【マキ上田ビューティ・ペアかけめぐる3年間の軌跡(4)】1975年1月、高校生だった私はオーディションを経て全日本女子プロレスに入団することになりました。特にプロレス好きというわけではなかったのですが、父と全女・松永(高司)社長のちょっとした会話から入門することになり、憧れていた東京での新生活が始まりました。目黒にあった全女事務所の近くに寮があって、ひと部屋は8畳くらいの広さでした。入った時は