージングを、トレーニングすれば、さらに上にいけるっていうのもあるんですけど、何よりも、体型を完璧にします。トレーニングして、やせるっていうよりは、健康的な身体を作り上げて、もう一度挑みたいです。たぶん、そこの違いだったと思います。トップ10、トップ5に入った方は、ほとんど南米やヨーロッパの方で、完璧な身体を持っている方だったんですね。ほんとに見ていて、スゴイっていう。マネキンのような身体でした。そういう身体を私が持っていたら、トップ5に入れたと思います。スピーチのトレーニングもしていたので、舞台でスピーチがしたかったです。30秒しか与えられないので、早く簡潔に述べるっていうトレーニングをしていたので。

――2009年に挑戦する方へのアドバイスは?
美馬:美しいものは、みんな持っているんです。それをどう磨いて、外に出せるかっていうのをここに来てトレーニングするので、まず、今の自分に自信を持つことが大切。受けたいと思ったときの気持ちを忘れないで応募して欲しいと思います。私も、きっと応募したいって思った今が、私の一番いい時期なんだと思って応募用紙を出したので。その思い立ったことが重要。英語が出来なくても、ボーイッシュでモデルさんみたいな身体を持っていなくても、世界で15位に入れるっていうことを私が証明したので、きっと皆さんにミス・ジャパンになれるチャンスはあると思います。自分に自信を持つことですね。私もミス・ジャパンになってから、皆さんが知ってくださるようになったので、元からミスジャパンの美馬寛子だと思われるかも知れませんが、ほんとにビフォア、アフターなので(笑)。

[次週につづく]

<次週予告>
 次週9月3日(水)は、美馬寛子インタビュー最終回「女子大生・美馬寛子は合コンに行くのか?」を公開します。女子大生としての生活や、美ぼうを保つ秘けつ、理想の男性のタイプについて直撃。結婚願望は?

「ミス・ユニバース・ジャパン」公式携帯サイト - 2009年オーディションの応募も受け付け中
 知花くらら、森理世を育て上げたプロデューサー、イネス・リグロンが総合監修。話題の本「世界一の美女の創り方」をミス・ユニバース・ジャパン公式携帯サイトで展開中だ。イネスと美馬寛子のブログや、世界一の美女になるための「魔法の言葉」を配信するほか、イネス本人への質問も受け付けている。2009ミス・ユニバース・ジャパンオーディションの応募受け付けもスタート。次に世界で輝くのは、あなたかも知れない。