ミス・ユニバース・ジャパンの水着審査で、見事なスタイルを披露した美馬寛子(右) (photo by Jun Sato)

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 2008年のミス・ユニバース日本代表に輝いた美馬寛子は、知花くらら(06年、2位)、森理世(07年、優勝)に続いて世界に挑み、トップ15という成績を収めた。中学1年生のときにギラン・バレー症候群という難病にかかるも、その後、始めた陸上走り高跳びで全国大会に7度出場した経験を持つ。現在、日本大学文理学部体育学科に通う彼女が、ボーイッシュなハイジャンパーから、エレガントなミス・ジャパンに変貌するまでの道のりを語ってくれた。

 ミス・ユニバース・ジャパンは、8月11日に、2009年度オーディションの応募受け付けを開始した。
 
美馬寛子の意外な少女時代/インタビュー(1) - livedoor

知花くらら、美馬寛子の待ち受け画像、09年オーディションの応募も可 - 公式携帯サイト

――北京五輪が開催されていますが、一競技者として、どの辺に注目していますか?
美馬寛子(以降、美馬):陸上競技で大学のOBさんが出場していますので、注目しています。あとは、日本人が強い水泳、柔道とか。水泳は、同級生で同じ学科の佐藤久佳選手※が自由形で出場するので、注目しています。
※8月17日、競泳男子四百メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得。

――佐藤選手とは、仲が良いのですか?
美馬:話をしたことはあるんですけど、たまたまバレーの授業が同じで、同じチームになったかなんかで、顔を知っているくらいです(笑)。仲の良い子が、水泳部のマネージャをしていたので、あの人は強いんだよというのを聞いたことがありました。最近、学校に行ったら、横断幕が貼られていて、彼も出るんだと知りました。

――もし、ミス・ユニバースに出ていなかったら、体育の先生になっていた?
美馬:体育の先生は、幼い頃からの夢でしたが、実際になっていたかどうかは分かりません。でも、どんな仕事をしていても、陸上の走り高跳びを教えたいと思っていました。なので体育学科を選んで、身体のことだとかトレーニング方法を勉強したいと思いました。

――今回、陸上競技とは違ったトレーニングをされたと思うのですが、どんなトレーニングをしたのですか?
美馬:ウォーキングやポージング、スピーチの練習などをしていました。それから、体型維持のためにエクササイズするんですけど、陸上競技と同じようなエクササイズをしていると、筋肉が大きくなって、身体が大きく見えてしまうので、陸上とは切り離して、トレーニング方法を考えていました。

――陸上競技のトレーニングと比べて、どちらが大変でした?
美馬:体力的には、陸上競技の方が大変だと思いますけど、たぶん精神的には、こっちの方がキツいと思います。

――一番大変だったことは?
美馬:まず、女の子しかいない世界にいたのが始めてだったんですね。それで、最初は不安がありました。皆さん考えるのは、女の子が何十人も集まれば、揉め事があるんじゃないかということです。でも、2008年のファイナリストは、ほんとに仲が良くて、今でも連絡を取り合っています。それぞれ得意分野があって、モデルさんは、ウォーキング、ポージングが得意だし、私はスピーチが得意な方だったんですね。なので、みんなで教え合いをしていました。

人間関係でのツラさは無かったのですが、毎日が戦いでしたね。大会最終日まで毎日、みんなとトレーニングして、自分とも戦わなきゃ結果を出すことができない。とにかく時間が無いというのがありました。それから、最初の頃は、言葉の壁っていうのがとても大きかったです。イネス・リグロンとの会話は全て英語なので、誰かに通訳をしていただかないと、理解できなかったというのが厳しかったですね。

――その中でトップに輝いたわけですよね。他の候補者との差は何だったと思いますか?
美馬:個性的なところ。みんないい意味でユニークなんですけど、たぶん、そこが一番だったと思います。あと、強さ。21年しかまだ生きていないけど、様々な経験をしてきて、自分では気付かない精神的な強さを得ていたと思います。スタート地点が、周りのファイナリストの子たちと比べて、低かったんです。モデル経験が無いし、とてもボーイッシュだし。女性の大会に応募して、どれだけ女性の代表に近づけるかという、伸びしろもあったと思います。あと、舞台であまり緊張をしないので、ファイナリストの中でも、一番楽しんで日本大会に臨めたと思います。きっと一番楽しんだ子が一番輝く。パフォーマンスがどれだけヘタだろうが、自信があると違ってくると思います。

――その後、日本代表として、世界の舞台に立つことになります。
美馬:日本代表になったときに重みを感じてて、精神的に沈んだことがありました。なんで私が日本一になれたんだろうと考えた時期もあって…。でも、世界大会に挑むまでのトレーニングをイネスとしていくうちに、もっと自分の内面を知ることができて、自信に変えることができました。それから、森理世さんや知花くららさんを育てたイネス・リグロンとスタッフのサポートがあるから、80カ国の女の子よりも、スタート地点は私の方が上なんだという思いがあったので、世界大会が行われたベトナムに行ったときも、もちろん皆さん見た目が美しいのですが、引けをとらなかったと思います。

[次週につづく]

<次週予告>
 次週8月27日(水)は、美馬寛子インタビュー第3回「美馬寛子が『ゴメンね』と泣いた日」を公開します。世界の舞台とは? 各国ミスとの1カ月間の共同生活。トップ15という結果について、本音を語る。

「ミス・ユニバース・ジャパン」公式携帯サイト - 2009年オーディションの応募も受け付け中
 知花くらら、森理世を育て上げたプロデューサー、イネス・リグロンが総合監修。話題の本「世界一の美女の創り方」をミス・ユニバース・ジャパンの公式携帯サイトで展開中だ。イネスと美馬寛子のブログや、世界一の美女になるための「魔法の言葉」を配信するほか、イネス本人への質問も受け付けている。2009ミス・ユニバース・ジャパンオーディションの応募受け付けもスタート。次に世界で輝くのは、あなたかも知れない。