誰だよ(笑)サンタクロース…いや「三太九郎」から始まった日本のクリスマスの歴史

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明治時代にサンタは日本にやってきた

日本で最初にサンタクロースの絵が描かれた文献は、1900(明治33)年に教文館から発行された「さんたくろう」という小説。

進藤信義「さんたくろう」の表紙 国立国会図書館蔵

「さんたくろう、誰www」・・・まあ、そうなりますよね。漢字で書くと、「三太九郎」。当時は「サンタクロース」という言葉に全く馴染みがなかったので漢字で当て字をし、私たちにより親しみやすくしたようなのです。

三太九郎のルックスはというと、帽子ではなくベールのような布をかぶっていますね。郵便配達人のようなバッグを斜めにかけ、手にはなぜかミニチュアクリスマスツリーを持っています。隣にはロバにも見えるトナカイ(?)、その背中にはカゴを背負い、中から大量のプレゼントが覗きます。

ちなみに「さんたくろう」の物語は国立国会図書館のデジタルデータで公開されています(記事末にリンクを貼っておきます)。

同じ頃に、東京銀座の明治屋という高級食材店が「クリスマスセール」を開催するなど、日本に少しずつクリスマスが広まり始めます。明治屋では明治37年には既にクリスマスツリーが飾られたり、イルミネーションが灯されていたという資料も残っているようです。

明治末期の1910年にはお馴染みの不二家から「クリスマスケーキ」が初めて発売。日本のクリスマスはどんどん賑やかになっていきました。

大正時代になると一気にメジャーに

時代が明治から大正に移ると、サンタクロースの存在はかなり日本の子供達の間に浸透したようです。1914(大正3)年の子供雑誌『子供之友』12月号を見てみると、いましたいました。赤い帽子に赤い服、太いベルトを腰に巻いた白ひげのおじいさん。ようやく私たちにもなじみのある、われらが「サンタクロース」の登場です。

『子供之友』1914年12月号 Wikipediaより

1928年、朝日新聞で「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」という内容の記事が掲載され、現代のようにクリスマスの存在がメジャーになった事が分かります。それにしても、三太九郎が強烈で頭から離れないのは何故でしょうか・・・。

進藤信義「さんたくろう」 国立国会図書館蔵