日本代表の新旧1トップ。岡崎、本田、そして大迫。三者が不在の10月シリーズではいかなる陣容となるのか。写真:サッカーダイジェスト

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 2022年カタール・ワールドカップ アジア2次予選の第2弾となるモンゴル、タジキスタン2連戦に向け、日本代表が7日からさいたま市内で始動した。今回のシリーズは絶対的1トップ・大迫勇也(ブレーメン)が太もも負傷のため不参加。その穴をどう埋めるのかが最大の懸案となっている。森保一監督が永井謙佑(FC東京)、浅野拓磨(パルチザン)、鎌田大地(フランクフルト)のFW陣から誰を抜擢するのか。それとも異なる戦い方にトライするのか。興味は尽きない。

 日本代表に重くのしかかる1トップ問題だが、それは今、始まったことではない。この10年間を見ても、絶対的1トップが存在した時期は非常に少なかったのだ。

 10年前と言えば、岡田武史監督(現FC今治代表)が2010年南アフリカ・ワールドカップ最終予選を戦っていた頃。当時は23歳の岡崎慎司(ウエスカ)が大躍進を遂げていた。2009年の代表戦で年間15ゴールという驚異的な数字を残し、岡田ジャパンに不可欠なFWと位置付けられるようになったのだ。南ア切符を勝ち取った2009年6月のウズベキスタン戦の決勝点を奪ったのもこの男。南ア本番でもエースに君臨すると見られていた。

 だが、大会直前にチームは予期せぬ不振に陥った。苦悩に苦悩を重ね、中村俊輔(横浜FC)ら主力を外す決断をした岡田監督が南アで1トップに据えたのは本田圭佑。屈強な外国人DFと対峙できる強さと高さ、決定力を兼ね備えた彼しかその仕事を果たせないという判断からだった。実際、本田は前線で身体を張ってボールを収め、カメルーン戦で先制弾を奪い、デンマーク戦でも直接FK弾を叩き出す圧巻のパフォーマンスを披露する。この本田と南アで壁にぶつかりながらもめげずに前進した岡崎がいたから、その後の指揮官たちも苦境を乗り切ることができたのだ。
 
 ザッケローニ時代は前田遼一(岐阜)と李忠成(横浜)が最初に重用され、2013年コンフェデレーションズカップ(ブラジル)以降は柿谷曜一朗(C大阪)と大迫が台頭。ブラジル本大会にも参戦したが、まだ若かった2人は絶対的地位を勝ち得るには至らなかった。アギーレ時代とハリルホジッチ時代の途中まで岡崎が再び軸となり、小林悠(川崎)や武藤嘉紀(ニューカッスル)らがテストされたが、そういう中でも「困った時の本田」という状況は何度かあった。

 ザック監督は2012年10月のブラジル戦で本田を最前線に起用しているし、ハリル監督も絶対に負けられなかった2016年10月のオーストラリア戦で同様の采配を見せている。「いつもぶっつけ本番感が強いよね。この想定をもうちょっとしといた方がいいのかな」と本人も苦笑いしていたくらいだ。
 
 結局のところ、この10年間は、岡崎がケガや体調不良、相手との兼ね合いによって使えない時は本田という「最後の逃げ道」があった。だからこそ、日本は2016年11月のサウジアラビア戦で大迫という傑出したFWを手に入れるまで、時間を稼げたと言っていい。

 あれから3年が経過し、大迫が大黒柱に君臨している周知の事実だ。彼の存在価値は当時とは比較にならないほど大きい。ただ、なんらかのアクシデントが起きた際、「困った時の本田」という手はもう使えない。岡崎は6月のコパ・アメリカ(ブラジル)のようにイザとなれば呼び戻せるが、森保監督も「今は新オプションを作る時期」と辛抱しつつ先を見据えている。そうしなければいけない時期に来ているのは確か。万能型FWとは言えない永井、浅野、鎌田の3人を招集したのも、強い決意の表われなのだろう。

 ただ、過去の流れを見ても分かる通り、国際経験豊富で屈強なDFと互角以上に渡り合える本田、岡崎、大迫クラスの選手を見つけるのはそう簡単ではない。1トップ問題はより深刻度を増している。彼らの領域に達するのは果たして誰か。今回の3人の中から基準を越える者が出てくれば理想的である。まずは彼らの動向をしっかりと見極めるところから始めたい。

文●元川悦子(フリーライター)