今季限りで西野監督が退任する名古屋グランパス。来季の監督は先日GM補佐に就任したばかりの小倉隆史が務めるのだと言う。期待半分、心配半分と言いたいところだが、本音を言えば、心配の方が勝る。

 名古屋はその予算規模と成績のバランスが悪いチームだ。優勝争いに常に顔を出していても不思議のないチームにもかかわらず近年、成績はパッとしない。一歩間違えば、降格争いに加わりそうな不安定さを抱えている。新人監督にはリスクの大きな仕事だ。

 輪を掛けるのが、Jリーグの監督を巡る厳しい環境だ。簡単に言えば以下のようになる。

 失敗が許されない世界。一度失敗したら一気に転落。監督に復帰することが難しい世界。適当な下りの階段が用意されていないのだ。欧州各国に比べ、チームの総数が少ないこと。外国のクラブの監督になりにくいこと。監督の交代劇が少ないこと。つまり回転が悪いので、チャンスの数が少ないこと等々が理由に挙げられる。監督の道に進むことには大きなリスクがつきまとう。
 
 小倉で連想するのは相馬直樹。2011年に30代の若さで川崎フロンターレの監督に就任したが、一年と少しで解任。その後、モンテディオ山形でコーチを務めた後、2014年からFC町田ゼルビアの監督に就いている。J1の上位クラブで監督を務めた人物が、J2のコーチになり、J3の監督に収まるというこの変遷。落差はあまりにも大きい。監督業の厳しい現実を見る気がする。
 
 JクラブはJ3まで含めれば計52あるが、そのうち現在、日本人が監督を務めるクラブは47。さらにその中で、日本代表でそれなりに活躍した元選手(代表歴10回以上)が監督を務めているクラブは10に過ぎない。華やかな過去を持つ選手が、監督になりたがらないのが日本サッカー界の特徴だ。名選手名監督にあらずの状態になっている。
 
 J2の地方クラブになると監督の年俸も低い。その人気や知名度を活かしてテレビに出たり、講演したり、サッカースクールを主宰した方が、選択肢としては無難になる。小倉も、つい最近までテレビ評論家兼タレントのような立ち位置だった。彼の代表キャップ数は5だが、知名度やタレント性は、代表の元常連選手より高かった。それを捨てて名古屋の監督になるのだから、勇気ある決断だと言える。

 とはいえ、いきなりJ1クラブの監督に就くことは、監督業の理想的なステップではない。小倉と同様のステップで川崎フロンターレの監督に就いた相馬もしかり。川崎→山形コーチ→町田ではなく、山形コーチ→町田監督→(J2監督)→川崎監督が、本来あるべきステップだ。

 監督として失敗する確率は、下積みの経験がある方が低い。だが、知名度の高い元代表選手はメディアが放っておかない。芸能系の事務所も食指を動かそうとする。その結果、どうなるかと言えば、華のあるJリーグ監督の数が少なくなる。世間の監督への関心もおのずと低くなる。
 
 もちろん、小倉が名古屋でいきなり、よい采配を振るい、不安定だったチームを立て直すことができれば、メディアはこぞって注目するだろう。スター性のある新人監督の誕生に世間は湧くだろうが、そう簡単に事は進むだろうか。
 
 新人監督に必要なのは、優れた参謀だ。ライカールトがバルセロナの監督に就任した時、助監督としてサポートしたテンカーテのような存在だ。ライカールトは、記者会見のひな壇には座ったが、練習場で指導を実質的に行っていたのはテンカーテ。身の丈を知っていたライカールトは、当時、オランダ国内で戦術家として知られていたテンカーテに、その役を自ら願い出たのだ。
 
 名古屋で言えば、2008年から2013年まで監督とヘッドコーチの関係にあったストイコビッチとボシュコも、ライカールトとテンカーテの関係に似ていた。監督経験のないストイコビッチにとって、監督経験豊富なボシュコは頼れる存在だったのだ。

 新人監督にすべてを委ねるのは冒険。川崎時代の相馬はそれで失敗した。小倉が安心という保証はどこにもない。いまからでも遅くない。小倉は監督経験者を、頼るべき副官として探し求めるべきではないか。
 
 知名度の高い代表経験豊富な監督が誕生しにくい日本サッカー界。その中で、あるいは例外的かと淡い期待を抱きたくなるのが、今季からアビスパ福岡の監督に就任した井原正巳。その日本代表キャップ122は、遠藤保仁が記録を塗り替えるまで1位だった。井原はまさに名選手。で、新人監督だ。しかし、2009年から5年間、柏レイソルのヘッドコーチを、主にネルシーニョに下で務めてきた。そこで、きわめて地味な役割を演じてきた。

 今季、J2で現在まで3位と大健闘している福岡の成績は、井原のステップが正しかったことを証明しているように見える。名選手名監督にあらずを覆すことができるか。名古屋の小倉ともども、今後に目を凝らしたいものだ。