「文藝春秋」2014年4月号
STAP細胞をめぐる論文捏造疑惑を受けて、理化学研究所の小保方晴子・研究ユニットリーダーとともに論文を執筆した若山照彦・山梨大教授へのインタビュー記事を掲載。タイトルが「小保方さんがかけてきた涙の電話」といささか感傷的なのが気になるが、これは小保方の共同研究者に対する心遣いをうかがわせるエピソードからつけられたもの。詳細は誌面でぜひご確認を

写真拡大

今年1月にイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、理化学研究所(理研)の小保方晴子・研究ユニットリーダーと米ハーバード大学の研究者らのチームが「STAP細胞」(刺激惹起性多能性獲得細胞)の論文を発表した。この論文をめぐっては発表からしばらくして、データに不適切な点があるとの指摘がネットを中心にあがっていたが、ここへ来て大きな動きがあった。3月10日、論文の著者の一人である若山照彦・山梨大学教授が「研究の根幹が揺らぎ、確信が持てない」として、論文の撤回を小保方ら共著者たちに呼びかけたというのだ。翌11日未明には、理化学研究所が論文撤回も含め検討していることが報じられた(「47NEWS」2014年3月11日0時50分)。

折しも3月10日発売の「文藝春秋」4月号には、「STAP細胞捏造疑惑に答える 小保方さんがかけてきた涙の電話」という、前出の若山教授へのインタビュー記事が掲載されている(聞き手は科学ライターの緑慎也)。そこで若山は批判の内容を、《一つは論文で使用した画像に使い回しや加工の痕跡など、おかしなところがあるのではないかという点》と《もう一つは小保方さんの実験が再現できないという点》に大きく2つに分け、それぞれ関係者の立場から弁明していた。

まず、実験が再現できないことについて、若山は当初から議論になることは想定していたという。若山はその理由として、1998年に自分が作製に成功したクローンマウスを例にあげている。この前年、イギリスの研究者グループが世界初の体細胞クローン羊「ドリー」の作製に成功、「ネイチャー」に論文を発表していたが、その後しばらく誰も再現実験には成功しなかった。そのため、論文に対し捏造だと疑われるほどだったという。だがその疑惑も、若山らの体細胞クローンマウスの論文の発表をきっかけに払拭されたのだ。

この体験から若山は、《科学の実証はそんな簡単なものではありません。発表して間もないのに、こんなに大騒ぎになる方がおかしい》と、STAP細胞の論文発表後の国内での騒ぎをやんわり批判する一方で、《僕たちが「(STAP細胞の)作り方は簡単。紅茶程度の弱酸性の液体に浸けるだけ」と強調しすぎたこと》に反省の意も示している。

だが、論文に不適切な点があったとすれば、実験を再現するどころの話ではなくなる。「文藝春秋」の記事中、若山は、論文に掲載された画像について一部で誤ったものを載せてしまったことを認めつつ、《パッと見れば明らかに間違いだと気がつくもので、偽装の意図はまったくなく、単純ミスのレベル》と述べている。またミスが生じた原因について、次のように推測もしている。

《掲載に至るまでに、合計四〜五回は再投稿しましたが、ネイチャーの編集者や審査員が『ここはおかしい』『配置をこう変えろ』と何度も要求してくるたびに、小保方さんは写真を入れ替えたり、場所を移動したりをくり返した。とにかく大変な作業量をこなすなかで生じたミスだと思います》

ところがここへ来て、若山は上記のような見方から一転、論文の根幹となる写真に不信を抱き、論文を撤回したうえで外部の人間に検証してもらうべきだと呼びかけた。「文藝春秋」の取材を受けたのち、若山としてはおそらく引っかかるところがあって、再度自分なりに論文を検証した末に出した結論であったのだろう。その勇気には素直に敬意を表したい。

気になるのはやはり、論文作成のうえで偽装の意図があったのかどうかということだ。もし仮に意図があったとすれば、その理由もあきらかにされなければならないだろう。

偽装の意図がなかったのなら、どうしてそんなミスをしてしまったのか、あらためて検証したうえ説明が求められよう。もっとも、「単純ミス」であったのなら、論文の発表前に気づくこともできたはずだ。「文藝春秋」の記事の地の文でも、韓国ソウル大学の研究者によるES細胞論文が捏造であることが2005年末に発覚したのを受けて、京都大学の山中伸弥教授はiPS細胞の論文の発表を遅らせ、その間に徹底的にデータをとったという事例を引き合いに、《訂正すれば済む程度の「単純ミス」なら、発表前に潰しておくべきだったかもしれない》と書かれている。

万能細胞をめぐる研究は、実用化すれば莫大な利益がもたらされることはあきらかなだけに、国内外で研究者間の競争も熾烈をきわめている。そのなかで発表を急ぐがあまり、論文作成で確認がおろそかになったところはなかったか。また理研内で発表を急かせるような、過剰なプレッシャーはなかったのだろうか。

私がそんなことを思ったのは、たまたま読んでいた野口英世の評伝(中山茂『野口英世』)に次のようなくだりがあったからだ。

それは1919年の春頃、野口が米ロックフェラー研究所にあって黄熱病の病原体について論文を書いていたときのこと。訪米した旧知の医師・畑嘉聞に対し、野口は「研究において自分がまだ出してはいけないと思っていることでも、ロックフェラー研究所では急いで発表してしまうことがある。現に黄熱病などの発表でも、自分ではまだ満足いっていないのだが、世間ではそれを確定したものとして賞賛してくれる。私の心中では忸怩たるところがあるものの、しかしその賞賛が刺激となって奮い立ち、自分の責任をますます感じるようになる。そして大きな覚悟をもって突き進み、仕事をし遂げるということになるのだ」と打ち明けたという。研究所内でのプレッシャーをうかがわせる発言だが、それでも自分の研究に責任をもってさらに先へと突き進むというのが野口のポリシーであったようだ。

べつの本にはまた、野口が「正直は最良の策(Honesty is the best policy.)」ということわざを気に入っていたことが紹介されている(酒井邦嘉『科学者という仕事』)。アメリカの政治家にして科学者でもあったベンジャミン・フランクリンが残したものとされるこのことわざのキモは、「正直」を美徳ではなく、「策(ポリシー)」ととらえたところにある。すなわち、《元来の性格が正直かどうかは関係なく、一見不利に見えそうな「正直」を、より良い戦術としてあえて意図的に選ぶべし、ということなのだ》(酒井、前掲書)。その真意を知るにつけ、これほどいま、理研や小保方ら研究者たちにふさわしい言葉はないように思うのだが。
(近藤正高)